のぶお さんの日記
2020
4月
16
(木)
01:56
多分50年ぶりに対面?
カテゴリー
遺跡・古墳
本文
さて階段を見つけました。
仙人には、
今回は一人で行ってみま〜〜〜す、とお声を掛けて先に進みます。
紹介が遅くなりましたがこの方は『益田の岩船』さんです。
船を俯せにしたように見えるので岩船と呼ばれますが、
実は何に使われた巨石なのか未だに分からないんです。
上部には大きな穴が二つその穴を繋ぐようにある切込み。
飛鳥の巨石文化の中で一番謎の多い巨石です。
これまでは益田池の石碑が立っていた台座とも言われていました。
益田池はこの石から見下ろす直ぐ北側に作られていて面積は40ヘクタール、
満水時の貯水量は140万トンから180万トンと推測されています。
弘法大師空海の真筆と伝えられる碑文が書かれた石碑は現在久米寺内にあります。
ただ最近一番これかなと思えるのは、
ここから数百メートル南にある牽牛子塚古墳の墓室が似ていると言えば似ています。
それなら何故作りっぱなしでここに放置されたのかと言われたら分かりません。
牽牛子塚古墳は最近の発掘で八角の石敷きが囲んでいることから斉明天皇陵ではないかと言われています。
竹林が無ければこの向こうに牽牛子塚古墳が見えるはずです。
その間には中学が建っていて、
のぶお君が通学中に岩船を見上げ、
授業中にはその教室からあの石はなんだろうと思いながら牽牛子塚古墳を見ていましたよ。
これはほんまの話です。
話はそれましたが益田の岩船は今も色んなロマンを運んでくれています。
仙人には、
今回は一人で行ってみま〜〜〜す、とお声を掛けて先に進みます。
紹介が遅くなりましたがこの方は『益田の岩船』さんです。
船を俯せにしたように見えるので岩船と呼ばれますが、
実は何に使われた巨石なのか未だに分からないんです。
上部には大きな穴が二つその穴を繋ぐようにある切込み。
飛鳥の巨石文化の中で一番謎の多い巨石です。
これまでは益田池の石碑が立っていた台座とも言われていました。
益田池はこの石から見下ろす直ぐ北側に作られていて面積は40ヘクタール、
満水時の貯水量は140万トンから180万トンと推測されています。
弘法大師空海の真筆と伝えられる碑文が書かれた石碑は現在久米寺内にあります。
ただ最近一番これかなと思えるのは、
ここから数百メートル南にある牽牛子塚古墳の墓室が似ていると言えば似ています。
それなら何故作りっぱなしでここに放置されたのかと言われたら分かりません。
牽牛子塚古墳は最近の発掘で八角の石敷きが囲んでいることから斉明天皇陵ではないかと言われています。
竹林が無ければこの向こうに牽牛子塚古墳が見えるはずです。
その間には中学が建っていて、
のぶお君が通学中に岩船を見上げ、
授業中にはその教室からあの石はなんだろうと思いながら牽牛子塚古墳を見ていましたよ。
これはほんまの話です。
話はそれましたが益田の岩船は今も色んなロマンを運んでくれています。
左上:ここから会いに行くのですわ。 右上:少し行くとこんな方が居られました。
『岩船直ぐそこやけど よかったらお供します
一人でよう帰らんかったら ここまでつれて帰ってや
よろしゅうに 岩船仙人のつえ』
左右下:こんな道も通ります。
ふっと視界が広がると目の前に大迫力で横たわってはりました。 回りも撮ってみます。模様のように見えるのは石を切り出すときに出来た傷なのでしょうか。
傍に寄るとこんな感じです、市が管理して周囲の雑草や雑木を切ってくれてます。
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