tinc さんの日記
2020
8月
26
(水)
23:35
本文
退職したり育児が一段落したりして以後を「第二の人生」とすることがある。私はそれを聞く度に何故それらの出来事で人生がいきなり第二になるのか分からずに苦しむ。第三とか第四や零の人生も定義しようと思えばできるのかもしれないがあまり聞かない。
第二の人生として提示されるイメージは概ね健康的で豊かなものに見える。それは結構だと思うものの、それ以前の人生において健康的で豊かでなかった人が退職や育児の終了以降突然に健康的で豊かになることは難しいような気がする。それぞれの人生に転機はあっておかしくないとはいえそれが退職や育児の終了でない場合も多いだろう。退職や育児の終了と並行して家族の介護に従事するようになることも珍しくなく、そうなったら自身の健康や豊かさは再び後回しになるのが普通である。
今のところ私としては、第二の人生は退職金や年金の消費を喚起するための広告の中にのみ存在するものだと思っている。健康や豊かさやその他人生における何物かに価値を見出すなら退職や育児の終了を待たずにそれらを目指すのがよい。第二の人生のために第一の人生を我慢して過ごすのは危険である。いつ死ぬか分からないのだし、第一の人生においても多くの人々と出会い仕事や育児以外にも山ほどやることは見つかるだろう。年齢が高くなると働くのが難しいから貯蓄をしておこうということが正しいなら、年齢が低くてもいつ働けなくなるか分からないから貯蓄をしておこうということは同じ理由で正しいことになる。人生は続く。それが切れるのは死ぬ時である。
人生を仮想的に第一とか第二とかに分けるとしても、いつどのように分けるかを広告に決めてもらってもうまくゆかないと思う。人生は個人的な側面が強く、そして誰にも総括できない。輝くゴルフクラブを振るい高級なティーセットを友人たちと囲むだけで物事が済むなら、誰も他人の理解を得ない趣味に打ち込んだり味方のいない信条を持ったり親や子と争ったりしない。私は第一の人生を一回もらっただけで結構である。
第二の人生として提示されるイメージは概ね健康的で豊かなものに見える。それは結構だと思うものの、それ以前の人生において健康的で豊かでなかった人が退職や育児の終了以降突然に健康的で豊かになることは難しいような気がする。それぞれの人生に転機はあっておかしくないとはいえそれが退職や育児の終了でない場合も多いだろう。退職や育児の終了と並行して家族の介護に従事するようになることも珍しくなく、そうなったら自身の健康や豊かさは再び後回しになるのが普通である。
今のところ私としては、第二の人生は退職金や年金の消費を喚起するための広告の中にのみ存在するものだと思っている。健康や豊かさやその他人生における何物かに価値を見出すなら退職や育児の終了を待たずにそれらを目指すのがよい。第二の人生のために第一の人生を我慢して過ごすのは危険である。いつ死ぬか分からないのだし、第一の人生においても多くの人々と出会い仕事や育児以外にも山ほどやることは見つかるだろう。年齢が高くなると働くのが難しいから貯蓄をしておこうということが正しいなら、年齢が低くてもいつ働けなくなるか分からないから貯蓄をしておこうということは同じ理由で正しいことになる。人生は続く。それが切れるのは死ぬ時である。
人生を仮想的に第一とか第二とかに分けるとしても、いつどのように分けるかを広告に決めてもらってもうまくゆかないと思う。人生は個人的な側面が強く、そして誰にも総括できない。輝くゴルフクラブを振るい高級なティーセットを友人たちと囲むだけで物事が済むなら、誰も他人の理解を得ない趣味に打ち込んだり味方のいない信条を持ったり親や子と争ったりしない。私は第一の人生を一回もらっただけで結構である。
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