tinc さんの日記
2020
1月
12
(日)
17:23
本文
私は自分の初恋をわりあい鮮明に覚えている。小学校3年生の時に、近所に住んでいた高校生のお姉さんを好きになった。それ以前にもよく遊んでもらっていたのだが、落ちこぼれの子供にも絵画や音楽や文学のことを教えてくれるそのお姉さんが奇特な人だとなんとなく分かるようになって、近くにずっといてほしいと思うようになったのだと思う。当時インターネットは多くの家庭に整備されていなかったし、私の住んでいた田舎ではなおさらそうだったので、私はお姉さんと話をできるようになりたい一心で図書館に足繁く通うようになった。そのうちにハンマースホイの絵や、ガンズ・アンド・ローゼズの音楽や、ボルヘスの小説を、意味も分からないままに好むようになり、乏しいながら自分なりの文化的土壌を耕すようになっていったような気がする。彼らが如何に素晴らしいか、滅茶苦茶な言葉でたたみかける私の話を、お姉さんはにこにこと笑いながら聞いてくれた。いつもそうであった。
お姉さんが他地方の大学へ進学する時は悲しかった。私は小学校6年生になっていて、お姉さんへ手紙を書こうと思った。そこで気づいたのが、私はお姉さんのことを殆ど何も知らないということであった。お姉さんのことをずっと好きだったし、近くに置いてもらっていたはずなのに、彼女へ向ける言葉はどこからも出てきようがなかったのである。私は常に、おれが、おれが、という話を彼女へするばかりで、彼女の話を聞いていなかった。その人のことを好きでいるつもりでいたが、実際のところは自分を肯定してもらえている感覚が欲しくてその人からそれを引き出そうとしていたに過ぎない。
このことは堪えた。周囲は私を馬鹿だと思っていたし、私自身もそう認めていたが、本当のところはそれを下回る最悪のくそ馬鹿野郎だったのだ。この時は久しぶりに喘息の発作が出た。人に合わせる顔が無いというのを実感したのは多分この時が最初である。
それ以来私は自分の人格や思考や感覚をあまり信用していない。このハピスロ世代というサイトでも恋愛に関わる話題は多く、多くの人にとって恋愛は大きなテーマであるかもしれないが、私はまだそこまで辿り着かないのだ。33という歳になっても。人並みのことを諦めてかなり経つ。できないことを敢えてやろうと無理をすることもないし、人並みの人がいるということはそうでない人もいるということなので、あまり嘆くこともなかろうとも思う。しかし自分も普通になりたかったという寂しさに囚われることも時々はあるのである。
お姉さんが他地方の大学へ進学する時は悲しかった。私は小学校6年生になっていて、お姉さんへ手紙を書こうと思った。そこで気づいたのが、私はお姉さんのことを殆ど何も知らないということであった。お姉さんのことをずっと好きだったし、近くに置いてもらっていたはずなのに、彼女へ向ける言葉はどこからも出てきようがなかったのである。私は常に、おれが、おれが、という話を彼女へするばかりで、彼女の話を聞いていなかった。その人のことを好きでいるつもりでいたが、実際のところは自分を肯定してもらえている感覚が欲しくてその人からそれを引き出そうとしていたに過ぎない。
このことは堪えた。周囲は私を馬鹿だと思っていたし、私自身もそう認めていたが、本当のところはそれを下回る最悪のくそ馬鹿野郎だったのだ。この時は久しぶりに喘息の発作が出た。人に合わせる顔が無いというのを実感したのは多分この時が最初である。
それ以来私は自分の人格や思考や感覚をあまり信用していない。このハピスロ世代というサイトでも恋愛に関わる話題は多く、多くの人にとって恋愛は大きなテーマであるかもしれないが、私はまだそこまで辿り着かないのだ。33という歳になっても。人並みのことを諦めてかなり経つ。できないことを敢えてやろうと無理をすることもないし、人並みの人がいるということはそうでない人もいるということなので、あまり嘆くこともなかろうとも思う。しかし自分も普通になりたかったという寂しさに囚われることも時々はあるのである。
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