tinc さんの日記
2020
5月
19
(火)
05:07
本文
私はサラリーマンを辞めてから色々なパートの仕事をした。あまり長く続けたものは無いのだが、決して有能ではないのにいわゆるパートリーダーという立場になることが多かった。働き盛りと云われる年齢の男性であるということと、へらへらぺこぺこした態度でいることから、仮の責任者として現場で不定期に発生する苦情への対応に丁度よいと判断されていたのではないかと想像している。
困ったことに私は他人に指示を出したり業務を教えたりするのがたいへん下手である。それゆえ説明と質疑応答が終わり相手が了解や納得を示しても、必ず「もし分からなくなったらまた聞いて下さい」と結ぶようにしていた。相手に対して失礼かもしれないと思いつつ、現に分からないまま判断と行動を迫られて後から責任を追求されるということがあっては相手の方も嫌だろうと思うからである。また自分の伝達の下手さへの言い訳の意味合いもある。
「もし分からなくなったらまた聞いて下さい」というのも指示の一部であるから、実際にはそれを受けた側の反応も様々である。有能でそもそも分からなくなることが無い人もいれば、分からないことを聞いてくれる人もそうでない人もいる。
私があるパート先で出会ったある人は泣き出した。
時間を置いてからおそるおそるこの人へ事情を尋ねると、「一度指示された内容でも、分からなくなったら聞いてもよい」ことが信じられず、採用されてから日が浅く緊張していたこともあってパニックのような状態になってしまった、ということであるらしかった。
この人は自分の内的な状況を表現する言葉に乏しかったのか、パニックのような状態に至る経緯も私の方から質問を重ねてなんとか形にしたものであったので、ほんとうのところがどういう心境であったのかは分かりにくかった。この人はそれまでも何かお願いすると必ず「はい」と返事をしてくれるものの、実際の理解度には業務の種類によってばらつきがあり、例えば食器を下げるとか料理を配膳するとかの可視的な業務は優秀である一方、会計にクレジットカードを使えるか等の問い合わせに回答する等の言葉の介在する業務になると殆ど何もできなくなってしまう。私はこの人のそのような傾向をこの時改めて振り返った。
この人は当時大学生で、閉店まで私と一緒になることが多かった。私はこの人に業務のことをいろいろと質問したが、相手が確信を持って答えられるであろうことに限定した。閉店業務を一緒に行いながら、いま業務に対してどんな疑問を抱いているかを尋ね、できるだけ詳しく回答した上で、最後は「困ることがあったら対応を代わりますから、それを見て少しずつ覚えて下さい」と結ぶようにした。
その後二週間くらい経った頃から、この人からの質問の傾向が変わった。それまでは判断に迷う事態に直面した時に私のところへ聞きに来ていたのが、業務の合間に「もしこのような事態になったらどうすればよいか」という質問をしてくれるようになった。その他の面でも変化が見られ、苦手にしているレジ業務へも半ば他のパートから奪い取るような勢いで向かうようになり、問い合わせに答える際も以前の硬直したような様子が随分減じていった。
閉店業務を一緒にすることが続くうち、この人からは個人的な話が出るようになった。なぜ自分が大学へ通っているのか分からないこと、家にいるのが辛く感じられることなどを、少ない言葉でゆっくりと教えてくれた。この人の話を継ぎ接ぎにしたところから私が受けた印象では、この人の両親は管理的・指示的な傾向が強く、またこの人は義務教育の期間中に同級生の間で疎外されることが続いていたようだった。
それらの経験は根の深い問題を人の心に植えつけることがある。私は自分が何をできるわけでもないことを知りながら、退勤後もこの人のことを考えることが多くなった。
私はある時この人へ「趣味はありますか」と尋ねた。この人は暫く考えた後、「動物の映像を観るのが好きです」と答えた。
私は次の休日にこの人を誘ってハローワークへ行った。そして近隣のある動物病院の清掃のパートの求人を見つけ、ハローワーク職員の方との面談にも許可をもらって同席した。この人はその場でその求人に応募した。
