tinc さんの日記
2020
2月
16
(日)
23:17
本文
ジーンズ好きが高じて、最近自分企画のジーンズを外部に依頼して製造して頂いた。生地や糸等の資材の手配とデザインの大枠は自分でやったが、パターン作成と縫製、言葉でお伝えしたデザインを具体物に反映するところの調整等は完全に外部の方の手によるものだし、その過程で様々の知識や知恵を授けて頂いた。やはり一人では何もできないのだ。そして完成したジーンズは完全に私の好みに沿っている。これをインターネットで売りに出すつもりなのでそれ用のIP電話番号とメールアドレス、いくつかのSNSのアカウントを取得した。あとは製品の写真を撮影して、レンタルオフィスを探して貸して頂ければ、どこかの誰かが購入したいと思って下されば売却することが可能になる。
これをいわゆる個人事業と呼ぶこともできるだろうし、法的にはそういう規定になるのかもしれないが、主体である私としては事業と呼ぶことに違和感を持つ。お金が儲かる気がこれっぽっちもしない。それが主目的でもない。商業化したら自分のやりたいことだけやっているわけにゆかなくなるので嫌である。無名の画家や詩人が作品を売ろうとするみたいなもので、誰にも何の実利も提供しない非生産的行為、いわゆる愚行である。誰も認めないし褒めないだろう。しかし発表するということは少なくとも製品がその人たちの目に止まって、認めないとか褒めないとかの判断をしてもらえることになるのだと思う。私は芸術家ではないが、何かを表現するということの大きな良さの一つはこのことではないかと思う。芸術家の中には表現せずにいられない人が少なからずいるだろう。私も自分のジーンズを形にして外へ送り出さずにはいられない。誰の理解も共感も得られないのであれば、理解も共感も得られないということをはっきりと目の当たりにしたい。それは辛い孤独かもしれない。しかし自分の思う格好よさ、自分の信じる美に関して口をつぐんでいる孤独とは別の孤独であろう。凍えるように冷たいかもしれないが、窒息はしない。
この国の衣料品産業はたぶん成熟期にある。安かろう悪かろうも無いではないが、高額品と低額品の差は以前よりずっと小さくなってきている。文化的にもかつてのように豪奢な服を着ることがその人の地位を高めるものではなく、何かが流行するととてもたくさんの人がそれを着るようになるということも減った。国内では生地や糸やボタンの製造業者も、また縫製業者も、衰退の一途を辿っている。その中で敢えて極小規模でやろうというからには余程の勝算があるのかと思われるかもしれないが、何の勝算もない。戦う気がないからだ。笑わば笑えである。愉快でたまらない。私は愚行の多い人間であるとはいえ、今回ほど清々しい愚行は今までなかった。
きっと今までも、私のように愚行を為して名も知られず消えて忘れられた人々が大勢いたのだ。その無名にこの度名を連ねることになろうとしている。少し恐ろしくもあるが、高揚の方がずっと強い。生きていればこういうエキサイティングな気分も訪れる。若い時分に自死を選択する勇気のなかったことに感謝である。
これをいわゆる個人事業と呼ぶこともできるだろうし、法的にはそういう規定になるのかもしれないが、主体である私としては事業と呼ぶことに違和感を持つ。お金が儲かる気がこれっぽっちもしない。それが主目的でもない。商業化したら自分のやりたいことだけやっているわけにゆかなくなるので嫌である。無名の画家や詩人が作品を売ろうとするみたいなもので、誰にも何の実利も提供しない非生産的行為、いわゆる愚行である。誰も認めないし褒めないだろう。しかし発表するということは少なくとも製品がその人たちの目に止まって、認めないとか褒めないとかの判断をしてもらえることになるのだと思う。私は芸術家ではないが、何かを表現するということの大きな良さの一つはこのことではないかと思う。芸術家の中には表現せずにいられない人が少なからずいるだろう。私も自分のジーンズを形にして外へ送り出さずにはいられない。誰の理解も共感も得られないのであれば、理解も共感も得られないということをはっきりと目の当たりにしたい。それは辛い孤独かもしれない。しかし自分の思う格好よさ、自分の信じる美に関して口をつぐんでいる孤独とは別の孤独であろう。凍えるように冷たいかもしれないが、窒息はしない。
この国の衣料品産業はたぶん成熟期にある。安かろう悪かろうも無いではないが、高額品と低額品の差は以前よりずっと小さくなってきている。文化的にもかつてのように豪奢な服を着ることがその人の地位を高めるものではなく、何かが流行するととてもたくさんの人がそれを着るようになるということも減った。国内では生地や糸やボタンの製造業者も、また縫製業者も、衰退の一途を辿っている。その中で敢えて極小規模でやろうというからには余程の勝算があるのかと思われるかもしれないが、何の勝算もない。戦う気がないからだ。笑わば笑えである。愉快でたまらない。私は愚行の多い人間であるとはいえ、今回ほど清々しい愚行は今までなかった。
きっと今までも、私のように愚行を為して名も知られず消えて忘れられた人々が大勢いたのだ。その無名にこの度名を連ねることになろうとしている。少し恐ろしくもあるが、高揚の方がずっと強い。生きていればこういうエキサイティングな気分も訪れる。若い時分に自死を選択する勇気のなかったことに感謝である。
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