tinc さんの日記
2020
10月
19
(月)
00:01
本文
私は統合失調症という精神病を持っている。かつて精神分裂病と呼ばれていたこの病気は人によって発現の仕方が様々であると聞く。
私の主な症状は幻聴である。幻聴は現実に存在する声と変わらないくらいはっきりと聞こえ、「死ね」とか「もう充分生きたのだから、早く終わらせて楽になりなさい」とかの生存を否定する内容のものが多い。普段はあまり気にせずに生活を送ることができているが、疲労を感じていたり寝不足だったりアトピー性皮膚炎の調子が悪かったり、何らかの強いストレス下にあることで刺激への耐性が低下している場合に幻聴がやかましくて周囲の状況の見当がつかなくなることがある。こうなると困りもので、何とかして住居へ戻って毛布だけ被って部屋の隅でうずくまり、幻聴が遠のいて周囲へも目を向けられるようになるのを待つしか対処の術は無い。
今日(日付が変わって昨日)はパートの面接があり、その帰路の電車の中で何かが爆発したかのように突然に私の聴覚は幻聴に支配された。電車が停車してドアが開くや否や私は下車し、自分がどこの駅で降りたのかすら知らないままホームから転落しないことだけを考えてゆっくりと歩き、改札を出てタクシーで帰宅した。ドライバーの方へ住所を告げる自分の声も幻聴に紛れて聞こえなかったので、正しく辿り着けるかどうかが不安だった。
毛布の中でどれだけの時間が経過したのかは定かでないながら夕方には落ち着いて、スーパーへ買い物に行って姉の帰宅までに質素な夕食を拵えることはできた。
姉は帰宅するなり「何かあったの?」と私に尋ねた。
「午前中にパートの面接に行ってきた」
「面接でそんな顔にならないでしょ。病気?」
「うん病気」
「そういう時はご飯も何もやめなよ。寝てなよ」
「そうする」
そうする、とは言ったものの私は本当に今後そうするのかあやしい。
日常の生活にしがみつきたいという執着、外で仕事をしている姉をなるべく家のことで煩わせたくないという拘りがある。つまり身勝手なのである。
私は自分のことを自分でよく知らない。ストレスが病状を悪化させると最初に書いたが、本当にそうだろうか。自覚できるようなストレスは一因かもしれないとして、病気というものは一度形を成せば止められず肥大してゆくこともある。原因があって結果があることが確かだとして、その関係をそんなに簡単に把握できるものだろうか。私は物体が上から下に落ちる仕組みもろくに知らないのに。
昔のことを思い出す。親から怒鳴られたり殴られたりすればするほどに生きようという思いを強くしたこと。分からないことが増えるほど賢くなりたいと願ったこと。自分の醜さをまざまざと見るにつけ美しいものを見聞きしようと出歩いたこと。侮蔑される度に自信を増したこと。
これらは私が不健全な資源から得た、云わば逆さまの自我である。正方向の自我も無いではない。ほんとうは優しさと温かさと自由と平等が好き。何が優しさで温かさで自由で平等であるのかは、感性と理性の両方で適切に検証したい。
私が生きるのは本当に死ぬのが怖いだけだろうか。病気がひとりでに進行するかのように自己も勝手に大きくなっているのではないだろうか。もっと本を読んで絵画や映画を観て音楽を聴いて数学や物理学や論理学を学んで、いろいろな人に会って、犬や猫や草花の姿を見たい。いつもの道も知らない道も歩きたい。陽の光と月の光を浴びて雨に打たれたい。
私は真の苦労や苦痛をおそらくまだ知らない。だから言えることなのかも知れないが、生きて帰ってこられてよかった。
私の主な症状は幻聴である。幻聴は現実に存在する声と変わらないくらいはっきりと聞こえ、「死ね」とか「もう充分生きたのだから、早く終わらせて楽になりなさい」とかの生存を否定する内容のものが多い。普段はあまり気にせずに生活を送ることができているが、疲労を感じていたり寝不足だったりアトピー性皮膚炎の調子が悪かったり、何らかの強いストレス下にあることで刺激への耐性が低下している場合に幻聴がやかましくて周囲の状況の見当がつかなくなることがある。こうなると困りもので、何とかして住居へ戻って毛布だけ被って部屋の隅でうずくまり、幻聴が遠のいて周囲へも目を向けられるようになるのを待つしか対処の術は無い。
今日(日付が変わって昨日)はパートの面接があり、その帰路の電車の中で何かが爆発したかのように突然に私の聴覚は幻聴に支配された。電車が停車してドアが開くや否や私は下車し、自分がどこの駅で降りたのかすら知らないままホームから転落しないことだけを考えてゆっくりと歩き、改札を出てタクシーで帰宅した。ドライバーの方へ住所を告げる自分の声も幻聴に紛れて聞こえなかったので、正しく辿り着けるかどうかが不安だった。
毛布の中でどれだけの時間が経過したのかは定かでないながら夕方には落ち着いて、スーパーへ買い物に行って姉の帰宅までに質素な夕食を拵えることはできた。
姉は帰宅するなり「何かあったの?」と私に尋ねた。
「午前中にパートの面接に行ってきた」
「面接でそんな顔にならないでしょ。病気?」
「うん病気」
「そういう時はご飯も何もやめなよ。寝てなよ」
「そうする」
そうする、とは言ったものの私は本当に今後そうするのかあやしい。
日常の生活にしがみつきたいという執着、外で仕事をしている姉をなるべく家のことで煩わせたくないという拘りがある。つまり身勝手なのである。
私は自分のことを自分でよく知らない。ストレスが病状を悪化させると最初に書いたが、本当にそうだろうか。自覚できるようなストレスは一因かもしれないとして、病気というものは一度形を成せば止められず肥大してゆくこともある。原因があって結果があることが確かだとして、その関係をそんなに簡単に把握できるものだろうか。私は物体が上から下に落ちる仕組みもろくに知らないのに。
昔のことを思い出す。親から怒鳴られたり殴られたりすればするほどに生きようという思いを強くしたこと。分からないことが増えるほど賢くなりたいと願ったこと。自分の醜さをまざまざと見るにつけ美しいものを見聞きしようと出歩いたこと。侮蔑される度に自信を増したこと。
これらは私が不健全な資源から得た、云わば逆さまの自我である。正方向の自我も無いではない。ほんとうは優しさと温かさと自由と平等が好き。何が優しさで温かさで自由で平等であるのかは、感性と理性の両方で適切に検証したい。
私が生きるのは本当に死ぬのが怖いだけだろうか。病気がひとりでに進行するかのように自己も勝手に大きくなっているのではないだろうか。もっと本を読んで絵画や映画を観て音楽を聴いて数学や物理学や論理学を学んで、いろいろな人に会って、犬や猫や草花の姿を見たい。いつもの道も知らない道も歩きたい。陽の光と月の光を浴びて雨に打たれたい。
私は真の苦労や苦痛をおそらくまだ知らない。だから言えることなのかも知れないが、生きて帰ってこられてよかった。
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