tinc さんの日記
2020
5月
13
(水)
00:08
本文
少し前にブログに書かせて頂いた、周囲からの反対を受けながら結婚した知人から今日連絡をもらった。披露宴はまだ先で日程も未定なのでその話ではなく、単なる暇にあかせての雑談であった。その中で「前々から思っていたけど」との前置きの上、彼は私に対して結婚の意志は無いのか、と尋ねた。
私はそれを不思議に感じた。そういうのは少なくとも交際している相手のいる人に聞くことではないのかと思った。ましてや私はいい歳をして無職で無資産でもあり、結婚したかったらもっと何とかするだろう。
私はその場では「貧乏暇無しでね」とよく分からない答えをした。
彼との通話が終わってからも結婚のことが私の頭に残った。いろいろと考えた末に気づいたのは、私自身が「ひとが結婚するのは特殊な事情がある場合である」という考えを持っているということであった。
多分これは誤っているのだと思う。現実には結婚の願望を持って過ごしていた人がふさわしい相手を見つけて現に結婚に至るという場合もあれば、長年交際した末に周囲の人々が結婚する様子を見て感化されることも、子どもをもうけたいので子ども自身の権益を保護するためにも結婚するということもあり、特殊な事情無しに結婚する例は枚挙に暇が無い。そういう諸々を私が特に理由も無く特殊と思っているに過ぎない。特別な相手と特別な想いで結婚するということが多いのかもしれないが、特別であるということと特殊であるということとは違う。ひとはみな特別である。
不本意な結婚生活をなかなか終わらせることができない人が多くいるのは、結婚生活がそれを維持するのに多くの資源を要するものであり、なおかつ解消するのにも莫大な資源を必要とするものであるということに原因の一端があるのではないかと思う。離婚すると住むところがなくなってしまう人もいるし、子どもに迷惑がかかるという人もいる。離婚に対する世間の評価が低く、離婚暦のある人に対して「何か問題のある人なのでは」という疑念がついて回ることも影響しているだろう。
不本意な生活になるくらいなら最初から結婚するな、という野次もよく聞かれるものの、その野次はあまり省みる価値が無いような気がする。ひとはたぶん意図して不本意な生活を構築することは無い。生活というのは自分の思惑では左右できない要素の影響を常に受けるし、ましてや結婚相手あっての結婚生活であるから相手からの影響は甚大である。
私は15年くらい一人暮らしをしている。一人での生活でも維持するのはなかなか大変である。生活は常に判断を要求する。何を買うか、どんな仕事に就くか、誰と会って何を話すか、ある行為にどんな意味を見出していて、それにどれだけのコストをかけるか、考えても分からないものは分からないし、物事は私の理解や納得など待ってはくれない。
これを一緒に営む誰かがいたら事態はさらに複雑になるだろう。何よりも私はその誰かにとって、その複雑な事態である共同生活を送るに足る相手でなければならない。そんなの無理だ。
私のように結婚する能力の無い人はさておき、結婚したい人はできると良いし、既に結婚している人の結婚生活は良いものになってゆくよう願うし、それが無理なら早く良い形でそれを解消できることを願う。ある人にとって何が良いことかを判断するのはその人自身であり、その人の親族や隣人や世間や私ではない。
私はそれを不思議に感じた。そういうのは少なくとも交際している相手のいる人に聞くことではないのかと思った。ましてや私はいい歳をして無職で無資産でもあり、結婚したかったらもっと何とかするだろう。
私はその場では「貧乏暇無しでね」とよく分からない答えをした。
彼との通話が終わってからも結婚のことが私の頭に残った。いろいろと考えた末に気づいたのは、私自身が「ひとが結婚するのは特殊な事情がある場合である」という考えを持っているということであった。
多分これは誤っているのだと思う。現実には結婚の願望を持って過ごしていた人がふさわしい相手を見つけて現に結婚に至るという場合もあれば、長年交際した末に周囲の人々が結婚する様子を見て感化されることも、子どもをもうけたいので子ども自身の権益を保護するためにも結婚するということもあり、特殊な事情無しに結婚する例は枚挙に暇が無い。そういう諸々を私が特に理由も無く特殊と思っているに過ぎない。特別な相手と特別な想いで結婚するということが多いのかもしれないが、特別であるということと特殊であるということとは違う。ひとはみな特別である。
不本意な結婚生活をなかなか終わらせることができない人が多くいるのは、結婚生活がそれを維持するのに多くの資源を要するものであり、なおかつ解消するのにも莫大な資源を必要とするものであるということに原因の一端があるのではないかと思う。離婚すると住むところがなくなってしまう人もいるし、子どもに迷惑がかかるという人もいる。離婚に対する世間の評価が低く、離婚暦のある人に対して「何か問題のある人なのでは」という疑念がついて回ることも影響しているだろう。
不本意な生活になるくらいなら最初から結婚するな、という野次もよく聞かれるものの、その野次はあまり省みる価値が無いような気がする。ひとはたぶん意図して不本意な生活を構築することは無い。生活というのは自分の思惑では左右できない要素の影響を常に受けるし、ましてや結婚相手あっての結婚生活であるから相手からの影響は甚大である。
私は15年くらい一人暮らしをしている。一人での生活でも維持するのはなかなか大変である。生活は常に判断を要求する。何を買うか、どんな仕事に就くか、誰と会って何を話すか、ある行為にどんな意味を見出していて、それにどれだけのコストをかけるか、考えても分からないものは分からないし、物事は私の理解や納得など待ってはくれない。
これを一緒に営む誰かがいたら事態はさらに複雑になるだろう。何よりも私はその誰かにとって、その複雑な事態である共同生活を送るに足る相手でなければならない。そんなの無理だ。
私のように結婚する能力の無い人はさておき、結婚したい人はできると良いし、既に結婚している人の結婚生活は良いものになってゆくよう願うし、それが無理なら早く良い形でそれを解消できることを願う。ある人にとって何が良いことかを判断するのはその人自身であり、その人の親族や隣人や世間や私ではない。
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