tinc さんの日記
2020
9月
3
(木)
00:11
本文
昨日の夕方頃にヘアサロンへお邪魔し散髪とパーマを施して頂いた。長らく背中の半ばほどまであった髪を昨年一度短髪にしてしまったこともありパーマは久しぶりである。カラーを入れていない黒い髪でも動きが加わると見た目にまとまりが生じて気分が落ち着く。そういった小さなことが侮れない。心なんてお天気で変わるという歌があったことを思い出した。
スタイリストの方には7年以上お世話になっており、私は彼の前では少し自分からも話す姿勢を取ることができる。今日の話題は主に見た目に関しての理論についてのことであった。髪型にせよ服装にせよこういうタイプの人にはこれが似合うとかあれは駄目とかいうことがよく言われるものの、それらの理論には根拠が無いことも多く具体的な指針だからといって必ずしも信用に値するものとは限らないということでわれわれは意見の一致を見た。
「この仕事してて言うのもなんだけど」と彼は言った。「格好良いとか可愛いとか、形の問題だけじゃないと思うんだよね。心意気が大事だよやっぱり」
私はそれを聞いて、ありふれた言説に見えるが考えを進めるべきところだと感じた。髪の毛を好きなように整えたり好きな服を着たりすると心は変わるが、好きなものは心の意向を反映している。物的なものは常に目に見えるかというと大きさが異なったり距離が離れたりすれば見えないことも多い。心的な要素は行動に表れることもあるし、脳を探査できればもっと可視化できるのかもしれないし、あるいはできないのかもしれない。物とは何であって心とは何なのか。私が何かを認識するやり方はどのくらい妥当なのか。殆ど妥当でないと思う。少しでも妥当だったらきっともっと様々の問いに定量的で批判に耐える答えを出せる。妥当でないのは私のやり方がまずいのか、私の知恵では無理なのか、私だけでなく誰がやっても原理的に妥当な認識はできないのか。
パーマの薬剤が作用するのを待つ間そのようなことが頭の中を巡って、いつの間にか眠っていた。
会計の際「綺麗に仕上げて頂いて、気分が良くなりました」と私は彼へ礼を述べた。
「疲れてたかもね。お互いあまり気負わずにやりましょう」と彼は笑った。
言われてみれば妙な気負いが無くなったような気もする。思うところの自分に髪の毛だけでも近づくということで、少し自分に立ち返ることになったのだろうか。
スタイリストの方には7年以上お世話になっており、私は彼の前では少し自分からも話す姿勢を取ることができる。今日の話題は主に見た目に関しての理論についてのことであった。髪型にせよ服装にせよこういうタイプの人にはこれが似合うとかあれは駄目とかいうことがよく言われるものの、それらの理論には根拠が無いことも多く具体的な指針だからといって必ずしも信用に値するものとは限らないということでわれわれは意見の一致を見た。
「この仕事してて言うのもなんだけど」と彼は言った。「格好良いとか可愛いとか、形の問題だけじゃないと思うんだよね。心意気が大事だよやっぱり」
私はそれを聞いて、ありふれた言説に見えるが考えを進めるべきところだと感じた。髪の毛を好きなように整えたり好きな服を着たりすると心は変わるが、好きなものは心の意向を反映している。物的なものは常に目に見えるかというと大きさが異なったり距離が離れたりすれば見えないことも多い。心的な要素は行動に表れることもあるし、脳を探査できればもっと可視化できるのかもしれないし、あるいはできないのかもしれない。物とは何であって心とは何なのか。私が何かを認識するやり方はどのくらい妥当なのか。殆ど妥当でないと思う。少しでも妥当だったらきっともっと様々の問いに定量的で批判に耐える答えを出せる。妥当でないのは私のやり方がまずいのか、私の知恵では無理なのか、私だけでなく誰がやっても原理的に妥当な認識はできないのか。
パーマの薬剤が作用するのを待つ間そのようなことが頭の中を巡って、いつの間にか眠っていた。
会計の際「綺麗に仕上げて頂いて、気分が良くなりました」と私は彼へ礼を述べた。
「疲れてたかもね。お互いあまり気負わずにやりましょう」と彼は笑った。
言われてみれば妙な気負いが無くなったような気もする。思うところの自分に髪の毛だけでも近づくということで、少し自分に立ち返ることになったのだろうか。
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