tinc さんの日記
2020
4月
23
(木)
14:10
本文
子どもの頃からSFやファンタジーを好んでいる。ハヤカワや創元や中公の文庫本を図書館で借りたり古本屋で買い漁ったりしては寝食を忘れて読み耽っていた頃から、たぶん私の中身は変わっていない。空想の世界で遊ぶのは現実の世界に生きることと矛盾しないし両者に優劣は無いと思っている。
作家になろうと考えたことは無いが、自分の楽しみのために何本か物語を書いたことがある。軍隊と警察と秘密結社が人工生命の開発を巡って死闘を繰り広げる話とか、腐敗した都市国家の改革に乗り出した青年が反対派の攻撃で恋人を喪い、復讐の戦いに身を投じる話とか、復員軍人たちが平和団体を結成しそれを隠れ蓑に要人暗殺を繰り返す話とか、今でも大筋が記憶にあるものは大体陰鬱そうな話である。しかしそれらを書いていた当時から現在に至るまでずっと書きたいと思っているのはもっと違う、童話みたいな話なのだ。
森の大木の洞に事務所を構える探偵の熊が、森に住まう栗鼠や兎や鹿や梟の依頼を受けて彼らの様々の困りごとを解決する。仕事に邁進するうちに熊は気づかぬまま疲弊し周囲では知らぬ間に季節が進んで冬が近づき、熊はある時森の中で倒れて眠り込んでしまう。熊の依頼者たちは熊を大木の洞の事務所へ運び入れ、藁の毛布や枯れ葉の枕を拵えて、木の実や果物を集めては持ち寄って熊の冬眠を支える。そういう大筋である。
簡単そうに見えるこの話を私は書けないまま月日を過ごしていた。平易な言葉で短い文を書いて、しかもそれが流麗で詩的な表現になっていないといけない。登場する動物たちの心の温かさや透明さを真に迫ったものにするためにも、細部の描写に調和が無ければならない。繰り返しの様式を意義あるものにするには意味のみならず音読した時の音の妙も必要になる。そういった諸々の条件を満たすものは、私の持ち合わせる語彙や文法や感性を相当に動員し続けても顕現しなかった。
いつまで経っても書けなかった原因はおそらく、この話が私の理想に関わるものだからだ。優しくて、綺麗で、いつまでもそこに在ってほしいもの。それを自らつまらないものにしてしまうのが嫌で書けなかったのだと思う。
ところが最近はこの探偵熊の話を少しずつ書いている。
知らない人の目に触れる可能性のある文章を書くのはこのハピスロ世代のブログが最初だと思う。自分のブログへコメントを頂けることがあったり、知らない人のブログを拝読することがあるという中で、思考したり表現したりすることに係る意志が養成されていった感覚がある。SNSに登録して活動するということは罵詈雑言への対応に汲々とすることだという先入観を持っていた。考えてみればわざわざ罵詈雑言をもらうほどの名声も影響力も無い。ジーンズを企画した時のようにやるだけやってみよう。そう思えるのはきっとここに来られたおかげである。
私の少しだけ知る方々、ぜんぜん知らない方々、皆様と同じ場にいられて光栄です。誠にありがとうございます。
作家になろうと考えたことは無いが、自分の楽しみのために何本か物語を書いたことがある。軍隊と警察と秘密結社が人工生命の開発を巡って死闘を繰り広げる話とか、腐敗した都市国家の改革に乗り出した青年が反対派の攻撃で恋人を喪い、復讐の戦いに身を投じる話とか、復員軍人たちが平和団体を結成しそれを隠れ蓑に要人暗殺を繰り返す話とか、今でも大筋が記憶にあるものは大体陰鬱そうな話である。しかしそれらを書いていた当時から現在に至るまでずっと書きたいと思っているのはもっと違う、童話みたいな話なのだ。
森の大木の洞に事務所を構える探偵の熊が、森に住まう栗鼠や兎や鹿や梟の依頼を受けて彼らの様々の困りごとを解決する。仕事に邁進するうちに熊は気づかぬまま疲弊し周囲では知らぬ間に季節が進んで冬が近づき、熊はある時森の中で倒れて眠り込んでしまう。熊の依頼者たちは熊を大木の洞の事務所へ運び入れ、藁の毛布や枯れ葉の枕を拵えて、木の実や果物を集めては持ち寄って熊の冬眠を支える。そういう大筋である。
簡単そうに見えるこの話を私は書けないまま月日を過ごしていた。平易な言葉で短い文を書いて、しかもそれが流麗で詩的な表現になっていないといけない。登場する動物たちの心の温かさや透明さを真に迫ったものにするためにも、細部の描写に調和が無ければならない。繰り返しの様式を意義あるものにするには意味のみならず音読した時の音の妙も必要になる。そういった諸々の条件を満たすものは、私の持ち合わせる語彙や文法や感性を相当に動員し続けても顕現しなかった。
いつまで経っても書けなかった原因はおそらく、この話が私の理想に関わるものだからだ。優しくて、綺麗で、いつまでもそこに在ってほしいもの。それを自らつまらないものにしてしまうのが嫌で書けなかったのだと思う。
ところが最近はこの探偵熊の話を少しずつ書いている。
知らない人の目に触れる可能性のある文章を書くのはこのハピスロ世代のブログが最初だと思う。自分のブログへコメントを頂けることがあったり、知らない人のブログを拝読することがあるという中で、思考したり表現したりすることに係る意志が養成されていった感覚がある。SNSに登録して活動するということは罵詈雑言への対応に汲々とすることだという先入観を持っていた。考えてみればわざわざ罵詈雑言をもらうほどの名声も影響力も無い。ジーンズを企画した時のようにやるだけやってみよう。そう思えるのはきっとここに来られたおかげである。
私の少しだけ知る方々、ぜんぜん知らない方々、皆様と同じ場にいられて光栄です。誠にありがとうございます。
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