ゆっちゃん さんの日記
2020
11月
4
(水)
11:02
本文
こんなに明るい朝に
追悼文を載せなければならないなんて。
詩人 清水昶さん。
1975年「野の舟」で
H氏賞の候補になったのを皮切りに
お兄さんの哲男さんもそうでしたが
数々の詩集を上梓され、ご活躍だった。
Mさんには以前お話ししましたが。
家に泊まりに来る
酔っ払い集団、のお一人でした。
みなさん、新宿のゴールデン街で
散々飲んで、正体をほぼ無くし。
その流れで来て、
驚くことにさらに飲み始める。
馬鹿者ばかり、笑。
でも当時の文壇の著名人ばかり。
俳人のOさん、絶叫型歌人のFさん、
映画監督のYさん、評論家のOさん、
詩人のAさん、Tさん、等々‥‥‥
ベネチアのヴィエンナーレで賞をとったばかりの
彫刻家のHさん、
本屋さんに行くと
書棚にはみなさんの著書がずらーり。
当時の編集者なら涎を流す人ばかり。
明け方頃ようやく眠りにつき
昼頃起き始める。
1歳の子供にアルチュールランボーやら
論語やらを諳んじさせて面白がる。
ようやく立ち始めたような子供が、いきなり
見えた
何が
永遠が
海と番った太陽が
とか
子曰く
なんて、言い始める、
こらこら、子供で遊ぶんじゃない、笑。
清水昶さんは飄々とした方で
物腰の柔らかい方でした。
でもその詩の中の言葉は強かった。
よく庭の大石の上で本気で寝てました。
彫刻家のHさんは近所の畑の大根を
抜いてその場でかじり出す。
歌人のFさんは、モカをキリマンジャロと言い張る。
同じく歌人のOさんは奥さんから家を追い出され。
変人集団、とも言います、笑。
こんな方々と一緒にお話しできた経験は
私の中にしっかり宝物として残っています。
その清水昶さんが
2011年に70歳で亡くなっていたことを
昨日知り愕然としています。
ついに一語の
凶弾となれ
ご冥福をお祈りします。
追悼文を載せなければならないなんて。
詩人 清水昶さん。
1975年「野の舟」で
H氏賞の候補になったのを皮切りに
お兄さんの哲男さんもそうでしたが
数々の詩集を上梓され、ご活躍だった。
Mさんには以前お話ししましたが。
家に泊まりに来る
酔っ払い集団、のお一人でした。
みなさん、新宿のゴールデン街で
散々飲んで、正体をほぼ無くし。
その流れで来て、
驚くことにさらに飲み始める。
馬鹿者ばかり、笑。
でも当時の文壇の著名人ばかり。
俳人のOさん、絶叫型歌人のFさん、
映画監督のYさん、評論家のOさん、
詩人のAさん、Tさん、等々‥‥‥
ベネチアのヴィエンナーレで賞をとったばかりの
彫刻家のHさん、
本屋さんに行くと
書棚にはみなさんの著書がずらーり。
当時の編集者なら涎を流す人ばかり。
明け方頃ようやく眠りにつき
昼頃起き始める。
1歳の子供にアルチュールランボーやら
論語やらを諳んじさせて面白がる。
ようやく立ち始めたような子供が、いきなり
見えた
何が
永遠が
海と番った太陽が
とか
子曰く
なんて、言い始める、
こらこら、子供で遊ぶんじゃない、笑。
清水昶さんは飄々とした方で
物腰の柔らかい方でした。
でもその詩の中の言葉は強かった。
よく庭の大石の上で本気で寝てました。
彫刻家のHさんは近所の畑の大根を
抜いてその場でかじり出す。
歌人のFさんは、モカをキリマンジャロと言い張る。
同じく歌人のOさんは奥さんから家を追い出され。
変人集団、とも言います、笑。
こんな方々と一緒にお話しできた経験は
私の中にしっかり宝物として残っています。
その清水昶さんが
2011年に70歳で亡くなっていたことを
昨日知り愕然としています。
ついに一語の
凶弾となれ
ご冥福をお祈りします。
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