お蘭ちゃん さんの日記
2020
5月
16
(土)
14:27
本文
母は、要介護5だったけど、病院の手厚い看護で、食事を取れるようになり、点滴も取れて、
次は、弱った体を、少しでも元気にと、老人介護保険施設に、入所してから、リハビリの甲斐があり、寝たきりが、押し車で歩けて、食堂で、皆さんとご飯を食べ、テレビを見たり、折り紙したり、チラシで五目入れを折ったり、新聞雑誌を読んだり、安定して要介護2にまで回復しました。
退院も間近というところで、コロナが、拡大し、全国に、緊急自粛宣言が、出たあたりから、母の施設も、面会謝絶となり、携帯も持たず、ましてオンラインなど、も無く、私自身も、外出もままならない状態でした。
母に会えなくなり、もう2ヶ月過ぎた、、、
私はハガキに私の宛名を書き、裏に母に何か書いてねと、ハガキをまず5枚、雑誌や、チラシなど、と、施設に送りました。
母からは、2枚、の返信がありました。
意味は何となく大筋で理解できます。
私より字もきれい、漢字もかけるんや〜、て、
とても嬉しかったです。
小さくて、優しくて、穏やかな母。
愚痴も言わないから、ついつい私も弟も、楽な母に甘えていました。
会いに行けないことを理由に。
でも、母は、コロナが流行って、るのは、職員さんに言われて、わかったようでも、内心は、
なぜ、私や、私の娘や、弟、が会いに来てくれないのか、どこに帰るのか?いつ帰るのか?
心細く不安でいっぱいだったはず。
12日に弟から、ご飯食べないし、しんどい、風呂に入らない、から検査したら、貧血がひどく、
検査しなあかんと、電話がありました。
でも、付き添うこともできず、母は一人で、子宮体癌は進行してなくて、内科で、胃カメラ検査をして、胃に潰瘍がいくつもできていて、そこからの出血が、じわじわと出ての貧血だったらしい。
今は、施設の近くの、総合病院に入院、輸血をしています。絶食で、退院は未定。
私は母の日にと、買っていた、夏のカーディガンと、生花はダメなので、造花のカーネーションに、うさぎさんが乗っている、可愛い置物、雑誌を持って、14日に病院に行きました。
生まれて初めてのカメラ、付いててもやれない、
入り口で検温と問診、そこで待つようにと言われて、担当の看護師さんに、様子を聞いて、
「母に渡してください、頑張ってねと伝えてください、宜しくお願い致します」と、言って、10分程で、虚しく、帰りました。
今は顔色も良くなったけどまだ絶食。。。。。
頑張って欲しいけど、93の母は、また、一からリハビリになるのだろうか、、、、
次を探すように言われたら、もう今度は、私の近くの病院なり、施設なりに、連れてくる。
家族が全く面会に行けなくなった、時期に、胃潰瘍で貧血がひどくて、輸血なんて、、、、
責める訳にはいかないけれど、内科の先生は、こんなになるまでほっといて、と、施設の看護婦長を、叱っていたと、弟に聞いた。
いつになれば母の顔を見て、手を握り、前みたいに、おしゃべりをして、一緒に折り紙や、ぬり絵ができるようになるのだろうか?
地下鉄はそこそこの人、阪急と、バスは、ガラガラでした。
自分の無力さ、、、そして自分の歳、
母を一人にさせてる、怒りのようなもの。
でも、また明日、私は、行こうかと思ってます。
下で待ってたら、もしかしたら、顔だけでも見られるかなあと、思うから。
次は、弱った体を、少しでも元気にと、老人介護保険施設に、入所してから、リハビリの甲斐があり、寝たきりが、押し車で歩けて、食堂で、皆さんとご飯を食べ、テレビを見たり、折り紙したり、チラシで五目入れを折ったり、新聞雑誌を読んだり、安定して要介護2にまで回復しました。
退院も間近というところで、コロナが、拡大し、全国に、緊急自粛宣言が、出たあたりから、母の施設も、面会謝絶となり、携帯も持たず、ましてオンラインなど、も無く、私自身も、外出もままならない状態でした。
母に会えなくなり、もう2ヶ月過ぎた、、、
私はハガキに私の宛名を書き、裏に母に何か書いてねと、ハガキをまず5枚、雑誌や、チラシなど、と、施設に送りました。
母からは、2枚、の返信がありました。
意味は何となく大筋で理解できます。
私より字もきれい、漢字もかけるんや〜、て、
とても嬉しかったです。
小さくて、優しくて、穏やかな母。
愚痴も言わないから、ついつい私も弟も、楽な母に甘えていました。
会いに行けないことを理由に。
でも、母は、コロナが流行って、るのは、職員さんに言われて、わかったようでも、内心は、
なぜ、私や、私の娘や、弟、が会いに来てくれないのか、どこに帰るのか?いつ帰るのか?
心細く不安でいっぱいだったはず。
12日に弟から、ご飯食べないし、しんどい、風呂に入らない、から検査したら、貧血がひどく、
検査しなあかんと、電話がありました。
でも、付き添うこともできず、母は一人で、子宮体癌は進行してなくて、内科で、胃カメラ検査をして、胃に潰瘍がいくつもできていて、そこからの出血が、じわじわと出ての貧血だったらしい。
今は、施設の近くの、総合病院に入院、輸血をしています。絶食で、退院は未定。
私は母の日にと、買っていた、夏のカーディガンと、生花はダメなので、造花のカーネーションに、うさぎさんが乗っている、可愛い置物、雑誌を持って、14日に病院に行きました。
生まれて初めてのカメラ、付いててもやれない、
入り口で検温と問診、そこで待つようにと言われて、担当の看護師さんに、様子を聞いて、
「母に渡してください、頑張ってねと伝えてください、宜しくお願い致します」と、言って、10分程で、虚しく、帰りました。
今は顔色も良くなったけどまだ絶食。。。。。
頑張って欲しいけど、93の母は、また、一からリハビリになるのだろうか、、、、
次を探すように言われたら、もう今度は、私の近くの病院なり、施設なりに、連れてくる。
家族が全く面会に行けなくなった、時期に、胃潰瘍で貧血がひどくて、輸血なんて、、、、
責める訳にはいかないけれど、内科の先生は、こんなになるまでほっといて、と、施設の看護婦長を、叱っていたと、弟に聞いた。
いつになれば母の顔を見て、手を握り、前みたいに、おしゃべりをして、一緒に折り紙や、ぬり絵ができるようになるのだろうか?
地下鉄はそこそこの人、阪急と、バスは、ガラガラでした。
自分の無力さ、、、そして自分の歳、
母を一人にさせてる、怒りのようなもの。
でも、また明日、私は、行こうかと思ってます。
下で待ってたら、もしかしたら、顔だけでも見られるかなあと、思うから。
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