tinc さんの日記
2020
9月
16
(水)
23:01
本文
私の知人に顔を合わせるなり「今日も格好いいね」と言ってくれる女性がいる。その後も普通の言動に対して逐一「その観点いい」とか「気が効くね」等の褒め言葉を投げてくれるので、私も何とか考えて彼女へ褒め言葉を返すのであるがとても追いつかない。天賦の才か修練の賜物か、おそらくその両方であろうと思う。円滑な人間関係を構築する手本のような人であり立派に感じる。
別の知人がその彼女と私を伴って飼い犬の散歩に出かけた時があった。彼女は犬が立ち止まれば「お、何かに気づいたな。なになに?」と犬の側でしゃがみこみ、犬が側溝を跳んで越えれば「ジャンプできたねー、えらいねー」と声を掛けていた。公園に着いてからは犬が飼い主の投げたボールを咥えて戻ってくる度に犬の頬の毛が大方抜けるのではないかというくらい撫でていた。私はその様子を見て以来その人を尚更立派に感じている。自分を肯定する者に信頼を抱きがちであるのは人も犬も同じであると思う。
私は彼女の態度から学ぶべきところが多分にある。褒めることは元来私の性分ではないのでおいそれと真似できないものの、誰かの言動の意味や良さに気づいてそれらに着目するということをできるようになれば、そのほうが人づきあいも楽しいものになるであろう。苦労を見せず弱音を吐かず恥をさらさないのが美徳であるとされることが多いが、ひとの営みの背後に苦労や弱音や恥が現に存在することを考えれば、誰もが何かを乗り越えて生活をしているのである。私はこのことをつい忘れてしまうので、彼女のように人も犬も具に見て、何かを乗り越えた末の営為の有り難さを思い出したいものである。
別の知人がその彼女と私を伴って飼い犬の散歩に出かけた時があった。彼女は犬が立ち止まれば「お、何かに気づいたな。なになに?」と犬の側でしゃがみこみ、犬が側溝を跳んで越えれば「ジャンプできたねー、えらいねー」と声を掛けていた。公園に着いてからは犬が飼い主の投げたボールを咥えて戻ってくる度に犬の頬の毛が大方抜けるのではないかというくらい撫でていた。私はその様子を見て以来その人を尚更立派に感じている。自分を肯定する者に信頼を抱きがちであるのは人も犬も同じであると思う。
私は彼女の態度から学ぶべきところが多分にある。褒めることは元来私の性分ではないのでおいそれと真似できないものの、誰かの言動の意味や良さに気づいてそれらに着目するということをできるようになれば、そのほうが人づきあいも楽しいものになるであろう。苦労を見せず弱音を吐かず恥をさらさないのが美徳であるとされることが多いが、ひとの営みの背後に苦労や弱音や恥が現に存在することを考えれば、誰もが何かを乗り越えて生活をしているのである。私はこのことをつい忘れてしまうので、彼女のように人も犬も具に見て、何かを乗り越えた末の営為の有り難さを思い出したいものである。
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