tinc さんの日記
2020
4月
24
(金)
11:00
本文
同級生と二人、飲めもしないお酒を飲みながら夜通し歩いたことがある。彼は同性愛者で、当時彼の周囲でそのことを知るのは私だけだったそうだ。彼からの重苦しいような開示を聞いた直後には私は悩んだ。当時の地方都市に住まう思春期の若者の間では、同性愛者であることは罪のように扱われていた。彼は今後周囲からの不合理な乖離を経験しながら生きてゆくことになるだろうが、私は彼の何の助けになれるかと考えた。しかしすぐに「まあ何か相談してもらえたらその時に考えればいいか」という無責任な結論に至り、悩むのを止めた。
その開示のために彼は私を呼び出したという。ビルの並ぶ市街地かと思うとすぐに田畑や山だらけの道へ入ってゆくような都市の外れの、海沿いの小さな倉庫の陰で彼は頭を抱えていた。私は彼に「少し歩こう」と言った。われわれは倉庫街を一言も口をきかずに歩いた後、市街地を素通りして、近くのごく低い山の頂上へ向かった。途中の個人商店でお酒と煙草を買って、当の山の頂上に着くと違法に廃棄されて錆び朽ちたドラム缶の上に腰掛けて瓶のまま乾杯した。
彼は顔や体つきや口調がC-3POに似ていて、私はそのことをものすごく格好いいと常々思っていた。彼が同性愛者であることは私に対しての彼の後光を尚更増した。少数派だし芸術家みたいだし格好いい、と思って、スター・ウォーズの登場人物でも同性愛者でもない私は彼をたいへん羨ましく思った。
大した量を飲まないうちに二人とも酔っ払い、座ったまま眠っていた。二人が朦朧としながら取り敢えず立ち直ったときには夜に近い夕方で、町の灯りが点いているのを山から見るようになった。私は遠くの町の海辺の、おそらく灯台と思われる灯りを指して、「あそこまで歩こう」と突然に言った。彼は「そうだね」と答え、また二人でお酒を片手に歩き出した。夜通し歩いて灯台らしき建物の下に着く頃には明け方であった。道中あまり話をしなかった。転んでガードレールで頭を強打したり、大あくびをした拍子に口に蝙蝠が飛び込んできて大騒ぎになるということもあって、げらげら笑うことは多かった。
私は根っからの口下手で、当時は今と比してもずっとひどかった。周囲は彼を罪人のように扱うかもしれないが私はそうではない、というだけのことを言いたかったが言えなかったのだと思う。それで彼を一晩付き合わせたのだろう。迷惑な話である。
その迷惑な話の数日後、私は親の転勤に伴って隣県の高校へ進学した。彼はインターネットで同じ性的指向の人と繋がりを持ち始め、その中で生じる喜びや悩みについて私に度々メールを送ってくれた。私が大学へ進学する頃から連絡は疎らになり途絶えた。異性の恋人を持った人が異性の友人と連絡を密にすることが難しいのと同様の事象なのかもしれないし、単に彼が私のことを嫌になったのかもしれないし、あるいは他の事由かもしれない。
ともあれ、私はこの夜のことを思い出すこともしばしばある。寒いわ疲れるわで大変だったはずだが彼は文句も言わずに付き合ってくれたのだ。私は家にいるのが嫌だったので帰らなくてよかったが彼は普通の家に暮らしているはずだったのだ。
私はこのことが遠因となって、自分のついてゆけない話や知らない分野への誘いにも少し自分から近づく態度を得たような気がしている。その結果得たものも多大である。彼の付き合いの良さに今も助けられているのである。
その開示のために彼は私を呼び出したという。ビルの並ぶ市街地かと思うとすぐに田畑や山だらけの道へ入ってゆくような都市の外れの、海沿いの小さな倉庫の陰で彼は頭を抱えていた。私は彼に「少し歩こう」と言った。われわれは倉庫街を一言も口をきかずに歩いた後、市街地を素通りして、近くのごく低い山の頂上へ向かった。途中の個人商店でお酒と煙草を買って、当の山の頂上に着くと違法に廃棄されて錆び朽ちたドラム缶の上に腰掛けて瓶のまま乾杯した。
彼は顔や体つきや口調がC-3POに似ていて、私はそのことをものすごく格好いいと常々思っていた。彼が同性愛者であることは私に対しての彼の後光を尚更増した。少数派だし芸術家みたいだし格好いい、と思って、スター・ウォーズの登場人物でも同性愛者でもない私は彼をたいへん羨ましく思った。
大した量を飲まないうちに二人とも酔っ払い、座ったまま眠っていた。二人が朦朧としながら取り敢えず立ち直ったときには夜に近い夕方で、町の灯りが点いているのを山から見るようになった。私は遠くの町の海辺の、おそらく灯台と思われる灯りを指して、「あそこまで歩こう」と突然に言った。彼は「そうだね」と答え、また二人でお酒を片手に歩き出した。夜通し歩いて灯台らしき建物の下に着く頃には明け方であった。道中あまり話をしなかった。転んでガードレールで頭を強打したり、大あくびをした拍子に口に蝙蝠が飛び込んできて大騒ぎになるということもあって、げらげら笑うことは多かった。
私は根っからの口下手で、当時は今と比してもずっとひどかった。周囲は彼を罪人のように扱うかもしれないが私はそうではない、というだけのことを言いたかったが言えなかったのだと思う。それで彼を一晩付き合わせたのだろう。迷惑な話である。
その迷惑な話の数日後、私は親の転勤に伴って隣県の高校へ進学した。彼はインターネットで同じ性的指向の人と繋がりを持ち始め、その中で生じる喜びや悩みについて私に度々メールを送ってくれた。私が大学へ進学する頃から連絡は疎らになり途絶えた。異性の恋人を持った人が異性の友人と連絡を密にすることが難しいのと同様の事象なのかもしれないし、単に彼が私のことを嫌になったのかもしれないし、あるいは他の事由かもしれない。
ともあれ、私はこの夜のことを思い出すこともしばしばある。寒いわ疲れるわで大変だったはずだが彼は文句も言わずに付き合ってくれたのだ。私は家にいるのが嫌だったので帰らなくてよかったが彼は普通の家に暮らしているはずだったのだ。
私はこのことが遠因となって、自分のついてゆけない話や知らない分野への誘いにも少し自分から近づく態度を得たような気がしている。その結果得たものも多大である。彼の付き合いの良さに今も助けられているのである。
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