風まかせ さんの日記
2019
12月
17
(火)
17:02
本文
短編小説を書いてみたらいかがですか?
知人にすすめられたこともあり、自分でも考えた。
ここに一本のMITSU-BISHI鉛筆がある。
ノンフィクションの書き手は、眼でそれを見るのだが、フィクションの書き手は、それを言葉で見る。
という禅問答のような話をどこかで読んだ。
若いころは、内外の現実を見聞してノンフィクションを好んで書き連ねてきたが、ときに、これでよいのかと思考が朦朧とした。
「事実」のなかには、どうしてもフィクションでなければ、あるいはフィクションにしたほうがはるかに強く訴求できる、というものに出会うことがある。
これもうろ覚えだが、つねに「ぼんやりとした不安」をかかえていた芥川龍之介は、嘘の形でなければいえない真実というものがある、といった意のことを書いてるが、事実に求められたフィクションとは何であろうか。小説とは「事実」を書こうとしているのだろうか。
フィクション、言葉、言葉。
古代ギリシャの詩人が、何かに書いていたと思うが、
思案に窮したときはカナブンのように頭の周りを好きなだけ飛び回らせておくことである。ただし、紐だけはしっかりと手で握っておく。そのうちカナブンはくたびれて落ちる。そこを手に受けてゆっくりと眺めればよい。
手にはまだ落ちてこない。
(写真は秋の、横浜臨港パークと赤レンガ倉庫)
知人にすすめられたこともあり、自分でも考えた。
ここに一本のMITSU-BISHI鉛筆がある。
ノンフィクションの書き手は、眼でそれを見るのだが、フィクションの書き手は、それを言葉で見る。
という禅問答のような話をどこかで読んだ。
若いころは、内外の現実を見聞してノンフィクションを好んで書き連ねてきたが、ときに、これでよいのかと思考が朦朧とした。
「事実」のなかには、どうしてもフィクションでなければ、あるいはフィクションにしたほうがはるかに強く訴求できる、というものに出会うことがある。
これもうろ覚えだが、つねに「ぼんやりとした不安」をかかえていた芥川龍之介は、嘘の形でなければいえない真実というものがある、といった意のことを書いてるが、事実に求められたフィクションとは何であろうか。小説とは「事実」を書こうとしているのだろうか。
フィクション、言葉、言葉。
古代ギリシャの詩人が、何かに書いていたと思うが、
思案に窮したときはカナブンのように頭の周りを好きなだけ飛び回らせておくことである。ただし、紐だけはしっかりと手で握っておく。そのうちカナブンはくたびれて落ちる。そこを手に受けてゆっくりと眺めればよい。
手にはまだ落ちてこない。
(写真は秋の、横浜臨港パークと赤レンガ倉庫)
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