tinc さんの日記
2020
5月
11
(月)
00:05
本文
色気の欠片も無い私ではあるが、それでもごくまれに少し艶のある雰囲気に挑戦してみたくなることはある。その時によく参考にするのが沢田研二である。あんなに綺麗な顔や身体はしていないのでそのまま取り入れることはできなくても、何となく頭に描いていると服の着方としては寄った方向になるような気がしている。
沢田研二はシンガーや作詞家としても優れている一方で、パフォーマーとしての素晴らしさが際立っているところにスター性の根源を持つ人であると私は思っている。過去のヒット曲の数々のテレビでのパフォーマンスは最高である。欧米と異なり日本の芸能界ではリベラルの勢力がそんなに強くないようなので『我が窮状』などの曲は悪い意味で目立つ存在になってしまいがちであるのに、そういう曲でも演じ方が上手い。何を表現するかということは常に大きな問題であるのと同時に、どう表現するかということもまた同じくらい大きな問題で、見せ方が上手いというのは伝え方が上手いことの一つであるから特に私のようなタイプは沢田研二から学ぶところが多い。もっとも『我が窮状』を含む近年の曲は彼自身がスターやアイドルのイメージから距離を置いて自身の新しい姿を発信してゆくことを表明して以降のものなので、私のほうが相変わらず上手いと感じていても彼の意図は違うところにあるはずで読み解こうとするならそのことも考慮しないといけない。
何にせよ多面的で才能溢れる人であると思う。
昨今は音楽が産業として成り立つことが難しくなった。このことにはやはり正負両面あるが、負の面の一つとしては多くの人的・物的資源を費やして可能になる大規模で豪華なことがとてもやりにくいということがある。沢田研二のかつてのイメージというのはそういうことの上にあったもので、端正でセクシーな現実離れした理想像を体現するタイプの人は今もたくさんいるものの、短期間評価された後転換や休止を余儀なくされることが殆どであるという印象である。現実離れした理想像そのままの人間というのは実在しないから今のほうが真っ当であるといえばそうである。ただし真っ当さは厳しいものでもあり、何も失わずに真っ当であることはできない。かつてのようなスターはもう存在する場所がないのかもしれない。
それらを踏まえた上で私が沢田研二から何を学べるか、というと、本質的な部分を大事にするように、ということかもしれないと思う。彼の髪型や服装のテイストを真似してもよいし、パフォーマンスの際の身体の運び方や間の取り方などを参考にしてセクシーぶってもよいのだが、何よりも何らかの世界観に没入し、周囲にもそうしたいという気持ちを起こさせるような芸術的な才覚があれば色々なことが可能になるだろう。説得力みたいなことなのだろうか。人を説得するなんて苦手だし、私が彼を参考にするのは諦めた方が良いのかとも思えてきた。
沢田研二はシンガーや作詞家としても優れている一方で、パフォーマーとしての素晴らしさが際立っているところにスター性の根源を持つ人であると私は思っている。過去のヒット曲の数々のテレビでのパフォーマンスは最高である。欧米と異なり日本の芸能界ではリベラルの勢力がそんなに強くないようなので『我が窮状』などの曲は悪い意味で目立つ存在になってしまいがちであるのに、そういう曲でも演じ方が上手い。何を表現するかということは常に大きな問題であるのと同時に、どう表現するかということもまた同じくらい大きな問題で、見せ方が上手いというのは伝え方が上手いことの一つであるから特に私のようなタイプは沢田研二から学ぶところが多い。もっとも『我が窮状』を含む近年の曲は彼自身がスターやアイドルのイメージから距離を置いて自身の新しい姿を発信してゆくことを表明して以降のものなので、私のほうが相変わらず上手いと感じていても彼の意図は違うところにあるはずで読み解こうとするならそのことも考慮しないといけない。
何にせよ多面的で才能溢れる人であると思う。
昨今は音楽が産業として成り立つことが難しくなった。このことにはやはり正負両面あるが、負の面の一つとしては多くの人的・物的資源を費やして可能になる大規模で豪華なことがとてもやりにくいということがある。沢田研二のかつてのイメージというのはそういうことの上にあったもので、端正でセクシーな現実離れした理想像を体現するタイプの人は今もたくさんいるものの、短期間評価された後転換や休止を余儀なくされることが殆どであるという印象である。現実離れした理想像そのままの人間というのは実在しないから今のほうが真っ当であるといえばそうである。ただし真っ当さは厳しいものでもあり、何も失わずに真っ当であることはできない。かつてのようなスターはもう存在する場所がないのかもしれない。
それらを踏まえた上で私が沢田研二から何を学べるか、というと、本質的な部分を大事にするように、ということかもしれないと思う。彼の髪型や服装のテイストを真似してもよいし、パフォーマンスの際の身体の運び方や間の取り方などを参考にしてセクシーぶってもよいのだが、何よりも何らかの世界観に没入し、周囲にもそうしたいという気持ちを起こさせるような芸術的な才覚があれば色々なことが可能になるだろう。説得力みたいなことなのだろうか。人を説得するなんて苦手だし、私が彼を参考にするのは諦めた方が良いのかとも思えてきた。
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