tinc さんの日記
2020
12月
10
(木)
00:44
本文
最近個人的にシャツかジャケットを企画して少数販売してみようかと考えており、何人かの人に連絡を取って教えを乞うたり取引を持ちかけたりしている。その中で英語に堪能で海外貿易にも明るいある人がおり、今日はその人と会って仕入れの打ち合わせをしてきた。
過去ジーンズを企画した際に素材も縫製も全て国内で賄ったのは、日本のジーンズ関連の文化は独自に発展した部分が大きく、ジーンズが産業として縮小した現在も独立系の業者が私の価値観に合う生地や資材を製造販売しているからである。
一方シャツやジャケットはジーンズと異なり、日本において大きく衰退はしていないものの大きく深化することも無く平坦に推移して今日に至っているような印象を私は受けている。私が日本のシャツやジャケットの奥深さや幅広さを知らないだけなのだと思うが、生地の色柄やボタンの湾曲等は欧米のもののほうに私の好みに合致するものが多いと感じる。そのようなことから殆ど小売のような量を海外の個人にも販売発送してくれる欧米の生地資材業者を探してもらったり、連絡を取ってこちらの聞きたいことを伝えて回答を頂いたりするのに冒頭の知り合いの手を借りている。
彼女は私のかつてのアルバイト先の先輩である。私は大学在学中にアパレルブランドの店舗の販売員をしていたことがあり、その時に私に仕事を教えたのが彼女であった。彼女はその後そのアパレルブランドの正社員として数年間勤務した後、数回の転職を経て現在は服飾資材の商社に勤務している。多忙の合間を縫って私の趣味の企画にも付き合ってくれているにもかかわらず、彼女が私から受け取る報酬はその日の夕食とお酒のみである。私は彼女の給与からすると少ないであろう額の日当を支払うことを申し出たものの、彼女は「プライベートの時間にまで仕事したくないから」との理由でそれを断った。私はそれを申し訳なく思いつつ彼女に頼っている。
お酒を飲みながらする雑多な話の中で彼女が私をして言うには、「ほんと昔から何考えてるかわかんないよね」ということであった。
「Rさんは他人が何を考えているか分かるんですか」と私は思わず尋ねた。
「そんなこと言うからモテないんだよ」と彼女は笑った。「言っとくけど15年前にもおんなじこと言ったからね」
私がもてないのは言動のみが理由ではないと思うが、もてなくてよいから他人の考えが分かったらどんなに良いかと思う。しかし他人の有り難さはその分からなさに理由の一つがあるのではないかとも思う。真実は不思議なもので、自分が何かを分かったように感じてもほんとうにそれを分かっているかを確かめる術が無いのに、分かったと感じる前よりも分からないことが増えている。布やボタンは物体であるから定量的に測れる部分も多いとはいえ、その形や色にひとが見出す意味というものはあまり端的に表現されない。人間の身体も物体であるがその物性だけを取り出して論ずることは相当に限定された状況でないと成立しないものであると思う。例えば私が1個のボタンを手に取って見つめる時、小さなものの表面をただ眺めているとも云えるし、抽象的な観念に踏み込んでそこをさまよっているとも云える。私は時に何かに気付いたり何かを閃いたりする。しかし何かを知ることを経験せずに生を終えるかもしれない。
過去ジーンズを企画した際に素材も縫製も全て国内で賄ったのは、日本のジーンズ関連の文化は独自に発展した部分が大きく、ジーンズが産業として縮小した現在も独立系の業者が私の価値観に合う生地や資材を製造販売しているからである。
一方シャツやジャケットはジーンズと異なり、日本において大きく衰退はしていないものの大きく深化することも無く平坦に推移して今日に至っているような印象を私は受けている。私が日本のシャツやジャケットの奥深さや幅広さを知らないだけなのだと思うが、生地の色柄やボタンの湾曲等は欧米のもののほうに私の好みに合致するものが多いと感じる。そのようなことから殆ど小売のような量を海外の個人にも販売発送してくれる欧米の生地資材業者を探してもらったり、連絡を取ってこちらの聞きたいことを伝えて回答を頂いたりするのに冒頭の知り合いの手を借りている。
彼女は私のかつてのアルバイト先の先輩である。私は大学在学中にアパレルブランドの店舗の販売員をしていたことがあり、その時に私に仕事を教えたのが彼女であった。彼女はその後そのアパレルブランドの正社員として数年間勤務した後、数回の転職を経て現在は服飾資材の商社に勤務している。多忙の合間を縫って私の趣味の企画にも付き合ってくれているにもかかわらず、彼女が私から受け取る報酬はその日の夕食とお酒のみである。私は彼女の給与からすると少ないであろう額の日当を支払うことを申し出たものの、彼女は「プライベートの時間にまで仕事したくないから」との理由でそれを断った。私はそれを申し訳なく思いつつ彼女に頼っている。
お酒を飲みながらする雑多な話の中で彼女が私をして言うには、「ほんと昔から何考えてるかわかんないよね」ということであった。
「Rさんは他人が何を考えているか分かるんですか」と私は思わず尋ねた。
「そんなこと言うからモテないんだよ」と彼女は笑った。「言っとくけど15年前にもおんなじこと言ったからね」
私がもてないのは言動のみが理由ではないと思うが、もてなくてよいから他人の考えが分かったらどんなに良いかと思う。しかし他人の有り難さはその分からなさに理由の一つがあるのではないかとも思う。真実は不思議なもので、自分が何かを分かったように感じてもほんとうにそれを分かっているかを確かめる術が無いのに、分かったと感じる前よりも分からないことが増えている。布やボタンは物体であるから定量的に測れる部分も多いとはいえ、その形や色にひとが見出す意味というものはあまり端的に表現されない。人間の身体も物体であるがその物性だけを取り出して論ずることは相当に限定された状況でないと成立しないものであると思う。例えば私が1個のボタンを手に取って見つめる時、小さなものの表面をただ眺めているとも云えるし、抽象的な観念に踏み込んでそこをさまよっているとも云える。私は時に何かに気付いたり何かを閃いたりする。しかし何かを知ることを経験せずに生を終えるかもしれない。
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