tinc さんの日記
2020
7月
28
(火)
18:36
本文
小学生の時分に、近所の人から「そんなに悪いことばかりしていたら、死んだ後地獄に落ちるよ」と言われたことがある。私はその人を嫌っていたこともあり、あなたが天国にいるなら私は地獄で結構である、というような趣旨の言葉を返した。その人はそれ以来私の振る舞いを見咎めるのを止めたようであった。
現在の私は天国や地獄は仮想的なものであると感じている。戦場は地獄である。虐待の起こる家庭やいじめの為される学校も地獄である。飼い慣らされて家畜として生きることや管理されて命令に従う人生も地獄である。猫が体を擦り付けてきたり犬に手を舐められたりしたら天国である。知己の誰かが喜びから微笑めば天国である。真理を求めて机に向かう時と、その傍らの窓の外の樹の葉が先日よりも色濃くなったことに気付いた時は天国である。私は普段それらを天国とも地獄とも呼ばず現実と呼んでいる。包括的な表現が必要になったら天国や地獄を持ってくるかもしれない。私にそこまで考えられる時が来るのかは知らない。
旅行の予定は無い。ろくでなしの私の人生は地獄への道程であるかもしれないが、天国ゆきのチケットを目の前にぶら下げられて走る道よりも楽しく豊かなものになっているような気がする。多くの人々ともっと多くの人ならぬ生命、その他の現実の事物のおかげである。
罪を犯してきたしそのことで裁かれることもあるだろう。裁きが真っ当なら反省する。そうでなければ申し訳無さそうな顔だけする。
子どものまま大人になった。難しいことは分からない。簡単なことは不思議に映る。
現実のみでさえも私には過ぎた恵みである。
蒸し暑い雨の日に、昔の思い出一つからそういういくつかの雑感があった。
現在の私は天国や地獄は仮想的なものであると感じている。戦場は地獄である。虐待の起こる家庭やいじめの為される学校も地獄である。飼い慣らされて家畜として生きることや管理されて命令に従う人生も地獄である。猫が体を擦り付けてきたり犬に手を舐められたりしたら天国である。知己の誰かが喜びから微笑めば天国である。真理を求めて机に向かう時と、その傍らの窓の外の樹の葉が先日よりも色濃くなったことに気付いた時は天国である。私は普段それらを天国とも地獄とも呼ばず現実と呼んでいる。包括的な表現が必要になったら天国や地獄を持ってくるかもしれない。私にそこまで考えられる時が来るのかは知らない。
旅行の予定は無い。ろくでなしの私の人生は地獄への道程であるかもしれないが、天国ゆきのチケットを目の前にぶら下げられて走る道よりも楽しく豊かなものになっているような気がする。多くの人々ともっと多くの人ならぬ生命、その他の現実の事物のおかげである。
罪を犯してきたしそのことで裁かれることもあるだろう。裁きが真っ当なら反省する。そうでなければ申し訳無さそうな顔だけする。
子どものまま大人になった。難しいことは分からない。簡単なことは不思議に映る。
現実のみでさえも私には過ぎた恵みである。
蒸し暑い雨の日に、昔の思い出一つからそういういくつかの雑感があった。
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