松任谷 彩 さんの日記
2020
2月
12
(水)
10:46
本文
北海道の東端、半島の長さは28km。先端は細長く伸び、跳ねる海老のように曲がってます。地の果てを思わせる、この場所に遊郭ありました。
年代は古く、江戸時代の後期(1799年)から10名単位の女性が、道中の厳しさに堪えながら数回に亘ってこの地に送られました。
多くの人が、厳戒と厳しい寒さに堪えられずに、命を落としました。
この世の終わりを告げるような、この地の名は「キラク」。
アイヌ語でありません。「キラクに遊びに来て下さい」と、云う歓楽の場に誘う意味合いです。
この地の元々は、江戸幕府の北方警戒と交易の場として発展した「通行屋」でした。しかし、ロシアとの交易が政情不安によって中断すると、60棟あった「通行屋」も「遊郭」も跡形もなく消滅。
昭和30年代になって、砂で厚くなった砂嘴(さし)と呼ばれる地形の発掘に入りました。発掘物の一部は「野付半島ネイチャセンター」で展示して居ります。
①野付半島は尾岱沼(おだいとう)漁港から先端の荒浜岬までの距離は28km。道幅は広い所で100m弱
②何処を眺めてもトドワラ・ナラワラだらけの原風景
③和服姿と提灯持参で28kmを渡ってキラクに向かう女性たち。NHK特番より
④名無しの墓所。きっと、彼女たちであろう
⑤近年は観光地化。馬車バスも通う
⑥女性に人気のトドワラ。哀しい女性史もたず
年代は古く、江戸時代の後期(1799年)から10名単位の女性が、道中の厳しさに堪えながら数回に亘ってこの地に送られました。
多くの人が、厳戒と厳しい寒さに堪えられずに、命を落としました。
この世の終わりを告げるような、この地の名は「キラク」。
アイヌ語でありません。「キラクに遊びに来て下さい」と、云う歓楽の場に誘う意味合いです。
この地の元々は、江戸幕府の北方警戒と交易の場として発展した「通行屋」でした。しかし、ロシアとの交易が政情不安によって中断すると、60棟あった「通行屋」も「遊郭」も跡形もなく消滅。
昭和30年代になって、砂で厚くなった砂嘴(さし)と呼ばれる地形の発掘に入りました。発掘物の一部は「野付半島ネイチャセンター」で展示して居ります。
①野付半島は尾岱沼(おだいとう)漁港から先端の荒浜岬までの距離は28km。道幅は広い所で100m弱
②何処を眺めてもトドワラ・ナラワラだらけの原風景
③和服姿と提灯持参で28kmを渡ってキラクに向かう女性たち。NHK特番より
④名無しの墓所。きっと、彼女たちであろう
⑤近年は観光地化。馬車バスも通う
⑥女性に人気のトドワラ。哀しい女性史もたず
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