tinc さんの日記
2020
4月
14
(火)
23:00
本文
私は他人とおしゃべりをするのが好きだが、自分の方からの発言のだいたいは相槌で済ませてしまう。感想の類は特に明確に求められない限りは言わない。敢えてそうしている部分もあるが、殆どは相手の話をもっと聞きたいという気持ちが強いからというところに理由がある。その私の態度をして、ある知人が「あいつはひとの話を否定せずに聞けるから偉い」と評していたと、今日別の人づてに聞いた。私は驚いた。その知人は他人をあまり褒めないし、かといって嫌味や皮肉を言うほうでもないので、彼に偉いと言われるとは予想したことがなかった。
彼は知的な人である。しかし事物を概ね批判的に捉え、余程のことがない限り何かを信じるということがないことが一因か、周囲での評判があまりよくない。辛辣であるとか否定的なことばかり言うとかで、昨今のウイルス流行の影響で中断されている個人的な集まりでも、彼がいるなら出ないという人も何人かいる。だから彼と私は二人で話すことが多い。
そういえば数か月前のある日、彼と私が喫茶店で話しているところへ、偶然同じ店にいた共通の知人が声をかけてきた。その人は私にだけ挨拶をして、彼へは何も言わずに立ち去った。その後彼は「おれはみんなから嫌われてる」と言い、「おれとつるんでいると、お前も仲間外れになるぞ」と私に警告をした。私はそれを聞いて、あまり考えないまま珍しく「それはお前にもおれにも、あまり関係のないことだと思う」と返した。彼もその時に珍しく「確かにそうだ」と言っていた。
彼が実際に仲間外れなのか、私は知らない。冒頭に挙げた彼の言葉を私へ伝えてくれた人は少なくとも彼と話をしている。仮に彼が仲間外れであったとしても、仲間外れと仲良くする不利益を気にしなければならないような付き合いはまるごと止めたほうがよいのが通常である。彼は自分を仲間外れだと思ってそのことを気に病んでいるのかもしれないし、自分の言動が周囲の他者を害していると捉えてそのことに苦しんでいるのかもしれない。あるいは自身を遠ざける周囲に対して怒りや憎しみを抱いているかもしれない。彼の頭の中や心の内を私は知る由もないし、その類のことを彼が話してくれる時が来たとしても、私はいつも通り相槌を打つだけで終わりにするような気がする。それでもなお彼が私を偉いと言うなら、偉いということがいよいよ何だかわからなくなって面白かろう。
昨日、私の住むあたりは強い雨であった。今日は晴れて風が吹いていた。外出を控える意味で、窓の傍に椅子とテーブルを置いて本を読んで過ごしていたものの、難しい内容であった(シュレーディンガーの『生命とは何か』の岩波文庫の訳書を読んでいた)ので彼の助力を得たいと思うことが何度かあった。そのことに端を発して彼に関することが色々と私の頭を去来した。彼を知る人の中には彼を「悪い人ではないが損をしている」とする向きもある。損得の問題であるならば他人がとやかく言うことではないようにも思う。また彼は私の知る彼の周囲に馴染んでいない人のようにも見える。私もあまり自分が周りに馴染んでいると思うことはなく、その辺りが私が彼になんとなく親しみを持つことの由来なのかもしれない。一方で彼を嫌う人たちにも当然それなりの理由があろうし、彼自身はそれに対してやはり言うことがあるだろう。現実にそれらを開示し合うような機会が訪れたとしたら、彼は何らかの正確さや妥当性を相手に求めるような気が私はする。好き嫌いと正否は噛み合いにくいと私は思っているのだが、彼を含む他の人からすればそうではないのかもしれない。
このブログを書く前、私は彼にLINEで「行雲流水」とのみ送った。すぐさま彼から「そうさせないのが人の世」と返ってきた。彼は私を戒めているのか、彼自身が不自由さの中で生きているのか。両方だろうと私は思った。そして彼とまた対面して話したいと思った。相槌で勘弁してもらうが。
彼は知的な人である。しかし事物を概ね批判的に捉え、余程のことがない限り何かを信じるということがないことが一因か、周囲での評判があまりよくない。辛辣であるとか否定的なことばかり言うとかで、昨今のウイルス流行の影響で中断されている個人的な集まりでも、彼がいるなら出ないという人も何人かいる。だから彼と私は二人で話すことが多い。
そういえば数か月前のある日、彼と私が喫茶店で話しているところへ、偶然同じ店にいた共通の知人が声をかけてきた。その人は私にだけ挨拶をして、彼へは何も言わずに立ち去った。その後彼は「おれはみんなから嫌われてる」と言い、「おれとつるんでいると、お前も仲間外れになるぞ」と私に警告をした。私はそれを聞いて、あまり考えないまま珍しく「それはお前にもおれにも、あまり関係のないことだと思う」と返した。彼もその時に珍しく「確かにそうだ」と言っていた。
彼が実際に仲間外れなのか、私は知らない。冒頭に挙げた彼の言葉を私へ伝えてくれた人は少なくとも彼と話をしている。仮に彼が仲間外れであったとしても、仲間外れと仲良くする不利益を気にしなければならないような付き合いはまるごと止めたほうがよいのが通常である。彼は自分を仲間外れだと思ってそのことを気に病んでいるのかもしれないし、自分の言動が周囲の他者を害していると捉えてそのことに苦しんでいるのかもしれない。あるいは自身を遠ざける周囲に対して怒りや憎しみを抱いているかもしれない。彼の頭の中や心の内を私は知る由もないし、その類のことを彼が話してくれる時が来たとしても、私はいつも通り相槌を打つだけで終わりにするような気がする。それでもなお彼が私を偉いと言うなら、偉いということがいよいよ何だかわからなくなって面白かろう。
昨日、私の住むあたりは強い雨であった。今日は晴れて風が吹いていた。外出を控える意味で、窓の傍に椅子とテーブルを置いて本を読んで過ごしていたものの、難しい内容であった(シュレーディンガーの『生命とは何か』の岩波文庫の訳書を読んでいた)ので彼の助力を得たいと思うことが何度かあった。そのことに端を発して彼に関することが色々と私の頭を去来した。彼を知る人の中には彼を「悪い人ではないが損をしている」とする向きもある。損得の問題であるならば他人がとやかく言うことではないようにも思う。また彼は私の知る彼の周囲に馴染んでいない人のようにも見える。私もあまり自分が周りに馴染んでいると思うことはなく、その辺りが私が彼になんとなく親しみを持つことの由来なのかもしれない。一方で彼を嫌う人たちにも当然それなりの理由があろうし、彼自身はそれに対してやはり言うことがあるだろう。現実にそれらを開示し合うような機会が訪れたとしたら、彼は何らかの正確さや妥当性を相手に求めるような気が私はする。好き嫌いと正否は噛み合いにくいと私は思っているのだが、彼を含む他の人からすればそうではないのかもしれない。
このブログを書く前、私は彼にLINEで「行雲流水」とのみ送った。すぐさま彼から「そうさせないのが人の世」と返ってきた。彼は私を戒めているのか、彼自身が不自由さの中で生きているのか。両方だろうと私は思った。そして彼とまた対面して話したいと思った。相槌で勘弁してもらうが。
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