湘南のカモメ さんの日記
2020
4月
6
(月)
09:05
本文
高校時代の私は悪ガキの悪戯好きで、いつも先生達を困らせていました。
そのせいか?担任の先生は3年間一度も変りませんでした。
卒業式の後教室に戻ると、先生からの訓示がありました。
それは「俺は教師になったが小さく纏まってしまった。お前達はこれからだから大きく育て!」 そして、「どうせ生きるなら<象の尻尾よりも、蟻の頭でもいいから人の上に立て!>でした。
更にもう一つ「頭があるヤツは頭を使え、頭がないヤツは体を使え!」と言われたことを覚えています。
大学を卒業して大手の設計会社に入りましたが、かなり年配の先輩に至るまでやっていることと言えば一つの歯車に過ぎず、プロジェクト全体を任せられるわけではないことが解って愕然としました。
「これでは、いつまで居ても歯車の一つでしかないな!」そう思うと、「象の尻尾どころか?尻尾に生えている毛の1本すらない」ことを痛感し、嫌になって会社を退職しました。
そして、その3日後には法務局で法人設立届けを出していました。
体裁上は先生が言った「蟻の頭」になりましたが、それからが苦難の道のりでした。
建築会社を興しはしましたが、私は大工上がりでもなく「腕に覚え」は全くありません。
頭だけで職人さんを動かさざるを得ず、様々な抵抗にも遭いながら、どうにかこうにかやってきました。
職人さんという人種は実に狡猾な人種です。
「コイツ知らね~な?!」と思われたら最後で、とことん喰い尽くされます。
口では「社長社長」と言いながら、恐らく裏では舌を出していたのだろうと思います。
仕事は取っても取っても、その利益は全て職人さんに持っていかれて、明日食べるお金も残りませんでした。
それから10数年後になって、ようやく頭を使うことで職人さんたちに喰われることもなくなり、その頃になって先生が言った言葉重みを感じるようになりました。
先生が危ないと聞いて九州までお見舞いに駆けつけました.
その際に先生は私の手を取って、「お前のことは本当に心配したぞ!会社も大きくしたらしいな?」に「はい!全て先生のお陰です!ようやくトンボの頭ぐらいにはなりました、どうも有難うございました」と手を握り返すと、「うんうん!」と頷きながら「トンボか?頭でっかちだな!気をつけろよ」と最後の別れの時にも心配をして貰いました。
それから20日ほど後に、5回もの離婚結婚を繰り返し<女好きだった>先生は100歳という長寿に幕を下されました。
すぐに飛びましたが、お通夜には間に合いませんでした。
しかし、翌日の葬儀 四十九日法要と駆けつけ、間もなく七回忌がやってきます。
先生とは亡くなった後まで、長い長いお付き合いになりました。
そのせいか?担任の先生は3年間一度も変りませんでした。
卒業式の後教室に戻ると、先生からの訓示がありました。
それは「俺は教師になったが小さく纏まってしまった。お前達はこれからだから大きく育て!」 そして、「どうせ生きるなら<象の尻尾よりも、蟻の頭でもいいから人の上に立て!>でした。
更にもう一つ「頭があるヤツは頭を使え、頭がないヤツは体を使え!」と言われたことを覚えています。
大学を卒業して大手の設計会社に入りましたが、かなり年配の先輩に至るまでやっていることと言えば一つの歯車に過ぎず、プロジェクト全体を任せられるわけではないことが解って愕然としました。
「これでは、いつまで居ても歯車の一つでしかないな!」そう思うと、「象の尻尾どころか?尻尾に生えている毛の1本すらない」ことを痛感し、嫌になって会社を退職しました。
そして、その3日後には法務局で法人設立届けを出していました。
体裁上は先生が言った「蟻の頭」になりましたが、それからが苦難の道のりでした。
建築会社を興しはしましたが、私は大工上がりでもなく「腕に覚え」は全くありません。
頭だけで職人さんを動かさざるを得ず、様々な抵抗にも遭いながら、どうにかこうにかやってきました。
職人さんという人種は実に狡猾な人種です。
「コイツ知らね~な?!」と思われたら最後で、とことん喰い尽くされます。
口では「社長社長」と言いながら、恐らく裏では舌を出していたのだろうと思います。
仕事は取っても取っても、その利益は全て職人さんに持っていかれて、明日食べるお金も残りませんでした。
それから10数年後になって、ようやく頭を使うことで職人さんたちに喰われることもなくなり、その頃になって先生が言った言葉重みを感じるようになりました。
先生が危ないと聞いて九州までお見舞いに駆けつけました.
その際に先生は私の手を取って、「お前のことは本当に心配したぞ!会社も大きくしたらしいな?」に「はい!全て先生のお陰です!ようやくトンボの頭ぐらいにはなりました、どうも有難うございました」と手を握り返すと、「うんうん!」と頷きながら「トンボか?頭でっかちだな!気をつけろよ」と最後の別れの時にも心配をして貰いました。
それから20日ほど後に、5回もの離婚結婚を繰り返し<女好きだった>先生は100歳という長寿に幕を下されました。
すぐに飛びましたが、お通夜には間に合いませんでした。
しかし、翌日の葬儀 四十九日法要と駆けつけ、間もなく七回忌がやってきます。
先生とは亡くなった後まで、長い長いお付き合いになりました。
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