ひろひろ48 さんの日記
2020
8月
20
(木)
10:08
本文
あの全員に10万円の特別給付金の期限は、自治体(市町村)によって違います。多くが、期限を迎えています。
ほとんどのところで90%を超える支給率になっているようです。
しかし、住む所がなくて住民登録ができていない人、DVなどで世帯主に振り込まれるため、別居せざるとえない人には届かないとか、、どうなっているのでしょう。。
新聞の夕刊の記事「紙つぶて」から:
「ホームレスに給付金を」雨宮 処凛(作家、活動家)
特別定額給付金、あなたの元には振り込まれただろうか。私は申請してすぐに入金された。が、このお金をもっとも必要としている人には届いていない。それは住民票のないホームレス。
「でも、ホームレスにコロナ不況なんて関係ないだろう?」そう思う人もいるかもしれない。が、コロナ禍で、彼らの貴重な収入源である都の「特別就労対策事業」は4月から中止。公園の清掃などに従事した人が7千円ほどもらえる都の失業者対策で、月に4度ほど入れるという。6月から再開したが、時間短縮で日給は3千円台に。それだけではない。アルミ缶などを集めて換金する仕事につく人が多いが、コロナ禍で1キロあたりの値段が暴落。通常は120円ほどというが、今は70-80円。中国輸出がストップしたかららしい。
このように、ホームレスは世界経済の影響をダイレクトに受けている。リーマン・ショックの際にもアルミ缶の値段が暴落し、彼らの生活を直撃した。野宿者こそがグローバリゼーションの波をもろに食らうのだ。
そんなホームレスの一部に特別定額給付金は支給されない。4日、野宿者や支援団体とともに総務省に「ホームレスで住民票のない人にも特別定額給付金を求める署名」を提出した。どうか、一番必要としている人に10万円が届いてほしい。
「捨てたもんじゃない」雨宮 処凛
新型コロナウイルスの感染が拡大した4月頃から、生活困窮者支援にいることが多い。「仕事がなくなった」「家賃が払えない」などのSOSは届き続けていて、どれも緊急度が高い。
「なぜ、そのような支援をするのか」と時々聞かれる。それは16年前に困窮者支援の活動と出会ったことが大きい。当時は「ネットカフェ難民」という形で、住む所を失う人々が急増していた頃。そんな現場を取材していて、支援団体が「所持金が尽きた」「何日も食べていない」という人々を鮮やかに救う光景を幾度も目にした。心の底から驚いた。制度や法律を知らなければ「どうにもならない」と思えるような状況の人が、公的な支援に繋がってみるみる生活を立て直していく。淡々とその手伝いをする人々の姿に「世の中、捨てたもんじゃないのかも」と感動した。そうして、まずは「自分のため」に、困窮した時に使える制度などを学んだ。気が付けばけっこう知識がついて、自分も支援する側になっていた。
もう長いこと、この国では貧しい人に「自己責任」という言葉が投げつけられてきた。しかし、コロナ禍の今、困窮者支援の団体には多くの寄付金が集まっている。世の中、捨てたもんじゃないのかもしれない。久々に、震えるほどに思う。そう考えると、なんだか生きる力が湧いてくるのだ。
<引用以上>
バブル崩壊後、自公政権の派遣労働法の改悪以降、大企業などは正規労働者を減らし、非正規労働者に置き換え、景気によって、労働者を切り捨てて、そのため、多くの労働者が、安定した収入を失い、家を失い、食べていくのがやっとの状況に。これが、欧米や他の国が経済成長し、労働者の収入もそれなりに伸びているのに、日本だけが、低い経済成長、低賃金に押さえ込まれている大きな原因。
消費が伸びないと嘆く経済界、かつて経済成長の理想みたいに思われた多くの中間層を、自ら破壊し、消費が伸びない、車が売れない、家が売れないと嘆くのは、「自業自得」ではないか。
資本の都合で、困窮者に落とし込まれた人たちが、なんとか生き延びられているのは、こうした支援団体が、支援する人がいるから。それでも、先進国での自殺者が多い日本。
この世の中、捨てた捨てたもんじゃない!!!!
