tinc さんの日記
2020
5月
14
(木)
08:15
本文
私は長く無職である。合間にパートの仕事をしたり、就きたいと思っていた仕事に就けた矢先に入院して解雇されたりはしているが、おしなべて無職である。
20歳の時から10年くらい勤めた会社を辞めた直後、少し多いと感じていた服や靴を処分するために「イタいおっさんスターターセット」と称して付き合いのあった人々へ向けて広告を打ったところ、驚いたことに何点か買ってもらえた。安くはなく私としても冗談のつもりでつけた値段だったので「みんな金持ちなんだな」と思った。買ってくれた人の1人と偶然会った時にその服を着ているのを見たこともあり「みんな着る物に困ってるんだな」と思った。
イタいおっさんでいるよりはイケているおっさんでいるほうが良いのだろうと思いつつ、イケているおっさんにはなれそうにないので仕方なくイタいおっさんでいるというのも本当である。
しかし他方ではイケているおっさんのイメージをあまり好きになれないというのもある。鍛えられた肉体をブランドものの洋服に包んでいて、ぴかぴかの自動車の助手席に美女を乗せていて、大手の会社で重職に就いていて、おしゃれなバーでウィットに富んだ会話を楽しんでいて、という人も実際にたくさんいるのだと思う。そういう生活を想像すると「大変そうだな」と思うが「でもそうなってみたい」と思わない。私の思うなりたい自分とは離れているのだろう。
では私がどんな自分になりたいのかと問われることがあるとすれば、その回答は断片的なイメージの寄せ集めになる。禅僧の叡智、ロックミュージシャンの先鋭、学者の誠実、商人の柔和、等々、私が今まで実際に出会ったり、あるいはその発信したものに触れたりした人々からの影響の集合で私の理想像はできているのだと思う。
そういう良いものを何か一つでも持っているわけではないのに私が今の自分の状態をわりと気に入っているのは、日々の仕事に追われるでもなく苦悩の末の死線に立つでもなく、好きなことを考えながらお茶と散歩でのんびりと過ごせているからだ。隠居のおじいさんになったみたいで、これはこれで楽しい。いよいよ切羽詰まってくれば何かすると思うが、ほんとうの隠居のおじいさんだって切羽詰まれば何かするだろう。
世に安泰は無い。相対的な安定はあるが、それは絶えず考え行動した上に偶然が重なって初めて形成されるものである。家計の破綻も治安の悪化も近しい人の変質も資産価値の暴落も気候変動も戦争も死もどこかで誰かが常に経験している。私も今日か明日か10年後か100年後かにはのたうち回って死ぬ。将来のために今を犠牲にするという発想をよく見聞きしつつそうしようと思わないのは、それを成立させられるくらいなら将来を予知できて今を犠牲にする必要がなかろうと感じるからだ。長くは続かないとしても今を好きでいたいので、私はイタいおっさんのままである。
20歳の時から10年くらい勤めた会社を辞めた直後、少し多いと感じていた服や靴を処分するために「イタいおっさんスターターセット」と称して付き合いのあった人々へ向けて広告を打ったところ、驚いたことに何点か買ってもらえた。安くはなく私としても冗談のつもりでつけた値段だったので「みんな金持ちなんだな」と思った。買ってくれた人の1人と偶然会った時にその服を着ているのを見たこともあり「みんな着る物に困ってるんだな」と思った。
イタいおっさんでいるよりはイケているおっさんでいるほうが良いのだろうと思いつつ、イケているおっさんにはなれそうにないので仕方なくイタいおっさんでいるというのも本当である。
しかし他方ではイケているおっさんのイメージをあまり好きになれないというのもある。鍛えられた肉体をブランドものの洋服に包んでいて、ぴかぴかの自動車の助手席に美女を乗せていて、大手の会社で重職に就いていて、おしゃれなバーでウィットに富んだ会話を楽しんでいて、という人も実際にたくさんいるのだと思う。そういう生活を想像すると「大変そうだな」と思うが「でもそうなってみたい」と思わない。私の思うなりたい自分とは離れているのだろう。
では私がどんな自分になりたいのかと問われることがあるとすれば、その回答は断片的なイメージの寄せ集めになる。禅僧の叡智、ロックミュージシャンの先鋭、学者の誠実、商人の柔和、等々、私が今まで実際に出会ったり、あるいはその発信したものに触れたりした人々からの影響の集合で私の理想像はできているのだと思う。
そういう良いものを何か一つでも持っているわけではないのに私が今の自分の状態をわりと気に入っているのは、日々の仕事に追われるでもなく苦悩の末の死線に立つでもなく、好きなことを考えながらお茶と散歩でのんびりと過ごせているからだ。隠居のおじいさんになったみたいで、これはこれで楽しい。いよいよ切羽詰まってくれば何かすると思うが、ほんとうの隠居のおじいさんだって切羽詰まれば何かするだろう。
世に安泰は無い。相対的な安定はあるが、それは絶えず考え行動した上に偶然が重なって初めて形成されるものである。家計の破綻も治安の悪化も近しい人の変質も資産価値の暴落も気候変動も戦争も死もどこかで誰かが常に経験している。私も今日か明日か10年後か100年後かにはのたうち回って死ぬ。将来のために今を犠牲にするという発想をよく見聞きしつつそうしようと思わないのは、それを成立させられるくらいなら将来を予知できて今を犠牲にする必要がなかろうと感じるからだ。長くは続かないとしても今を好きでいたいので、私はイタいおっさんのままである。
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