tinc さんの日記
2020
8月
19
(水)
22:05
本文
平日の休みの利点の一つは気軽に役所へ行けることである。
かつてのパート先の先輩が身体障害者手帳の申請を考えており、その手伝いのために午前中に待ち合わせて役所へ同行した。申請書類を受け取った後は遅い朝食をご一緒し、駅前まで来たのでそれぞれの日用品を買いにお店をまわった。
近頃先輩は徐々に私に敬語を使わなくなった。私は敬語の扱いにいつも迷う。自分としては無難でしっくり来ると感じていても、相手の受け取り方として遠ざけているとか拒絶的であるとかの印象になることもままある。自然に崩してゆける人を羨ましく思う。
また先輩が私を評して言うには、私には普通のところが無くそこが好感の持てるところなのだそうだ。喜ぶべき評であるのか不明ながら、おそらく本心から頂いたものであろうと私は思い有り難く感じた。
身体障害者手帳の交付まで長い時間がかかる。別件として対応する必要のある先輩のお祖母様の介護サービスの導入にもやはり長い時間がかかる。もどかしさも感じるであろうし、申請に対する支給可否や等級の認定に関して不本意なこともあろうと思う。不本意な結果であれば異議を申し立てねばならず、そうなれば先輩は更に疲弊するかもしれない。あまり焦らず淡々と力を尽くすことが必要になると思う。
そのような私の感想を述べたところ、先輩は悪戯っぽく笑って「頑張ります」と答えた。そして拳を作って私に差し出した。私は同じく拳を作って先輩のそれに突き合わせ、「私も頑張ります」と言った。
先輩が帰宅するためにタクシーに乗って去った後、私は徒歩で帰宅してインターネットで福祉関連の情報を集め、長く福祉職に就いている知人へメールを書いて知恵を授けてもらう依頼をした。インターネットは普及の初期と比較にならないほど変わった。情報量が圧倒的に増えたが、必要な情報は変わらず少ない。つまり使いにくくなったと私は感じている。道具が使いにくいのなら自分の頭と腕で埋め合わせるしか無い。先輩には「頑張ります」と言ったものの私の努力の及ぶ範囲はきわめて限られている。その範囲でできることを取りこぼさないように心がけようと思う。
改めて思うのは「金にならないことほど面白い」ということである。自分の身を滅ぼす信条であるが、身なんかいずれ滅びるのである。
かつてのパート先の先輩が身体障害者手帳の申請を考えており、その手伝いのために午前中に待ち合わせて役所へ同行した。申請書類を受け取った後は遅い朝食をご一緒し、駅前まで来たのでそれぞれの日用品を買いにお店をまわった。
近頃先輩は徐々に私に敬語を使わなくなった。私は敬語の扱いにいつも迷う。自分としては無難でしっくり来ると感じていても、相手の受け取り方として遠ざけているとか拒絶的であるとかの印象になることもままある。自然に崩してゆける人を羨ましく思う。
また先輩が私を評して言うには、私には普通のところが無くそこが好感の持てるところなのだそうだ。喜ぶべき評であるのか不明ながら、おそらく本心から頂いたものであろうと私は思い有り難く感じた。
身体障害者手帳の交付まで長い時間がかかる。別件として対応する必要のある先輩のお祖母様の介護サービスの導入にもやはり長い時間がかかる。もどかしさも感じるであろうし、申請に対する支給可否や等級の認定に関して不本意なこともあろうと思う。不本意な結果であれば異議を申し立てねばならず、そうなれば先輩は更に疲弊するかもしれない。あまり焦らず淡々と力を尽くすことが必要になると思う。
そのような私の感想を述べたところ、先輩は悪戯っぽく笑って「頑張ります」と答えた。そして拳を作って私に差し出した。私は同じく拳を作って先輩のそれに突き合わせ、「私も頑張ります」と言った。
先輩が帰宅するためにタクシーに乗って去った後、私は徒歩で帰宅してインターネットで福祉関連の情報を集め、長く福祉職に就いている知人へメールを書いて知恵を授けてもらう依頼をした。インターネットは普及の初期と比較にならないほど変わった。情報量が圧倒的に増えたが、必要な情報は変わらず少ない。つまり使いにくくなったと私は感じている。道具が使いにくいのなら自分の頭と腕で埋め合わせるしか無い。先輩には「頑張ります」と言ったものの私の努力の及ぶ範囲はきわめて限られている。その範囲でできることを取りこぼさないように心がけようと思う。
改めて思うのは「金にならないことほど面白い」ということである。自分の身を滅ぼす信条であるが、身なんかいずれ滅びるのである。
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