tinc さんの日記
2020
4月
25
(土)
20:01
本文
以前サラリーマンだった時分に同僚の家へ招かれた際、犬がいたので「ワンちゃんがいらっしゃるんですね」と言ったら「えっ!犬に敬語使うんですか!?」と驚かれ、数日後に別部署の上司から「お前、犬に敬語使うんだって?」と内線が来たということがあった。この上司は私が退職の挨拶に行った際「腰が低いのはいいことだよ。でも誰彼構わずぺこぺこすることないんだから」と言っていたので多分このことを憶えていたのだと思う。
これは一例であって、私の言動はどこか至らないものと見なされることが多い。
例えば、私の近所には人懐こい猫がいる。よく遊んでくれるのでありがたいと思うものの、この猫は散歩している犬が通るのを見るとすぐに威嚇する。犬の方は大概この猫と親しくなりたいのか尻尾を振りながら近づくのだが、猫はそれに対応して戦いの姿勢を保持したままじりじりと近づいてゆく。私はこのような場面に居合わせて「喧嘩しないで。お願い、やめて」と言いながら猫の進行を遮るということを何度かしている。
ある時これを見た通りすがりの児童が「猫語で言わないと駄目」と私に告げた。そしてその児童は無言で奇妙な踊りを踊った。猫は意に介した様子が無いように見えたが、児童は「ほらね」と言うと去っていった。
以上の2例は私も変かもしれないが、相手もそれなりに変ではないかと思う。
ところが今日のある出来事から、もしかしたら変なのはこの世で私ひとりかもしれないと思うようになった。
今日は午前中に近所のスーパーへ行った。帰りに家の前の道に差し掛かった時に、背後から大きな声で私の名を呼ぶ人があった。振り返ると私の知っている人がこちらへ小走りにやって来るところであった。知っているとは云うものの名前や素性を知っているわけではなくぼんやりと判るだけである。
その人はよく日焼けした、体格の大きい青年であった。彼は直近の受験で他地方の大学への進学を決めたこと、しかし新型ウイルス感染症流行の影響で今は自宅にいることを私に言い、私の体調はどうかと尋ねた。
そして彼は自分が高校時代に所属していた部活動の話をした。途中で友人と一緒に退部することになって悔しい思いもあったが、あの時は仕方がなかったし、結果的には受験に集中できた、というようなことだった。私はそれをただ聞いていたが、彼が「あの時アドバイス貰って良かったです。ありがとうございました」と被っていた帽子を取って深く頭を下げた時に心臓が止まるように感じた。私は彼に何かの助言をした記憶も彼から相談を受けた憶えも無かったのである。私は努めて平静を装い、お辞儀をして「わざわざすみません、ご進学おめでとうございます、どうかお元気で」と通り一遍の返礼を述べて自宅へ逃げ戻った。戻ってからコーヒーを淹れて飲んだが3杯飲んでも何も思い出せなかった。ブラウニーも焼いて食べたがその間も思い出せなかったし、オーブンのスタートボタンを押すのを忘れて40分くらい「ぜんぜん焼けてる感じがしないなー」と思っていた。
彼は私の顔と名前を知っているし、私も彼をなんとなく認識できるくらいには憶えている。おそらく過去3年以内のいつかに、私はどこかで彼の友人と部活動に関する話を聞き、何かの内容に対して何かの助言をしたらしいが、このブログを書いている今になってもやはり全然思い出せない。だいたい私が誰かから相談を受けてしかも助言をしたとは信じ難い。人違いで礼を言われたような気がしてならないのに、その直感に反する事実のみが存在するようでたいへん奇妙である。
世は不思議なるもの、が私の常識である。しかし不思議の中から異形の怪奇が突然顔を出すこともあるようだ。
これは一例であって、私の言動はどこか至らないものと見なされることが多い。
例えば、私の近所には人懐こい猫がいる。よく遊んでくれるのでありがたいと思うものの、この猫は散歩している犬が通るのを見るとすぐに威嚇する。犬の方は大概この猫と親しくなりたいのか尻尾を振りながら近づくのだが、猫はそれに対応して戦いの姿勢を保持したままじりじりと近づいてゆく。私はこのような場面に居合わせて「喧嘩しないで。お願い、やめて」と言いながら猫の進行を遮るということを何度かしている。
ある時これを見た通りすがりの児童が「猫語で言わないと駄目」と私に告げた。そしてその児童は無言で奇妙な踊りを踊った。猫は意に介した様子が無いように見えたが、児童は「ほらね」と言うと去っていった。
以上の2例は私も変かもしれないが、相手もそれなりに変ではないかと思う。
ところが今日のある出来事から、もしかしたら変なのはこの世で私ひとりかもしれないと思うようになった。
今日は午前中に近所のスーパーへ行った。帰りに家の前の道に差し掛かった時に、背後から大きな声で私の名を呼ぶ人があった。振り返ると私の知っている人がこちらへ小走りにやって来るところであった。知っているとは云うものの名前や素性を知っているわけではなくぼんやりと判るだけである。
その人はよく日焼けした、体格の大きい青年であった。彼は直近の受験で他地方の大学への進学を決めたこと、しかし新型ウイルス感染症流行の影響で今は自宅にいることを私に言い、私の体調はどうかと尋ねた。
そして彼は自分が高校時代に所属していた部活動の話をした。途中で友人と一緒に退部することになって悔しい思いもあったが、あの時は仕方がなかったし、結果的には受験に集中できた、というようなことだった。私はそれをただ聞いていたが、彼が「あの時アドバイス貰って良かったです。ありがとうございました」と被っていた帽子を取って深く頭を下げた時に心臓が止まるように感じた。私は彼に何かの助言をした記憶も彼から相談を受けた憶えも無かったのである。私は努めて平静を装い、お辞儀をして「わざわざすみません、ご進学おめでとうございます、どうかお元気で」と通り一遍の返礼を述べて自宅へ逃げ戻った。戻ってからコーヒーを淹れて飲んだが3杯飲んでも何も思い出せなかった。ブラウニーも焼いて食べたがその間も思い出せなかったし、オーブンのスタートボタンを押すのを忘れて40分くらい「ぜんぜん焼けてる感じがしないなー」と思っていた。
彼は私の顔と名前を知っているし、私も彼をなんとなく認識できるくらいには憶えている。おそらく過去3年以内のいつかに、私はどこかで彼の友人と部活動に関する話を聞き、何かの内容に対して何かの助言をしたらしいが、このブログを書いている今になってもやはり全然思い出せない。だいたい私が誰かから相談を受けてしかも助言をしたとは信じ難い。人違いで礼を言われたような気がしてならないのに、その直感に反する事実のみが存在するようでたいへん奇妙である。
世は不思議なるもの、が私の常識である。しかし不思議の中から異形の怪奇が突然顔を出すこともあるようだ。
閲覧(2016)
カテゴリー | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
コメントを書く |
---|
コメントを書くにはログインが必要です。 |