tinc さんの日記
2020
10月
16
(金)
00:05
本文
長野まゆみさんという作家がいる。有名な方なのだが私は長いことこの人の存在を知らなかった。長野さんの作品のいくつかを読むきっかけになったのは、互いに全く接点の無い2人の知り合いから私について「長野まゆみの小説に出てきそう」という感想を受けたことであった。
いくつかを読んだだけで何かを言うのはおかしいのかもしれないが、長野まゆみさんはきわめて透明で耽美な世界を詩的で知的な文章で描く人であると思う。登場人物の多くは人間離れしているほど繊細な感受性や感情の持ち主であり現に人間を超越した何かであると思われる場合もある。私自身は不細工で下品な俗物であり、長野さんの小説の登場人物とは似ても似つかないどころか対極にあると云ってよいような人物である。
私が長野さんの作品のいくつかを読んで感じたことは、私に関して「長野まゆみの小説に出てきそう」と言った2人の人が互いに似ていると私が感じているということである。2人とも知的で感受性豊かで、感情の起伏を表面化させることの多い人である。つまり私からすれば彼女らのほうが少なくとも私よりも余程長野まゆみさんの小説の印象に近いところを持っている。
これは何なのか、と私が考えたところでは、彼女らはきっと長野まゆみさんの小説に出てくるような人物を現実の社会にも求めており、たまたまそれを仮託されそうになったのが私であったのではないかという想像がある。
私もロックミュージシャンや作家や画家や学者を自分にとってのヒーローだと思っていることが多くある。しかし彼らは卓越した所業を為していたとしても現実の人間である。また私は身近の人々のことを尊敬したり軽蔑したりすることがある。同じく彼らも現実の人間である。この世には英雄も悪の化身もいない。しかし描像があるのだと思う。
いくつかを読んだだけで何かを言うのはおかしいのかもしれないが、長野まゆみさんはきわめて透明で耽美な世界を詩的で知的な文章で描く人であると思う。登場人物の多くは人間離れしているほど繊細な感受性や感情の持ち主であり現に人間を超越した何かであると思われる場合もある。私自身は不細工で下品な俗物であり、長野さんの小説の登場人物とは似ても似つかないどころか対極にあると云ってよいような人物である。
私が長野さんの作品のいくつかを読んで感じたことは、私に関して「長野まゆみの小説に出てきそう」と言った2人の人が互いに似ていると私が感じているということである。2人とも知的で感受性豊かで、感情の起伏を表面化させることの多い人である。つまり私からすれば彼女らのほうが少なくとも私よりも余程長野まゆみさんの小説の印象に近いところを持っている。
これは何なのか、と私が考えたところでは、彼女らはきっと長野まゆみさんの小説に出てくるような人物を現実の社会にも求めており、たまたまそれを仮託されそうになったのが私であったのではないかという想像がある。
私もロックミュージシャンや作家や画家や学者を自分にとってのヒーローだと思っていることが多くある。しかし彼らは卓越した所業を為していたとしても現実の人間である。また私は身近の人々のことを尊敬したり軽蔑したりすることがある。同じく彼らも現実の人間である。この世には英雄も悪の化身もいない。しかし描像があるのだと思う。
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