tinc さんの日記
2020
10月
21
(水)
00:11
本文
近頃は職を探しているので履歴書や職務経歴書等をよく作成している。学歴や職歴や免許資格といった事項は事実を述べるだけのものであるし、過去の職務に応募先のそれに関連する部分があれば多少詳細に書くこともあるとはいえ、だいたいどの求人元へ提出するにしても同じことを書くことになる。
その中で志望動機という欄は特殊で、応募先のどのあたりに自分としては魅力を感じていて、採用された後に何をできそうだと考えているのかということを書くところなので応募先が違えば書くことも違うことになる。求人情報の書きぶりや会社の沿革等、収集できる範囲で収集した情報から憶測して、なるべく相手としてもこちらに興味を持つであろうという表現にすること等考えようと思えば考えることの増えてゆく箇所である。
私は過去に経験した職で全く面白くないと感じたものは無い。業務そのものが興味深かったり同僚に恵まれたりという良いことが必ずどこかあった。そのことからであろうが働くことに対して漠然と良い印象を持っている。最近は就職活動そのものもなかなか楽しいと思い始めており、上述の志望動機の欄の内容は自分なりにわりと工夫をして書類を作っている。書類選考で不採用となった原因を想像したり、面接を担当して下さった方から様々の話を聞いてその企業なり団体なりの事業に関して思いを巡らしていたりする。もっと切羽詰って働かないと衣食住にも困るということになればそのような余裕も無くなるのだと思うが、多少は余裕があるうちに良さそうなところを吟味したほうが長期的には良いであろう。
無職の期間が長くその間パートに就いては短期間で退職しているという私のパターンはおそらく人材としては最悪に近い部類のものであり、現に私は既にかなりの数の不採用通知を受け取っている。人によっては不採用通知を受け取ると気分がよろしくないという向きもあろうが、私は自分の人材価値を考えるに当然向こうは採りたくないと考えるであろうと感じる。ハローワークの職員の方の中には心配そうな顔をして下さる方もいるものの、私自身は今更心配したり焦ったりするほうがどうかしていると思っている。この状況を陰鬱な閉塞だと思うくらいなら何年も前にもっと違う身の処し方をしていた。
陰鬱な閉塞はいつでもどこにでも存在する。いつでもそれに触れて没入し、息苦しくて強張るような思いをすることができる。私は根が能天気なのであまり自分からそういうところへ足を踏み入れる性向ではない。基本的には楽であったり楽しかったり穏やかであったりという気分でいる。仮に今までの行き方を猛省せよと言われても履歴書に書くことが変わるわけではない。また仮に今まで気ままに生きてきたつけが回ってきて職に就けずにいるのだと諭されても、気ままに生きさせてもらったのだから職に関して贅沢は言わないということで勘弁してもらおうと思っている。
はみ出し者は嫌われたりいじめられたり裁かれたりするが、そういった外圧がはみ出し者を矯正して馴染みよい者に変えることはいつも成功するわけではない。そしてその是非も問われるべきである。私はたぶん今後もどこにも馴染まないし、私をどこかに馴染ませようとする人が現れたら戦うか逃げるかを選ぶであろう。ひとの言うことを素直に聞くのは素直に聞きたい時だけでよいと思っている。
その中で志望動機という欄は特殊で、応募先のどのあたりに自分としては魅力を感じていて、採用された後に何をできそうだと考えているのかということを書くところなので応募先が違えば書くことも違うことになる。求人情報の書きぶりや会社の沿革等、収集できる範囲で収集した情報から憶測して、なるべく相手としてもこちらに興味を持つであろうという表現にすること等考えようと思えば考えることの増えてゆく箇所である。
私は過去に経験した職で全く面白くないと感じたものは無い。業務そのものが興味深かったり同僚に恵まれたりという良いことが必ずどこかあった。そのことからであろうが働くことに対して漠然と良い印象を持っている。最近は就職活動そのものもなかなか楽しいと思い始めており、上述の志望動機の欄の内容は自分なりにわりと工夫をして書類を作っている。書類選考で不採用となった原因を想像したり、面接を担当して下さった方から様々の話を聞いてその企業なり団体なりの事業に関して思いを巡らしていたりする。もっと切羽詰って働かないと衣食住にも困るということになればそのような余裕も無くなるのだと思うが、多少は余裕があるうちに良さそうなところを吟味したほうが長期的には良いであろう。
無職の期間が長くその間パートに就いては短期間で退職しているという私のパターンはおそらく人材としては最悪に近い部類のものであり、現に私は既にかなりの数の不採用通知を受け取っている。人によっては不採用通知を受け取ると気分がよろしくないという向きもあろうが、私は自分の人材価値を考えるに当然向こうは採りたくないと考えるであろうと感じる。ハローワークの職員の方の中には心配そうな顔をして下さる方もいるものの、私自身は今更心配したり焦ったりするほうがどうかしていると思っている。この状況を陰鬱な閉塞だと思うくらいなら何年も前にもっと違う身の処し方をしていた。
陰鬱な閉塞はいつでもどこにでも存在する。いつでもそれに触れて没入し、息苦しくて強張るような思いをすることができる。私は根が能天気なのであまり自分からそういうところへ足を踏み入れる性向ではない。基本的には楽であったり楽しかったり穏やかであったりという気分でいる。仮に今までの行き方を猛省せよと言われても履歴書に書くことが変わるわけではない。また仮に今まで気ままに生きてきたつけが回ってきて職に就けずにいるのだと諭されても、気ままに生きさせてもらったのだから職に関して贅沢は言わないということで勘弁してもらおうと思っている。
はみ出し者は嫌われたりいじめられたり裁かれたりするが、そういった外圧がはみ出し者を矯正して馴染みよい者に変えることはいつも成功するわけではない。そしてその是非も問われるべきである。私はたぶん今後もどこにも馴染まないし、私をどこかに馴染ませようとする人が現れたら戦うか逃げるかを選ぶであろう。ひとの言うことを素直に聞くのは素直に聞きたい時だけでよいと思っている。
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