tinc さんの日記
2020
5月
17
(日)
00:00
本文
私が好んで履く旧式のワークブーツの一種に、エンジニアブーツと呼ばれる形のものがある。その名の通り工場で働く技師がかつて履いていたもので、機械に巻き込まれる危険のつきまとう靴紐が無く、ベルトで足首を固定する仕組みになっている。少ない箇所で固定するものであるから、同じメーカーの同じ木型の同じサイズであっても靴紐で装着するレースアップブーツと比較して足に合わせるのが難しい。靴自体は革でできているので履いているとベルトも伸びてくるのと、爪先にスティールのキャップが入っているものは特に私のようにずんぐりした足の場合はサイズを少し上げて履くことになるのとで、履きなれると靴の中で足が大きく動くようになることが多い。
そのような事情があり、私はエンジニアブーツの装着が緩くなってくると錐でベルトに穴を足す。穴を穿つこと自体は造作もない作業であるが、穴自体が伸びてくることとあまり小さい距離では穴を作り直せないことを考慮の上で適切な位置を探るという準備に神経を使う。昨日は数時間をこの準備に費やし、最終的には及第点の履き心地が手に入ったので安堵した。嬉しさから今日は雨の中を数時間散歩した。楽しかった。
革製品の経年劣化では変形と褪色によるものが目立つ。それらが馴染むということでもあり味わいでもあると同時に、それらとの付き合い方を考えないと革製品を長く使うことが難しくなりがちであるということでもある。黴への対処や乾燥の具合の見極め方を含め、革製品にはとかくDIY的な要素が強く入ってくるように感じる。DIYの常としてある程度習熟するまでは失敗ばかりだし、費用も手間も新品を買うより掛かるし、餅は餅屋という言葉の説得力を痛感する場面に何度となく遭遇する。それでも革製品を長く使おうとする人の後を絶たないのは、自分の考えと自分の手が入ることがとても楽しいことだからではないかと思う。
パンク・ロックのカルチャーの人たちは、新品のレザージャケットをわざわざ洗濯機と乾燥機にかけた後、路上に放り出して踏みまくってからピンバッジや切り抜いた布を着けて着用することがあると聞いたことがある。これも一つの表現活動であり芸術的DIYであると思う(余談だがパンク・ロックのテイストの既製衣料は革製品に限らず、裂いたり汚したりの加工ゆえもあって高額であることも多い。社会への不満を抱える貧困層の支持を集めるジャンルとしては逆説的な結果であり、文化の商業化の例として理解しやすい一つである)。
DIYという言葉の範囲を日曜大工的なところから拡張し、自分のことを自分でやるという元来の意味に捉えなおすと、日常の些末なことから精神性に係る事項までDIYになるようで面白い。服装の組み合わせを考えるのもDIYなら人生を支える信念を探るのもDIYである。閉塞感漂う日常からの出口にもなれば、既存の技術をきちんと学んで身につける糸口にもなる。
DIYスピリットが私の今求めるものの一つかもしれない。己の声を聞き、己の姿に向き合い、己の欲するところを為すこと。ひとの助力無しに生きられない私だとしても、少しずつでも何かを形作るのはとにかく面白かろう。私のやりたいことは他の誰かがやってくれるのを待つのではなく、今から私が考えて私がやるのである。
そのような事情があり、私はエンジニアブーツの装着が緩くなってくると錐でベルトに穴を足す。穴を穿つこと自体は造作もない作業であるが、穴自体が伸びてくることとあまり小さい距離では穴を作り直せないことを考慮の上で適切な位置を探るという準備に神経を使う。昨日は数時間をこの準備に費やし、最終的には及第点の履き心地が手に入ったので安堵した。嬉しさから今日は雨の中を数時間散歩した。楽しかった。
革製品の経年劣化では変形と褪色によるものが目立つ。それらが馴染むということでもあり味わいでもあると同時に、それらとの付き合い方を考えないと革製品を長く使うことが難しくなりがちであるということでもある。黴への対処や乾燥の具合の見極め方を含め、革製品にはとかくDIY的な要素が強く入ってくるように感じる。DIYの常としてある程度習熟するまでは失敗ばかりだし、費用も手間も新品を買うより掛かるし、餅は餅屋という言葉の説得力を痛感する場面に何度となく遭遇する。それでも革製品を長く使おうとする人の後を絶たないのは、自分の考えと自分の手が入ることがとても楽しいことだからではないかと思う。
パンク・ロックのカルチャーの人たちは、新品のレザージャケットをわざわざ洗濯機と乾燥機にかけた後、路上に放り出して踏みまくってからピンバッジや切り抜いた布を着けて着用することがあると聞いたことがある。これも一つの表現活動であり芸術的DIYであると思う(余談だがパンク・ロックのテイストの既製衣料は革製品に限らず、裂いたり汚したりの加工ゆえもあって高額であることも多い。社会への不満を抱える貧困層の支持を集めるジャンルとしては逆説的な結果であり、文化の商業化の例として理解しやすい一つである)。
DIYという言葉の範囲を日曜大工的なところから拡張し、自分のことを自分でやるという元来の意味に捉えなおすと、日常の些末なことから精神性に係る事項までDIYになるようで面白い。服装の組み合わせを考えるのもDIYなら人生を支える信念を探るのもDIYである。閉塞感漂う日常からの出口にもなれば、既存の技術をきちんと学んで身につける糸口にもなる。
DIYスピリットが私の今求めるものの一つかもしれない。己の声を聞き、己の姿に向き合い、己の欲するところを為すこと。ひとの助力無しに生きられない私だとしても、少しずつでも何かを形作るのはとにかく面白かろう。私のやりたいことは他の誰かがやってくれるのを待つのではなく、今から私が考えて私がやるのである。
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