人生捨てなくて、などもチャレンジできる安心感。助け合える社会。それが未来につながる、未来に希望をもてる社会になる。
ほとんどのところで90%を超える支給率になっているようです。
しかし、住む所がなくて住民登録ができていない人、DVなどで世帯主に振り込まれるため、別居せざるとえない人には届かないとか、、どうなっているのでしょう。。
新聞の夕刊の記事「紙つぶて」から:
「ホームレスに給付金を」雨宮 処凛(作家、活動家)
特別定額給付金、あなたの元には振り込まれただろうか。私は申請してすぐに入金された。が、このお金をもっとも必要としている人には届いていない。それは住民票のないホームレス。
「でも、ホームレスにコロナ不況なんて関係ないだろう?」そう思う人もいるかもしれない。が、コロナ禍で、彼らの貴重な収入源である都の「特別就労対策事業」は4月から中止。公園の清掃などに従事した人が7千円ほどもらえる都の失業者対策で、月に4度ほど入れるという。6月から再開したが、時間短縮で日給は3千円台に。それだけではない。アルミ缶などを集めて換金する仕事につく人が多いが、コロナ禍で1キロあたりの値段が暴落。通常は120円ほどというが、今は70-80円。中国輸出がストップしたかららしい。
このように、ホームレスは世界経済の影響をダイレクトに受けている。リーマン・ショックの際にもアルミ缶の値段が暴落し、彼らの生活を直撃した。野宿者こそがグローバリゼーションの波をもろに食らうのだ。
そんなホームレスの一部に特別定額給付金は支給されない。4日、野宿者や支援団体とともに総務省に「ホームレスで住民票のない人にも特別定額給付金を求める署名」を提出した。どうか、一番必要としている人に10万円が届いてほしい。
「捨てたもんじゃない」雨宮 処凛
新型コロナウイルスの感染が拡大した4月頃から、生活困窮者支援にいることが多い。「仕事がなくなった」「家賃が払えない」などのSOSは届き続けていて、どれも緊急度が高い。
「なぜ、そのような支援をするのか」と時々聞かれる。それは16年前に困窮者支援の活動と出会ったことが大きい。当時は「ネットカフェ難民」という形で、住む所を失う人々が急増していた頃。そんな現場を取材していて、支援団体が「所持金が尽きた」「何日も食べていない」という人々を鮮やかに救う光景を幾度も目にした。心の底から驚いた。制度や法律を知らなければ「どうにもならない」と思えるような状況の人が、公的な支援に繋がってみるみる生活を立て直していく。淡々とその手伝いをする人々の姿に「世の中、捨てたもんじゃないのかも」と感動した。そうして、まずは「自分のため」に、困窮した時に使える制度などを学んだ。気が付けばけっこう知識がついて、自分も支援する側になっていた。
もう長いこと、この国では貧しい人に「自己責任」という言葉が投げつけられてきた。しかし、コロナ禍の今、困窮者支援の団体には多くの寄付金が集まっている。世の中、捨てたもんじゃないのかもしれない。久々に、震えるほどに思う。そう考えると、なんだか生きる力が湧いてくるのだ。
<引用以上>
バブル崩壊後、自公政権の派遣労働法の改悪以降、大企業などは正規労働者を減らし、非正規労働者に置き換え、景気によって、労働者を切り捨てて、そのため、多くの労働者が、安定した収入を失い、家を失い、食べていくのがやっとの状況に。これが、欧米や他の国が経済成長し、労働者の収入もそれなりに伸びているのに、日本だけが、低い経済成長、低賃金に押さえ込まれている大きな原因。
消費が伸びないと嘆く経済界、かつて経済成長の理想みたいに思われた多くの中間層を、自ら破壊し、消費が伸びない、車が売れない、家が売れないと嘆くのは、「自業自得」ではないか。
資本の都合で、困窮者に落とし込まれた人たちが、なんとか生き延びられているのは、こうした支援団体が、支援する人がいるから。それでも、先進国での自殺者が多い日本。
この世の中、捨てた捨てたもんじゃない!!!!
人生捨てなくて、などもチャレンジできる安心感。助け合える社会。それが未来につながる、未来に希望をもてる社会になる。
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