tinc さんの日記
2020
7月
20
(月)
09:49
本文
私は散歩を愛好している。昨夜は休憩を挟みながら夜通し歩いていた。雨が降らず空気も乾いていたのが久しぶりで嬉しかったのだろう。
歩くことは同時に何かを思うことになりがちである。先週の半ばに皮膚科から退院してきたことを幾人かの人へ報せた。そうした人々の中には返信に自身の近況を知らせてくれる人もあった。ある人はずっと以前から職場の人間関係に苦痛を感じているという。そしてその苦痛は仮に違う職に就いて周囲の人々を取り替えたところで減じないであろうものであり、自身の内面にその原因が在るとのことを述べる。話す度にそのことを聞く。
私は昨夜歩きながらその人のことを思い返していた。私は漠然とその人の内的な状況が変化してその人が苦痛少なく日々を過ごすようになることを願っているのであるが、それは本人の望むところと一致するものだろうか。変化するべきは本人でなく周囲や世間や世界であるのかもしれない。あるいは私はその人へ何かを言うべきなのかもしれないし、反対にその人が全て自力で何かの解決に到達するべきなのかもしれない。私は私の目から見るその人の、いつもどこにいても居心地の悪そうな振る舞いをしばしば思い出す。ある夜に一緒に散歩をしたことがあった。あんな華奢な薄い靴でよくあんなに歩けるものだと思ったことを憶えている。その時に身の上話のようなことを聞いたものの、その人が自身の身の上について何を感じ考えているかを聞くことは今も無い。その時から今に至るまでその人は何かの出来事を話そうという時、また自身の考えを述べるにあたり、よく「言っても責めない?」と尋ねる。私は責めないことを約束してその話を聞く。責められることが多過ぎて、責められないと落ち着かないのだろうかと思う。少なくとも私はその人を責める立場に無い。私に裁かれるべき者はいない。
私は穏やかな気持ちで足の向くままに歩く。その同じ世では死と苦痛と犠牲がごった返す。そのことを考えると心に痛みのようなものを感じるが、私はあまりに能天気に過ごしているのだからそれくらいの痛みがあって良いかと思う。
歩くことは同時に何かを思うことになりがちである。先週の半ばに皮膚科から退院してきたことを幾人かの人へ報せた。そうした人々の中には返信に自身の近況を知らせてくれる人もあった。ある人はずっと以前から職場の人間関係に苦痛を感じているという。そしてその苦痛は仮に違う職に就いて周囲の人々を取り替えたところで減じないであろうものであり、自身の内面にその原因が在るとのことを述べる。話す度にそのことを聞く。
私は昨夜歩きながらその人のことを思い返していた。私は漠然とその人の内的な状況が変化してその人が苦痛少なく日々を過ごすようになることを願っているのであるが、それは本人の望むところと一致するものだろうか。変化するべきは本人でなく周囲や世間や世界であるのかもしれない。あるいは私はその人へ何かを言うべきなのかもしれないし、反対にその人が全て自力で何かの解決に到達するべきなのかもしれない。私は私の目から見るその人の、いつもどこにいても居心地の悪そうな振る舞いをしばしば思い出す。ある夜に一緒に散歩をしたことがあった。あんな華奢な薄い靴でよくあんなに歩けるものだと思ったことを憶えている。その時に身の上話のようなことを聞いたものの、その人が自身の身の上について何を感じ考えているかを聞くことは今も無い。その時から今に至るまでその人は何かの出来事を話そうという時、また自身の考えを述べるにあたり、よく「言っても責めない?」と尋ねる。私は責めないことを約束してその話を聞く。責められることが多過ぎて、責められないと落ち着かないのだろうかと思う。少なくとも私はその人を責める立場に無い。私に裁かれるべき者はいない。
私は穏やかな気持ちで足の向くままに歩く。その同じ世では死と苦痛と犠牲がごった返す。そのことを考えると心に痛みのようなものを感じるが、私はあまりに能天気に過ごしているのだからそれくらいの痛みがあって良いかと思う。
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