tinc さんの日記
2020
6月
5
(金)
17:39
本文
単純な頭の悪い癖で、私はよく「この世には良い人と悪い人だけがいて、良い人は良いことしかしないし悪い人は悪いことしかしない」という世界観に陥りそうになる。これほど現実から乖離した世界観も珍しいと思う一方、幼稚でも馬鹿でも一応の世界観を持てるので私はついこれに頼るのであると思う。そういう時は疲れているか調子に乗っているかのどちらかなので、煙草を吸って一眠りするようにしている。目が覚める頃にはもう少し現実的にものを見られるようになっていることが多い。この世に良い奴と悪い奴がいるとして、何故自分を良い奴の方に数えられていたのか分からなくなっている。それでひとまず正常に近づいたと判断してよい。
敵対する者が生じるのは人生においてありふれたことであるが、どちらかの言い分だけが正しいことは稀であるように思う。大体の場合はどちらも自分が正しいと考えている。
私はいつしか敵を欲している自分に気がついた。敵がいると楽である。敵のせいで物事が自分の思い通りにならないと信じられるし、敵を倒せば自分の状況は改善されると思い込めるからだ。誰とも敵対できない時には気に入らない誰かを仮想敵に仕立て上げて、もし争いになったらああしようとかこうしようとか空想していた。たいへん楽しかったが今になって思うとたいへん不毛である。敵に依存しているだけの話であった。
全ては自分次第、だとは決して思わない。だが少なくとも私の場合は他人を攻撃しても何も得られない。もし誰かを攻撃して何かを得られるとしたらそれは略奪である。
たぶん私はこの先も様々な問題に直面し、その度にきわめて個別的にそれらの問題に対応しなければならない。手に余ることであるし失敗も重ねるはずだが、「こうだったらこう、こっちはこう」とレッテルだけ貼って解決でないものを解決と呼ぶよりはまだ良かろうと思う。
この世の誰とでも敵対する可能性がある。そのことへは恐怖を感じつつも、絶対に安全なところに置かれるのを想像しても寒気がする。私が直近で馘になった元パート先のオーナーはいまだに私のことを「道で会ったら殺す」と言っているらしい。私もそのオーナーに敵視してもらえるくらいには成長したのかもしれないが、私を敵にしているようでは彼も哀れである。
敵対する者が生じるのは人生においてありふれたことであるが、どちらかの言い分だけが正しいことは稀であるように思う。大体の場合はどちらも自分が正しいと考えている。
私はいつしか敵を欲している自分に気がついた。敵がいると楽である。敵のせいで物事が自分の思い通りにならないと信じられるし、敵を倒せば自分の状況は改善されると思い込めるからだ。誰とも敵対できない時には気に入らない誰かを仮想敵に仕立て上げて、もし争いになったらああしようとかこうしようとか空想していた。たいへん楽しかったが今になって思うとたいへん不毛である。敵に依存しているだけの話であった。
全ては自分次第、だとは決して思わない。だが少なくとも私の場合は他人を攻撃しても何も得られない。もし誰かを攻撃して何かを得られるとしたらそれは略奪である。
たぶん私はこの先も様々な問題に直面し、その度にきわめて個別的にそれらの問題に対応しなければならない。手に余ることであるし失敗も重ねるはずだが、「こうだったらこう、こっちはこう」とレッテルだけ貼って解決でないものを解決と呼ぶよりはまだ良かろうと思う。
この世の誰とでも敵対する可能性がある。そのことへは恐怖を感じつつも、絶対に安全なところに置かれるのを想像しても寒気がする。私が直近で馘になった元パート先のオーナーはいまだに私のことを「道で会ったら殺す」と言っているらしい。私もそのオーナーに敵視してもらえるくらいには成長したのかもしれないが、私を敵にしているようでは彼も哀れである。
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