tinc さんの日記
2020
10月
27
(火)
16:46
本文
時々で自分を使い分けることの上手い人もいる。私はこれが滅法苦手で苦労している。
多くの人は親としての顔、上司としての顔、近所の一住人としての顔、友人としての顔などを相手ごとに持ち合わせていて、何を話して何を話さないか、どのような表情を拵えてどんな言葉遣いをするかということが整理整頓されているようであるが、何故そんなことができるのか私からすれば不思議で仕方が無い。相手が怒りを爆発させてから神妙そうな顔を作って火に油を注ぐ、吐いた嘘を忘れて矛盾する話をして絶句されるということを今日までの人生において繰り返しているのが私である。だいたい私には他人の感情を慮るような想像力や、嘘を考えて口に出した後までその内容を憶えておくような記憶力は無い。ひとの顔も名前も聞いた話も大方はすぐ忘れてしまう。物事に関心の無いほうではないと思うので能力的な部分が原因であろう。
多くの人ができることをできない人間にはよくあることだと思うのだが、私はみんなが自分を騙しているのではないかと想像して苦しんだことがある。嘘の一つも吐けない、お世辞の一つも言えない、社交ができない、つまりみんなと違っているから劣っているというふうに悪口を言われているのではないかという疑念が頭を離れないということが一時期あった。しかしこれは決して想像の域を出ず何も明らかにせず、仮に的中していたとして自身のすべきことに何らの影響を与えない無益な疑念である。そのことに気付いてからは上手な立ち居振る舞いをしてみんなから気に入られようと試みることを諦めて楽になった。多くのことは上手にやろうとすると楽しくない。好きなようにすると楽しい。私は上手に生きて楽しくないよりも好きに生きて楽しいほうが良かろうと思うのである。
私がそういう考えでいるからか、私なりにやっていても許してくれるような寛大な人が私の周囲には残ることになった。また私の物覚えが悪かろうと考えが未熟であろうとそれを感情的に叱責したり嘲笑して晒しものにしたりするような人もいない。近頃聞く私の変だと思う言葉、所謂「人間力」なるものを持ち合わせない人間に対しても公正で慈悲深い人もいるものだ。そしてそのような人は私がちょっと想像するよりもずっと多いのだ。
持たざる者が最も多く持つという逆説がある。あるいは敗者が総取りするとも云う。私は貧しいけれどもそれゆえに富んでいるのかもしれない。富んでいるとすればそれは与えられ恵まれたものであるから、私は今後誰かへ何かを分け与えることのできる人物になりたいと思う。
多くの人は親としての顔、上司としての顔、近所の一住人としての顔、友人としての顔などを相手ごとに持ち合わせていて、何を話して何を話さないか、どのような表情を拵えてどんな言葉遣いをするかということが整理整頓されているようであるが、何故そんなことができるのか私からすれば不思議で仕方が無い。相手が怒りを爆発させてから神妙そうな顔を作って火に油を注ぐ、吐いた嘘を忘れて矛盾する話をして絶句されるということを今日までの人生において繰り返しているのが私である。だいたい私には他人の感情を慮るような想像力や、嘘を考えて口に出した後までその内容を憶えておくような記憶力は無い。ひとの顔も名前も聞いた話も大方はすぐ忘れてしまう。物事に関心の無いほうではないと思うので能力的な部分が原因であろう。
多くの人ができることをできない人間にはよくあることだと思うのだが、私はみんなが自分を騙しているのではないかと想像して苦しんだことがある。嘘の一つも吐けない、お世辞の一つも言えない、社交ができない、つまりみんなと違っているから劣っているというふうに悪口を言われているのではないかという疑念が頭を離れないということが一時期あった。しかしこれは決して想像の域を出ず何も明らかにせず、仮に的中していたとして自身のすべきことに何らの影響を与えない無益な疑念である。そのことに気付いてからは上手な立ち居振る舞いをしてみんなから気に入られようと試みることを諦めて楽になった。多くのことは上手にやろうとすると楽しくない。好きなようにすると楽しい。私は上手に生きて楽しくないよりも好きに生きて楽しいほうが良かろうと思うのである。
私がそういう考えでいるからか、私なりにやっていても許してくれるような寛大な人が私の周囲には残ることになった。また私の物覚えが悪かろうと考えが未熟であろうとそれを感情的に叱責したり嘲笑して晒しものにしたりするような人もいない。近頃聞く私の変だと思う言葉、所謂「人間力」なるものを持ち合わせない人間に対しても公正で慈悲深い人もいるものだ。そしてそのような人は私がちょっと想像するよりもずっと多いのだ。
持たざる者が最も多く持つという逆説がある。あるいは敗者が総取りするとも云う。私は貧しいけれどもそれゆえに富んでいるのかもしれない。富んでいるとすればそれは与えられ恵まれたものであるから、私は今後誰かへ何かを分け与えることのできる人物になりたいと思う。
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