その後途中まで一緒に帰る間、私はこの人へ、今のパート先を退職する場合は二週間前までに教えてほしいということだけを話した。この人は短く「はい」と返事をし、別れる際には珍しく笑顔でひらひらと手を振ってくれた。
この人はその後その動物病院のパートに採用され、ほどなくして私と同じ職場の人間ではなくなった。最後の勤務が終わった後にわざわざ私の携帯電話へ長いメッセージを送ってくれた。全体的に冗長で何を言いたいのか分かりにくい箇所もあったが、私への感謝も述べられており、私はとても有り難く思った。
私自身も少し後にこのパート先を退職した。髪を切るように言われたからであった。
そして昨日この人から久しぶりに連絡をもらった。現在通っている大学はあと一年で卒業になるので、その後は専門学校に通ってトリマーを目指す意思であること、動物病院でのパートは継続しており、事務作業やその他私の分からない少し専門的な業務も手伝っていることが書かれていた。患畜の爪や歯によるという無数の不規則な傷のついた腕の写真が添えられていて、「びっくりさせたらごめんなさい」と但し書きがあった。
連絡をもらってみて記憶を辿るに、この人は元来備わっていた優れた能力を周囲の環境や過去の経験によって抑制されてきた人であり、適した職場においては高い実績を作ることのできる人でもあると感じる。ハローワークへ一緒に行ったこと等は一見私によるこの人への手助けのように見えるかもしれないが、動機の大半は私の都合であるのでそれは手助けと呼べるような代物ではない。この人がこの動物病院に適合しなかった可能性だって十分に考えられるわけで、もしそうなっていれば好きなはずの動物を嫌いになっていたり、必ず存在するであろう身勝手な飼い主への対応で仕事に意味を見い出せなくなっていたりという結果も想定される。
私はこの人の状況を近くで見ているのに耐えかねて、この人の将来を対象に賭けのようなことをしたのであったと思う。何も知らず何もできないくせに、何もしないでいることを自分が受け入れられなかったのだ。結果が良い方に転んだのはこの人のおかげと言う他ない。他人のことへ手出し口出しは無用である。
困ったことに私は他人に指示を出したり業務を教えたりするのがたいへん下手である。それゆえ説明と質疑応答が終わり相手が了解や納得を示しても、必ず「もし分からなくなったらまた聞いて下さい」と結ぶようにしていた。相手に対して失礼かもしれないと思いつつ、現に分からないまま判断と行動を迫られて後から責任を追求されるということがあっては相手の方も嫌だろうと思うからである。また自分の伝達の下手さへの言い訳の意味合いもある。
「もし分からなくなったらまた聞いて下さい」というのも指示の一部であるから、実際にはそれを受けた側の反応も様々である。有能でそもそも分からなくなることが無い人もいれば、分からないことを聞いてくれる人もそうでない人もいる。
私があるパート先で出会ったある人は泣き出した。
時間を置いてからおそるおそるこの人へ事情を尋ねると、「一度指示された内容でも、分からなくなったら聞いてもよい」ことが信じられず、採用されてから日が浅く緊張していたこともあってパニックのような状態になってしまった、ということであるらしかった。
この人は自分の内的な状況を表現する言葉に乏しかったのか、パニックのような状態に至る経緯も私の方から質問を重ねてなんとか形にしたものであったので、ほんとうのところがどういう心境であったのかは分かりにくかった。この人はそれまでも何かお願いすると必ず「はい」と返事をしてくれるものの、実際の理解度には業務の種類によってばらつきがあり、例えば食器を下げるとか料理を配膳するとかの可視的な業務は優秀である一方、会計にクレジットカードを使えるか等の問い合わせに回答する等の言葉の介在する業務になると殆ど何もできなくなってしまう。私はこの人のそのような傾向をこの時改めて振り返った。
