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湘南のカモメ さんの日記
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湘南のカモメ さんの日記

[2020-12] カテゴリー [未分類] 
 
2020
12月 14
(月)
09:50
根無し草そして馬の骨
本文
「どこの馬の骨だ?」なんて言葉があります。
また「根無し草」という言葉も・・・

私は間違いなく日本人の両親から生まれた。
しかし、そのルーツは全くもって分からない。
父親はまだ私が20代の頃に56歳の若さ?で急死し、母親も父の7回忌を待つようにして旅立ってしまった。

父方の両親(祖父母)とは一度も会ったことがなく、母方の両親は早くに他界したらしく、私は血が繋がった祖父や祖母を知らない。
また両親ともに忙しかったのか?
故意だったとは思いたくもないが、自分達の親については何も聞かせてはくれなかった。

父と母は夫婦養子として母の養母の姓を継ぎ、私もまたその姓を継いでいる。

私は父が特派員として中国の赴任中に向こうで生まれ、私は4歳の時に初めて日本の地を踏んだ。
今で言うバイリンガルである(笑笑

学齢に達してからは転勤族だった父について移動し、小学校5校、中学は2校に通った。
親しく付き合ってくれた友達も「去るもの日々に疎し」の諺通りで一人消え二人消えて今になってみると幼馴染は一人も存在してはいない。

高校は北九州で幸いにも1つだけだったので、高校時代の友人は今でも大切にしている。

兄弟が未だ小さかった頃、父は「三本の矢」の話を話して聞かせてくれた。
しかし、その後で「矢が折れたのはその人の力が強かったため、お前たちは折られることがないよう、一人ひとりが強くなれ!」だった。

高校時代の3年間は北九州に居て、父母は最後の地となった北九州のお寺で眠っている
私は高校を卒業すると、大学入学の為に上京し 卒業と同時にこちらで就職をした。
その後脱サラをし、建設会社を興して現在に至っている。

28歳で結婚をしてようやく現在の地に根を下したが、それまでの私は古里すら持たない<根無し草>

家内の父母は、よくもこんな男に娘をくれた!と感謝しかない。

高校時代の3年間は激しいスポーツに打ち込んで自宅と学校の往復だけだったので、北九州のことを聞かれても全くもって分らないし
ただ「3年間そこに自宅があった」という認識だけで、北九州という土地に愛着すら持ち合わせてはいない。

父が語ってくれた<三本の矢>の話。
それをしっかり守って 私は今も「媚びず・頼らず・つるまず」の<三ずの川岸>で孤高の人生を送っている。

現在の地に根を下ろしたことで<根無し>草は消えつつあるかと思うが・・・
今住んでいる土地を郷土だと思い、街をいくらかでも良くしたいと願ってNPOも主宰して活動してはいる。

<馬の骨は相も変わらず!>

馬の骨!・・・それは私のことかもしれない???


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