風まかせ さんの日記
2020
1月
16
(木)
21:35
本文
映画のなかのおいしいもの
男と女のメインディッシュ
クロード・ルルーシュ監督『男と女』
男と女が出会う。ふたりは愛しあう。ときに、どちらかが涙を置いて去っていくが、磁石のように惹き合い、ふたたび結ばれる。いつの世にも、どこにでもある男と女のラブストーリー。とことんありふれているが、なぜか胸にこたえる。
ダバダバダ、ダバダバダ…〟フランシス・レイの甘くやるせないスキャットにのって、男は女に出会う。
男の名はジャン=ルイ・デュロック。職業レーサー。妻は、彼が事故で重傷を負ったとき、ショックで精神のバランスを失い自殺する。幼い男の子が彼の元に残された。
女の名は、アンヌ・ゴーティエ。夫は映画のスタントマンだったが、戦場シーンの撮影で事故死。小さな女の子を寄宿学校に預けている。
ふたりが初めて出会ったのが、この寄宿学校だった。週末を母娘で楽しんだアンヌは、娘を学校に届けた帰り、パリ行きの列車に乗り遅れてしまう。
ちょうどそのとき、ジャン・ルイも息子をつれて学校にやって来る。当然のなりゆきで、ジャン・ルイはアンヌをパリまで送っていく。 恋の始まり。
ジャン・ルイもアンヌも、いまはフリーの男と女。心もハンサムな男が素敵な女と出会って愛を感じるのは、あたりまえの恋の方程式。誇り高く美しいアンヌもジャン・ルイに心魅かれる。
モンテカルロのラリーに出場したジャン・ルイの勇姿をテレビで観たアンヌは彼に電報を打つ。
「ブラボー、テレビで観ました。アンヌ」。これでは気持ちが伝わらない。「ブラボー、愛してます。アンヌ」。
電報を受取ったジャン・ルイは、モンテカルロからアンヌがいるパリへと一直線に、ゼッケンのついたままのレース用の車を走らす。
「愛してます」とは思いもよらなかった。うれしい。途中から電話をしようか。いや直接アパートを訪ねよう。ノックは何回したらよいだろうか。
観てるほうは、ともかく会いなさいとイライラするが、愛しい女に会う前の男は、運転しながらヒゲを剃る。危ない!が、愛のやり取りを想像するのは、最高のアペリティフ(食前酒)である。六千キロを飛ばして男は女に会いに行った。そして愛のひととき。
ところがアンヌはまだ死んだ夫が忘れられないという。なぜだろう。男は車で、女は列車で別々に家路に向かう。夫はこの世にいない。ふたりは愛し合っているはずなのに。
アンヌは列車の中で回想する。
ホテルのレストラン。メニューをながめながら注文の品をさがす。リヨンソーセージは? ミラノは? 元帥婦人風鮭のエスカロップというのは? スウェーデン産の鮭とはめずらしい。
しかしふたりの関心は料理ではない。結局、ステーキを注文する。「ステーキだけでは悪いみたい」というアンヌに、ジャン・ルイはギャルソンを呼び注文する。「部屋をたのむ」。これがメインディッシュか。
アンヌが乗換駅に着くとジャン・ルイが待っていた。抱き合うふたり。あらためてa boy meets a girl.(直訳すると「少年、少女に出逢う」。つまり、少年が少女と出会い恋に落ちる話で、物語の類型のひとつ )
『男と女』は、クロード・ルルーシュ監督の出世作で、カンヌ国際映画祭でグランプリ(当時)を受賞した。ルルーシュ自身は、二十歳前後から短編映画を中心に作品を撮っていたが、無名の存在であった。
『男と女』の撮影に際しては、制作費のスポンサーがつかなかったために、自ら製作したが、この作品で一躍有名となり、フランスを代表する映画監督のひとりとなった。
このラブストーリーは、フランシス・レイの音楽に、美しい映像が重なり合って、みごとな「大人の愛の物語」に仕上がっている。
この映画のメインディッシュは、映画が音楽と映像による総合芸術であることをおしえてくれることではないだろうか。
アンヌは、死んだ夫は私のなかで生きているという。愛した人は、いつまでも心のなかでいっしょに暮らしているのだろう。アンヌは苦しんでいるが、娘のためにも旅に出た。
「男と女(UN HOMME ET UNE FEMME/A MAN AND A WOMAN)」
監督脚本/クロード・ルルーシュ 日本公開/1966年10月
上映時間/104分
男と女のメインディッシュ
クロード・ルルーシュ監督『男と女』
