ひろひろ48 さんの日記
2020
8月
16
(日)
12:13
本文
昨日は敗戦(終戦)記念日。
団塊の世代は、戦後の生まれだ。多くの戦争経験者は高齢化が進んでる。昨日も、靖国神社を参拝する国会議員が、それも閣僚が5名かな?いる。国の施設として千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。靖国神社は、個人として何を信じようが信仰の自由だが、政経分離の憲法と、戦前のこの神社の意味合いからも、現職の国会議員しかも閣僚が参拝することは、誰が考えても先の戦争をこころから反省しているとは思えない。
先日の新聞のコラム「大波小波」から:
あの記憶を磨く(学友)
寺山修司作詞でザ・フォーク・クルセダーズが歌った「戦争は知らない」をご存じか。団塊世代はなじみのはず。「野に咲く花の名前は知らない」で始まり、戦争で父を亡くした娘が20歳になり、結婚する心情を歌う名曲だ。知らない、との言葉はそこに意識があることを示す。
団塊世代を中心に1970年代にかけて、反戦運動が高揚した時期があった。学生の全共闘運動を貫いた思想は「自己否定の論理」だ。ベトナムで民衆が爆撃により殺りくされ、公害や差別で苦しむ人がいる。マスプロ教育の大学は学問の府ではない。その状況下で安穏と学生生活を送っている自分とは何か、を問うた。
黒子一夫「団塊世代の文学」(アーツアンドクラフツ)は中上健次や立松和平、津島佑子らを取り上げ、反体制運動の息吹を掬い上げた作品に光をあてた好編。息吹とは「戦後文学の能動的な姿勢に立つ血筋」のこと。社会に対して能動的な姿勢に立つ文学が、今必ずしも主流ではない。自己否定にまで至る、存在への倫理的で真摯な問いが欠落しているのではないか。
あの8月から75年、全共闘運動から50年。記憶を磨き、まだ知らないことを視る言葉を探せ。出来事の本質が聞こえるはずだ。
<引用以上>
戦後、学校で学んだ民主主義。テレビから流れるアメリカのホームドラマ、西部劇など。目の前に希望や夢があふれてた。でも、ベトナム戦争の悲惨な状況がテレビ、新聞で報道され、日本国内でもアメリカ兵の負傷者を運ぶ、軍事物資を運ぶ、決してよその国のことでなくなってた。それでも、多くの大人たちはその時点での政権を支持していた。いろんなところで政府のやりかたに反対している人が少なからずいた。でも、多くの国民はその時点での政府を支持した。裁判所も下級審では憲法違反の判決を出しても、上級審では、政府のいいなりの判決を出した。全共闘運動が押しつぶされて、多くの学生は、現実的な選択として社会人になり、高度成長の波にのまれていった。
安倍政権になり、戦後の憲法が守ってきたものが、解釈が「変更」され、平和憲法が踏みにじられ、戦争のできる「普通の国」に変わってきている。チェルノブイリ原発事故、福島原発事故でほとんどの先進国で原発をやめたのに、いまだに推進しようとしている国、たかだか30分1時間を短縮するためとするリニア新幹線、、コロナ対策でほぼ無策の現政権、、それを許している自公政権の支持者たち。。。このままでいいのだろうか、、この国の将来。。今度はアメリカの戦争に「集団自衛権」と称して参加する、参加させられるのだろうか?そもそも、国が勝手に起こした戦争に、徴兵令で参加を強制されるのは、どうなのか?非国民?法律で犯罪とされる?国民としての当然の権利をうばわれる?
団塊の世代は、戦後の生まれだ。多くの戦争経験者は高齢化が進んでる。昨日も、靖国神社を参拝する国会議員が、それも閣僚が5名かな?いる。国の施設として千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。靖国神社は、個人として何を信じようが信仰の自由だが、政経分離の憲法と、戦前のこの神社の意味合いからも、現職の国会議員しかも閣僚が参拝することは、誰が考えても先の戦争をこころから反省しているとは思えない。
先日の新聞のコラム「大波小波」から:
あの記憶を磨く(学友)
寺山修司作詞でザ・フォーク・クルセダーズが歌った「戦争は知らない」をご存じか。団塊世代はなじみのはず。「野に咲く花の名前は知らない」で始まり、戦争で父を亡くした娘が20歳になり、結婚する心情を歌う名曲だ。知らない、との言葉はそこに意識があることを示す。
団塊世代を中心に1970年代にかけて、反戦運動が高揚した時期があった。学生の全共闘運動を貫いた思想は「自己否定の論理」だ。ベトナムで民衆が爆撃により殺りくされ、公害や差別で苦しむ人がいる。マスプロ教育の大学は学問の府ではない。その状況下で安穏と学生生活を送っている自分とは何か、を問うた。
黒子一夫「団塊世代の文学」(アーツアンドクラフツ)は中上健次や立松和平、津島佑子らを取り上げ、反体制運動の息吹を掬い上げた作品に光をあてた好編。息吹とは「戦後文学の能動的な姿勢に立つ血筋」のこと。社会に対して能動的な姿勢に立つ文学が、今必ずしも主流ではない。自己否定にまで至る、存在への倫理的で真摯な問いが欠落しているのではないか。
あの8月から75年、全共闘運動から50年。記憶を磨き、まだ知らないことを視る言葉を探せ。出来事の本質が聞こえるはずだ。
<引用以上>
戦後、学校で学んだ民主主義。テレビから流れるアメリカのホームドラマ、西部劇など。目の前に希望や夢があふれてた。でも、ベトナム戦争の悲惨な状況がテレビ、新聞で報道され、日本国内でもアメリカ兵の負傷者を運ぶ、軍事物資を運ぶ、決してよその国のことでなくなってた。それでも、多くの大人たちはその時点での政権を支持していた。いろんなところで政府のやりかたに反対している人が少なからずいた。でも、多くの国民はその時点での政府を支持した。裁判所も下級審では憲法違反の判決を出しても、上級審では、政府のいいなりの判決を出した。全共闘運動が押しつぶされて、多くの学生は、現実的な選択として社会人になり、高度成長の波にのまれていった。
安倍政権になり、戦後の憲法が守ってきたものが、解釈が「変更」され、平和憲法が踏みにじられ、戦争のできる「普通の国」に変わってきている。チェルノブイリ原発事故、福島原発事故でほとんどの先進国で原発をやめたのに、いまだに推進しようとしている国、たかだか30分1時間を短縮するためとするリニア新幹線、、コロナ対策でほぼ無策の現政権、、それを許している自公政権の支持者たち。。。このままでいいのだろうか、、この国の将来。。今度はアメリカの戦争に「集団自衛権」と称して参加する、参加させられるのだろうか?そもそも、国が勝手に起こした戦争に、徴兵令で参加を強制されるのは、どうなのか?非国民?法律で犯罪とされる?国民としての当然の権利をうばわれる?
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