しき さんの日記
2021
1月
3
(日)
00:06
本文
12月後半に、思い掛けない事が次々に起こって
人に知られたストロングハートも、流石にささくれだらけになった。
新しい一年が始まっても、気分も新たに…とはならず
元日の朝、初日の出を観に出かけても、逝ってしまった人や
白血病を発症し、急逝した飼い猫を想い溜息が出た。
予定していた山登りにも行く気力が沸かない。
そんな時、以前「大饗祭」で行った、香取神宮が人も疎らで寂しいよ。
とのLINEを友人から貰った。
家に居ても鬱々とするだけなので、重い腰を上げ出かけてみた。
道路はスムーズに走れ
閑散とした参道に、呼び込む事さえ放棄した出店が並んでいた。
人々はマスクをしていて、話し声も聴こえない…
静かな 静かすぎる初詣だった。
次の日の朝、洗濯物を干していたら
隣家のご夫婦が2人、並んで私を見ていた。
「あら、珍しい。2人お揃いで、どこかへ出かけたの?」
と聞けば、地元の神社にお参りに行ったのだと言う。
毎年、元旦には私も行っていたのに、今年はそれさえも忘れていた…
神社に行く支度をし、母にはお茶を入れておいて、コートを羽織る。
旦那さまは出かけているようで、声をかけても部屋には居なかった。
お賽銭は3か6か9がつく数字が良いと言うので
9枚の硬貨をお賽銭箱に入れる。
香取神宮でもそうだったが、この数の硬貨を投げ入れると、景気の良い音がして気分は良い。
同じ敷地内にある菅原道真公を祀る神社にもお参りし
自宅への道を戻った。
ふと、行きには気づかなかった、道路脇にある沼に目を留めると
普段は鷺たちのコロニーになっている木々のそばに、コガモやマガモが多く寄って来ていた。
今は猟期なので、河川敷や山などから避難して来た鳥たちだろう。
傍を車が通り過ぎる中、私は降り注ぐ暖かい日差しにくるまれ
長い時間佇んで、鳥たちの楽園を見ていた。
「ここが良いよ、ここなら撃たれないからね」
「お前たちは賢い鳥だ」
と、独り言を言いながら、彼らは明日をも知れない命なのだ。
と思い当たった。
今の平穏無事は、時に一瞬にして消え去るけれど
安穏とする日々があれば、それは幸せというものでは無いだろうか。
失くせば嫌でも気づかされるが、その中にいる時には気づかない。
幸せは退屈で、でもそれは得難いものなのでは…
沼を見ていた私の横を
旦那さまが車で通りかかり、私を認めて停まった。
私「どこに行ってたの?」
だ「コンビニに行ってた」
私「もうお昼だから、おばあちゃんと一緒にご飯食べようか」
先に行くよ、と言う車を見送りながら
こんな普通の会話も「幸せ」の一つなのだろうか?
と思った。
逝ってしまった者たちと共に過ごした記憶は
そう言えば 失くして切ない、今であっても温かい。
この日、心にまで優しい日差しが届いた気がした。
鳥たちは変わらず、水面に波紋を描いている。
人に知られたストロングハートも、流石にささくれだらけになった。
新しい一年が始まっても、気分も新たに…とはならず
元日の朝、初日の出を観に出かけても、逝ってしまった人や
白血病を発症し、急逝した飼い猫を想い溜息が出た。
予定していた山登りにも行く気力が沸かない。
そんな時、以前「大饗祭」で行った、香取神宮が人も疎らで寂しいよ。
とのLINEを友人から貰った。
家に居ても鬱々とするだけなので、重い腰を上げ出かけてみた。
道路はスムーズに走れ
閑散とした参道に、呼び込む事さえ放棄した出店が並んでいた。
人々はマスクをしていて、話し声も聴こえない…
静かな 静かすぎる初詣だった。
次の日の朝、洗濯物を干していたら
隣家のご夫婦が2人、並んで私を見ていた。
「あら、珍しい。2人お揃いで、どこかへ出かけたの?」
と聞けば、地元の神社にお参りに行ったのだと言う。
毎年、元旦には私も行っていたのに、今年はそれさえも忘れていた…
神社に行く支度をし、母にはお茶を入れておいて、コートを羽織る。
旦那さまは出かけているようで、声をかけても部屋には居なかった。
お賽銭は3か6か9がつく数字が良いと言うので
9枚の硬貨をお賽銭箱に入れる。
香取神宮でもそうだったが、この数の硬貨を投げ入れると、景気の良い音がして気分は良い。
同じ敷地内にある菅原道真公を祀る神社にもお参りし
自宅への道を戻った。
ふと、行きには気づかなかった、道路脇にある沼に目を留めると
普段は鷺たちのコロニーになっている木々のそばに、コガモやマガモが多く寄って来ていた。
今は猟期なので、河川敷や山などから避難して来た鳥たちだろう。
傍を車が通り過ぎる中、私は降り注ぐ暖かい日差しにくるまれ
長い時間佇んで、鳥たちの楽園を見ていた。
「ここが良いよ、ここなら撃たれないからね」
「お前たちは賢い鳥だ」
と、独り言を言いながら、彼らは明日をも知れない命なのだ。
と思い当たった。
今の平穏無事は、時に一瞬にして消え去るけれど
安穏とする日々があれば、それは幸せというものでは無いだろうか。
失くせば嫌でも気づかされるが、その中にいる時には気づかない。
幸せは退屈で、でもそれは得難いものなのでは…
沼を見ていた私の横を
旦那さまが車で通りかかり、私を認めて停まった。
私「どこに行ってたの?」
だ「コンビニに行ってた」
私「もうお昼だから、おばあちゃんと一緒にご飯食べようか」
先に行くよ、と言う車を見送りながら
こんな普通の会話も「幸せ」の一つなのだろうか?
と思った。
逝ってしまった者たちと共に過ごした記憶は
そう言えば 失くして切ない、今であっても温かい。
この日、心にまで優しい日差しが届いた気がした。
鳥たちは変わらず、水面に波紋を描いている。
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