この人は当時大学生で、閉店まで私と一緒になることが多かった。私はこの人に業務のことをいろいろと質問したが、相手が確信を持って答えられるであろうことに限定した。閉店業務を一緒に行いながら、いま業務に対してどんな疑問を抱いているかを尋ね、できるだけ詳しく回答した上で、最後は「困ることがあったら対応を代わりますから、それを見て少しずつ覚えて下さい」と結ぶようにした。
その後二週間くらい経った頃から、この人からの質問の傾向が変わった。それまでは判断に迷う事態に直面した時に私のところへ聞きに来ていたのが、業務の合間に「もしこのような事態になったらどうすればよいか」という質問をしてくれるようになった。その他の面でも変化が見られ、苦手にしているレジ業務へも半ば他のパートから奪い取るような勢いで向かうようになり、問い合わせに答える際も以前の硬直したような様子が随分減じていった。
閉店業務を一緒にすることが続くうち、この人からは個人的な話が出るようになった。なぜ自分が大学へ通っているのか分からないこと、家にいるのが辛く感じられることなどを、少ない言葉でゆっくりと教えてくれた。この人の話を継ぎ接ぎにしたところから私が受けた印象では、この人の両親は管理的・指示的な傾向が強く、またこの人は義務教育の期間中に同級生の間で疎外されることが続いていたようだった。
それらの経験は根の深い問題を人の心に植えつけることがある。私は自分が何をできるわけでもないことを知りながら、退勤後もこの人のことを考えることが多くなった。
私はある時この人へ「趣味はありますか」と尋ねた。この人は暫く考えた後、「動物の映像を観るのが好きです」と答えた。
私は次の休日にこの人を誘ってハローワークへ行った。そして近隣のある動物病院の清掃のパートの求人を見つけ、ハローワーク職員の方との面談にも許可をもらって同席した。この人はその場でその求人に応募した。
その後途中まで一緒に帰る間、私はこの人へ、今のパート先を退職する場合は二週間前までに教えてほしいということだけを話した。この人は短く「はい」と返事をし、別れる際には珍しく笑顔でひらひらと手を振ってくれた。
この人はその後その動物病院のパートに採用され、ほどなくして私と同じ職場の人間ではなくなった。最後の勤務が終わった後にわざわざ私の携帯電話へ長いメッセージを送ってくれた。全体的に冗長で何を言いたいのか分かりにくい箇所もあったが、私への感謝も述べられており、私はとても有り難く思った。
私自身も少し後にこのパート先を退職した。髪を切るように言われたからであった。
そして昨日この人から久しぶりに連絡をもらった。現在通っている大学はあと一年で卒業になるので、その後は専門学校に通ってトリマーを目指す意思であること、動物病院でのパートは継続しており、事務作業やその他私の分からない少し専門的な業務も手伝っていることが書かれていた。患畜の爪や歯によるという無数の不規則な傷のついた腕の写真が添えられていて、「びっくりさせたらごめんなさい」と但し書きがあった。
連絡をもらってみて記憶を辿るに、この人は元来備わっていた優れた能力を周囲の環境や過去の経験によって抑制されてきた人であり、適した職場においては高い実績を作ることのできる人でもあると感じる。ハローワークへ一緒に行ったこと等は一見私によるこの人への手助けのように見えるかもしれないが、動機の大半は私の都合であるのでそれは手助けと呼べるような代物ではない。この人がこの動物病院に適合しなかった可能性だって十分に考えられるわけで、もしそうなっていれば好きなはずの動物を嫌いになっていたり、必ず存在するであろう身勝手な飼い主への対応で仕事に意味を見い出せなくなっていたりという結果も想定される。
私はこの人の状況を近くで見ているのに耐えかねて、この人の将来を対象に賭けのようなことをしたのであったと思う。何も知らず何もできないくせに、何もしないでいることを自分が受け入れられなかったのだ。結果が良い方に転んだのはこの人のおかげと言う他ない。他人のことへ手出し口出しは無用である。
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