4月の日記 さんの日記
2020
12月
2
(水)
19:48
本文
1からの続きを・・・
駅の事務所で、駅員(駅長)さんから彼女が
倒れて、新大阪駅で下ろされ搬送された、
と言う話を聞いた後、果て?どうするか?
一瞬考えたが・・・
幸い財布の中には1万円何某があったので・・・
「そうですか、じゃあ今から友達を迎えに
行きます!」と返事をして、彼女が搬送された
病院の名前と大まかな住所をメモを書いて頂き、
実家の母親に事情を話して、新幹線に飛び乗り。
新大阪駅に向かった。
そこからタクシーを拾い、搬送先の病院名を
告げて急いで病院に向かった。
着いたその病院は、それほど大きな総合病院
では無かったように記憶している。
受付で彼女の名前を告げ、迎えに来たと話す。
「××さんは、こちらに居られますよ」とすぐに
看護師さんに引き継ぎ、彼女の寝かされている、
処置室のベッドに案内して下さった。
「××ちゃん!大丈夫?迎えに来たよ?」
彼女は顔色がまだ多少悪かったが、もう何とか
起き上がれて動けると言う。
迎えに来た、私の顔を見てほっとしたのか、
少し半泣き状態の表情に変わった。
既に、ご両親には病院側から連絡がいったとの事。
仮に長野の家に帰るにしても、ご両親は夜から
お店を開けるので離れる事は無理やし、
又どっちみち帰りの道中は1人になってしまう。
どうする?と聞いて、大丈夫と返事をしたので。
そのまま彼女を自分の実家に連れて行く事に・・・
改めて経緯を落ち着いてから聞いてみると。
彼女は元々小さな頃から腺病質で、度々過去に
自家中毒を起こしたりする事があったとか。
今回も慣れない長時間の度で、極度の緊張からか、
過呼吸を起こして意識が途中で朦朧として
しまったらしく・・・
その症状が新幹線内で出てしまったようだ。
幸いに居合わせた周りの人が、出来うる事を
してくれたそうで。
無事に、2人で実家に戻る事が出来た。
実家の両親も、そして彼女のご両親も相当の
驚きがあっただろう。
彼女のお父様からは丁重なお礼の電話が後で
掛かって来て、感謝の言葉を述べて下さった。
私も、たまたまお財布に交通費に充てられるだけのお金があったから、すぐに動けたが・・・
もし無かったら・・・どうしていただろうか?
それから、2回目は東京の友達と一緒に。
あの時は・・・あずさに乗った記憶があるかな。
それから、私は結婚し実家の方を離れて。
子供の育児や仕事に専念する状況になり・・・
彼女とは暫く交流もご無沙汰状態になった。
3回目は、それから25年振りに、実家の母親の
立っての希望で彼女の住む市に旅行し、彼女の
元を三度訪ねている。
懐かしい思い出が沢山・・・甦る。
料亭は縮小して居たが、ちゃんと健在だった。
その間に・・・
お互いの親も片親になってしまった。
彼女は、お母さまを。
私は父親を見送った。
そして、彼女もパン&ケーキ造りに磨きを掛けて
日々、精進していったのだろうと思う。
最初は身近な人達がファンになり、そして・・・
遂に地元のテレビでも放映される迄になって。
これからも、彼女には更なる活躍を願いたい。
いつも、ひょうきんで明るい彼女。
段々・・・少しずつ何だか遠くなってしまった様な
一抹の寂しさもあるけれど。
パンとケーキが届いたその晩に。
今度は子供と一緒に、是非彼女の元を訪れたい!
と希望を打ってSNSに送信した。
駅の事務所で、駅員(駅長)さんから彼女が
倒れて、新大阪駅で下ろされ搬送された、
と言う話を聞いた後、果て?どうするか?
一瞬考えたが・・・
幸い財布の中には1万円何某があったので・・・
「そうですか、じゃあ今から友達を迎えに
行きます!」と返事をして、彼女が搬送された
病院の名前と大まかな住所をメモを書いて頂き、
実家の母親に事情を話して、新幹線に飛び乗り。
新大阪駅に向かった。
そこからタクシーを拾い、搬送先の病院名を
告げて急いで病院に向かった。
着いたその病院は、それほど大きな総合病院
では無かったように記憶している。
受付で彼女の名前を告げ、迎えに来たと話す。
「××さんは、こちらに居られますよ」とすぐに
看護師さんに引き継ぎ、彼女の寝かされている、
処置室のベッドに案内して下さった。
「××ちゃん!大丈夫?迎えに来たよ?」
彼女は顔色がまだ多少悪かったが、もう何とか
起き上がれて動けると言う。
迎えに来た、私の顔を見てほっとしたのか、
少し半泣き状態の表情に変わった。
既に、ご両親には病院側から連絡がいったとの事。
仮に長野の家に帰るにしても、ご両親は夜から
お店を開けるので離れる事は無理やし、
又どっちみち帰りの道中は1人になってしまう。
どうする?と聞いて、大丈夫と返事をしたので。
そのまま彼女を自分の実家に連れて行く事に・・・
改めて経緯を落ち着いてから聞いてみると。
彼女は元々小さな頃から腺病質で、度々過去に
自家中毒を起こしたりする事があったとか。
今回も慣れない長時間の度で、極度の緊張からか、
過呼吸を起こして意識が途中で朦朧として
しまったらしく・・・
その症状が新幹線内で出てしまったようだ。
幸いに居合わせた周りの人が、出来うる事を
してくれたそうで。
無事に、2人で実家に戻る事が出来た。
実家の両親も、そして彼女のご両親も相当の
驚きがあっただろう。
彼女のお父様からは丁重なお礼の電話が後で
掛かって来て、感謝の言葉を述べて下さった。
私も、たまたまお財布に交通費に充てられるだけのお金があったから、すぐに動けたが・・・
もし無かったら・・・どうしていただろうか?
それから、2回目は東京の友達と一緒に。
あの時は・・・あずさに乗った記憶があるかな。
それから、私は結婚し実家の方を離れて。
子供の育児や仕事に専念する状況になり・・・
彼女とは暫く交流もご無沙汰状態になった。
3回目は、それから25年振りに、実家の母親の
立っての希望で彼女の住む市に旅行し、彼女の
元を三度訪ねている。
懐かしい思い出が沢山・・・甦る。
料亭は縮小して居たが、ちゃんと健在だった。
その間に・・・
お互いの親も片親になってしまった。
彼女は、お母さまを。
私は父親を見送った。
そして、彼女もパン&ケーキ造りに磨きを掛けて
日々、精進していったのだろうと思う。
最初は身近な人達がファンになり、そして・・・
遂に地元のテレビでも放映される迄になって。
これからも、彼女には更なる活躍を願いたい。
いつも、ひょうきんで明るい彼女。
段々・・・少しずつ何だか遠くなってしまった様な
一抹の寂しさもあるけれど。
パンとケーキが届いたその晩に。
今度は子供と一緒に、是非彼女の元を訪れたい!
と希望を打ってSNSに送信した。
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