tinc さんの日記
2020
12月
30
(水)
18:44
本文
私は服や靴や鞄その他の服飾雑貨を好きで、誰の共感をも得ない拘りに従って好きなものを身に着けて日々を気分良く過ごしている。その私に不思議に感じられるのが身に着けるものを選ぶのに他者の意見を求める人の多いことで、私でさえ意見を求められることがあるほどである。そのような際に私は自分の意見というか感想のようなものを述べるのであるが、必ずその人自身は何を良いと思っていて、いま手に取っているものの何に惹かれたのか、服装を通して表現したいものがあるのか、あるのならばそれは何か、ということを尋ね返してしまう。それで話が弾むこともあれば嫌がられることもある。
私が自分の服装に関して意見を求める相手は姿見のみである。誰かが私の格好を好きでなかったり失礼であると感じたりするとしても、基本的には私には私の望むものを着る権利があると思っている。何を身に着けるかは重要である時もあればそうでない時もある。しかし何者も身に着けるものやその他姿形によって差別されずにいられるということは常に重要である。
その人の美意識、好きなもの、憧れ、言葉にならないようなイメージ、そういったものを少しでも表現する手助けの一部を担ってくれるのが衣服であるのだから、そのせっかくの機会を手放してまで街の人々に溶け込み礼儀正しくしていることは無いだろうと私は思う。勿論誰かの意見を聞いたほうが表現も上手にできるということもあれば新たな視点を得られるということもあるから、意見を求めること自体が何か悪いことだとは思わない。しかし私は誰かからストールの色柄や次に買うべきパンツ等について尋ねられる度、何かを答えつつ内心ではその何かを答える自分を押しのけて「勝手にしやがれ」と言い返したい気持ちを片手で抑えている。勝手にしやがれ、きみの勝手こそぼくの見たいものなのだ、と。
私が自分の服装に関して意見を求める相手は姿見のみである。誰かが私の格好を好きでなかったり失礼であると感じたりするとしても、基本的には私には私の望むものを着る権利があると思っている。何を身に着けるかは重要である時もあればそうでない時もある。しかし何者も身に着けるものやその他姿形によって差別されずにいられるということは常に重要である。
その人の美意識、好きなもの、憧れ、言葉にならないようなイメージ、そういったものを少しでも表現する手助けの一部を担ってくれるのが衣服であるのだから、そのせっかくの機会を手放してまで街の人々に溶け込み礼儀正しくしていることは無いだろうと私は思う。勿論誰かの意見を聞いたほうが表現も上手にできるということもあれば新たな視点を得られるということもあるから、意見を求めること自体が何か悪いことだとは思わない。しかし私は誰かからストールの色柄や次に買うべきパンツ等について尋ねられる度、何かを答えつつ内心ではその何かを答える自分を押しのけて「勝手にしやがれ」と言い返したい気持ちを片手で抑えている。勝手にしやがれ、きみの勝手こそぼくの見たいものなのだ、と。
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