tinc さんの日記
2020
10月
15
(木)
00:30
本文
今日は魅力を感じる求人を見つけられずハローワークへ行かなかった。家事の合間に100円ショップや300円ショップへ行って身の周りのものを収納する箱や棚の類を探してきた。以前のアパートから持ってきた荷物は少ないとはいえ靴下やハンドタオル等の収納場所が姉と共用だと不便な時がある。
収納の仕方に関しても姉からは干渉があり、私は収納のための場所に物の置かれていない空間を少し設けて物の出し入れをしやすいようにしておきたいのであるが、姉は収納空間いっぱいに物を詰め込むのを好み私へもそうせよと言う。間借りしている身としては特に空間の使い方に関しては言われた通りにするべきなのだと思うが、収納のための箱や棚が占める空間は内容物の量に関わらず同じであるので姉のいつもの理不尽な拘りの押し付けだと思って反発もしている。
姉と私の間のどうでもよいような確執に関してはさておき、100円ショップや300円ショップというのは買い物をさせて頂いていてたいへん楽しい。「え!?これが100円!?」という安物の宣伝に出てきそうな台詞がしょっちゅう頭に浮かぶ。品物が安いことの背景に搾取が無いことを願いつつ、また起き場所や使う予定さえあれば購入したいと思うものをいくつも心に残しつつ、その時々で必要なものを購入してお店を後にすることが続いている。今日は靴下やハンドタオル等を入れておく合成樹脂製の箱と、ハローワーク経由での応募先が増えてきたのでその関連の書類を管理するためのファイルや小さな手帳を買った。手帳の表紙は犬の写真でかわいらしい。
引越し前に持ち物を大量に手放す時にも感じたことであるが、何を持ち何を持たないか、持っているものはどこへ置いておくか、等のことを考えるには頭を使うので、持ち物や収納には頭の中身が何かの形で反映される部分があるような気がしている。散らかっていた部屋を整頓清掃すると気持ちがすっきりしたという体験はよく耳にするところである。あまり汚れる前に頻繁に清掃をするほうが楽であるということは、病気や怪我が発生してから治療するよりも予防しておくほうが被害が少ないということにも通ずるところがあるようにも思う。予防されたものは最初から存在しないので予防の効果というものは検証が困難である。しかしあまり深く心が傷つく前に手当てをしておくと生活に支障が少ないということを私は幾度か経験しているので、何かが悪い芽であることが分かっている時は早めに摘んでおくのがよいと思っている。
そうは言っても良い芽も悪い芽もその時々のものの見方にかかっているので常に良い芽も常に悪い芽も無い。また良い芽だけを選んで育てることができるというのはきわめて限定された状況においてのみ成り立つ話である。
私は同居する姉のみならず、日々出会うあらゆる人々の様々の性質に対して良いとか悪いとかを感じてその恩恵に浴したりあるいはそれに対処したりするのであるが、他人は他人であって私からの好き嫌いを気にして私のために生きているわけではないことを私は分かっておかなければならないし、私がある人のある性質を良いとか悪いとか思うのは何故そう思うのか、それ以前にその人にその性質が存在すると云えるのは何故か、ということをもっと整理整頓する必要があると感じている。今の私の頭の中は雑然とまた混沌としている。まったく整然とせよと言うわけでもないがごみ溜めのようになってもいけない。靴下やハンドタオルや書類の整頓を考えながら、そのようなことにも思いの及んだ日であった。
収納の仕方に関しても姉からは干渉があり、私は収納のための場所に物の置かれていない空間を少し設けて物の出し入れをしやすいようにしておきたいのであるが、姉は収納空間いっぱいに物を詰め込むのを好み私へもそうせよと言う。間借りしている身としては特に空間の使い方に関しては言われた通りにするべきなのだと思うが、収納のための箱や棚が占める空間は内容物の量に関わらず同じであるので姉のいつもの理不尽な拘りの押し付けだと思って反発もしている。
姉と私の間のどうでもよいような確執に関してはさておき、100円ショップや300円ショップというのは買い物をさせて頂いていてたいへん楽しい。「え!?これが100円!?」という安物の宣伝に出てきそうな台詞がしょっちゅう頭に浮かぶ。品物が安いことの背景に搾取が無いことを願いつつ、また起き場所や使う予定さえあれば購入したいと思うものをいくつも心に残しつつ、その時々で必要なものを購入してお店を後にすることが続いている。今日は靴下やハンドタオル等を入れておく合成樹脂製の箱と、ハローワーク経由での応募先が増えてきたのでその関連の書類を管理するためのファイルや小さな手帳を買った。手帳の表紙は犬の写真でかわいらしい。
引越し前に持ち物を大量に手放す時にも感じたことであるが、何を持ち何を持たないか、持っているものはどこへ置いておくか、等のことを考えるには頭を使うので、持ち物や収納には頭の中身が何かの形で反映される部分があるような気がしている。散らかっていた部屋を整頓清掃すると気持ちがすっきりしたという体験はよく耳にするところである。あまり汚れる前に頻繁に清掃をするほうが楽であるということは、病気や怪我が発生してから治療するよりも予防しておくほうが被害が少ないということにも通ずるところがあるようにも思う。予防されたものは最初から存在しないので予防の効果というものは検証が困難である。しかしあまり深く心が傷つく前に手当てをしておくと生活に支障が少ないということを私は幾度か経験しているので、何かが悪い芽であることが分かっている時は早めに摘んでおくのがよいと思っている。
そうは言っても良い芽も悪い芽もその時々のものの見方にかかっているので常に良い芽も常に悪い芽も無い。また良い芽だけを選んで育てることができるというのはきわめて限定された状況においてのみ成り立つ話である。
私は同居する姉のみならず、日々出会うあらゆる人々の様々の性質に対して良いとか悪いとかを感じてその恩恵に浴したりあるいはそれに対処したりするのであるが、他人は他人であって私からの好き嫌いを気にして私のために生きているわけではないことを私は分かっておかなければならないし、私がある人のある性質を良いとか悪いとか思うのは何故そう思うのか、それ以前にその人にその性質が存在すると云えるのは何故か、ということをもっと整理整頓する必要があると感じている。今の私の頭の中は雑然とまた混沌としている。まったく整然とせよと言うわけでもないがごみ溜めのようになってもいけない。靴下やハンドタオルや書類の整頓を考えながら、そのようなことにも思いの及んだ日であった。
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