男と女が出会う。ふたりは愛しあう。ときに、どちらかが涙を置いて去っていくが、磁石のように惹き合い、ふたたび結ばれる。いつの世にも、どこにでもある男と女のラブストーリー。とことんありふれているが、なぜか胸にこたえる。
ダバダバダ、ダバダバダ…〟フランシス・レイの甘くやるせないスキャットにのって、男は女に出会う。
男の名はジャン=ルイ・デュロック。職業レーサー。妻は、彼が事故で重傷を負ったとき、ショックで精神のバランスを失い自殺する。幼い男の子が彼の元に残された。
女の名は、アンヌ・ゴーティエ。夫は映画のスタントマンだったが、戦場シーンの撮影で事故死。小さな女の子を寄宿学校に預けている。
ふたりが初めて出会ったのが、この寄宿学校だった。週末を母娘で楽しんだアンヌは、娘を学校に届けた帰り、パリ行きの列車に乗り遅れてしまう。
ちょうどそのとき、ジャン・ルイも息子をつれて学校にやって来る。当然のなりゆきで、ジャン・ルイはアンヌをパリまで送っていく。 恋の始まり。
ジャン・ルイもアンヌも、いまはフリーの男と女。心もハンサムな男が素敵な女と出会って愛を感じるのは、あたりまえの恋の方程式。誇り高く美しいアンヌもジャン・ルイに心魅かれる。
モンテカルロのラリーに出場したジャン・ルイの勇姿をテレビで観たアンヌは彼に電報を打つ。
「ブラボー、テレビで観ました。アンヌ」。これでは気持ちが伝わらない。「ブラボー、愛してます。アンヌ」。
電報を受取ったジャン・ルイは、モンテカルロからアンヌがいるパリへと一直線に、ゼッケンのついたままのレース用の車を走らす。
「愛してます」とは思いもよらなかった。うれしい。途中から電話をしようか。いや直接アパートを訪ねよう。ノックは何回したらよいだろうか。
観てるほうは、ともかく会いなさいとイライラするが、愛しい女に会う前の男は、運転しながらヒゲを剃る。危ない!が、愛のやり取りを想像するのは、最高のアペリティフ(食前酒)である。六千キロを飛ばして男は女に会いに行った。そして愛のひととき。
ところがアンヌはまだ死んだ夫が忘れられないという。なぜだろう。男は車で、女は列車で別々に家路に向かう。夫はこの世にいない。ふたりは愛し合っているはずなのに。
アンヌは列車の中で回想する。
ホテルのレストラン。メニューをながめながら注文の品をさがす。リヨンソーセージは? ミラノは? 元帥婦人風鮭のエスカロップというのは? スウェーデン産の鮭とはめずらしい。
しかしふたりの関心は料理ではない。結局、ステーキを注文する。「ステーキだけでは悪いみたい」というアンヌに、ジャン・ルイはギャルソンを呼び注文する。「部屋をたのむ」。これがメインディッシュか。
アンヌが乗換駅に着くとジャン・ルイが待っていた。抱き合うふたり。あらためてa boy meets a girl.(直訳すると「少年、少女に出逢う」。つまり、少年が少女と出会い恋に落ちる話で、物語の類型のひとつ )
『男と女』は、クロード・ルルーシュ監督の出世作で、カンヌ国際映画祭でグランプリ(当時)を受賞した。ルルーシュ自身は、二十歳前後から短編映画を中心に作品を撮っていたが、無名の存在であった。
『男と女』の撮影に際しては、制作費のスポンサーがつかなかったために、自ら製作したが、この作品で一躍有名となり、フランスを代表する映画監督のひとりとなった。
このラブストーリーは、フランシス・レイの音楽に、美しい映像が重なり合って、みごとな「大人の愛の物語」に仕上がっている。
この映画のメインディッシュは、映画が音楽と映像による総合芸術であることをおしえてくれることではないだろうか。
アンヌは、死んだ夫は私のなかで生きているという。愛した人は、いつまでも心のなかでいっしょに暮らしているのだろう。アンヌは苦しんでいるが、娘のためにも旅に出た。
「男と女(UN HOMME ET UNE FEMME/A MAN AND A WOMAN)」
監督脚本/クロード・ルルーシュ 日本公開/1966年10月
上映時間/104分
閲覧(1288)
カテゴリー | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
コメントを書く |
---|
コメントを書くにはログインが必要です。 |