tinc さんの日記
2020
12月
5
(土)
15:15
本文
私は古典的な作りのアメリカ製のワークブーツを好んで履く。厚い革でできたアッパーに硬いゴムのソールが縫い付けられていて、ソールが減れば交換してまた履くことのできるものである。主にアッパーとソールを熱圧着して完成させる現代的な靴と異なり、針と糸で縫って作る靴は修理の回数が限界を迎えるかあるいはアッパーが致命的に損傷するまで履かれることを前提としているため、履き手は一足の靴と長く付き合うことになりがちである。
私のように重労働に従事するわけでもないのに重労働のために丈夫に作られたブーツを履く場合、ともすればそのブーツとは生涯の付き合いになることになる。1人の人間が死ぬまで履くことを念頭に作られる靴というものは通常無いが、私の場合に限ればブーツよりも先に私が死んで何も不思議でない。
ワークブーツはブーツの中でも付き合いやすいというか、履き手がどのような態度で接してもそれなりに応えてくれるという楽しみ方に幅広さのある部類のものだと思う。元が労働靴であるので特にメンテナンスをせずに汚して履いてもそれが一つの魅力になりやすいし、磨いたりオイルを入れたりして丁寧に手入れするときちんと艶を出す(起毛革なら別の手入れをすることが多い)。ソールを張り替える時にも選択肢が多く、履き心地や見た目の印象を変える余地が大きい。古典的な労働靴であるので硬く重く、雨の中を歩けば水が滲みてくるし脱ぎ履きも面倒というおよそ快適と云えない特徴の数々を持つものの、ただ立っていてもただ歩いていても履いている限り楽しいので、私はこのワークブーツという連中を好きでたまらない。ブーツのほうが私を嫌と言わないのをよいことに長らく世話になっている。
私はいつか靴を履いたまま過ごせる家に住みたいという願いを抱いている。この経済力の低さからするとおそらく実現しないと思いつつ、靴を履いたまま過ごせる家に住める見込みがあるなら経済力を獲得することを志向してもよいかもしれないとも思っている。
私の居候先であるところの私の実姉は、時に「あんたの靴のどうこうはもはや趣味じゃない。宗教」と私を揶揄する。何かをとても好きになると、その何かを特段好きでない人からの理解や共感を得難いこともある。ただ理解や共感にもそれらを得るなら得るなりの悪いこともあるし、何を好み何を嫌うかなどということは自分で舵取りの難しいところもあるものであるから、他人から何か言われたからといって自分の嗜好を改めなければならないということでもない。揶揄や非難には千切れた靴紐ほどの価値も無いことも多い。
今日は休日である。職場から離れた場所をブーツで歩く私の心は喜びと楽しみで満たされている。忘れてしまうこともあるが、私はやはり自分が人生に恵まれていると信じている。
私のように重労働に従事するわけでもないのに重労働のために丈夫に作られたブーツを履く場合、ともすればそのブーツとは生涯の付き合いになることになる。1人の人間が死ぬまで履くことを念頭に作られる靴というものは通常無いが、私の場合に限ればブーツよりも先に私が死んで何も不思議でない。
ワークブーツはブーツの中でも付き合いやすいというか、履き手がどのような態度で接してもそれなりに応えてくれるという楽しみ方に幅広さのある部類のものだと思う。元が労働靴であるので特にメンテナンスをせずに汚して履いてもそれが一つの魅力になりやすいし、磨いたりオイルを入れたりして丁寧に手入れするときちんと艶を出す(起毛革なら別の手入れをすることが多い)。ソールを張り替える時にも選択肢が多く、履き心地や見た目の印象を変える余地が大きい。古典的な労働靴であるので硬く重く、雨の中を歩けば水が滲みてくるし脱ぎ履きも面倒というおよそ快適と云えない特徴の数々を持つものの、ただ立っていてもただ歩いていても履いている限り楽しいので、私はこのワークブーツという連中を好きでたまらない。ブーツのほうが私を嫌と言わないのをよいことに長らく世話になっている。
私はいつか靴を履いたまま過ごせる家に住みたいという願いを抱いている。この経済力の低さからするとおそらく実現しないと思いつつ、靴を履いたまま過ごせる家に住める見込みがあるなら経済力を獲得することを志向してもよいかもしれないとも思っている。
私の居候先であるところの私の実姉は、時に「あんたの靴のどうこうはもはや趣味じゃない。宗教」と私を揶揄する。何かをとても好きになると、その何かを特段好きでない人からの理解や共感を得難いこともある。ただ理解や共感にもそれらを得るなら得るなりの悪いこともあるし、何を好み何を嫌うかなどということは自分で舵取りの難しいところもあるものであるから、他人から何か言われたからといって自分の嗜好を改めなければならないということでもない。揶揄や非難には千切れた靴紐ほどの価値も無いことも多い。
今日は休日である。職場から離れた場所をブーツで歩く私の心は喜びと楽しみで満たされている。忘れてしまうこともあるが、私はやはり自分が人生に恵まれていると信じている。
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