風まかせ さんの日記
2019
12月
2
(月)
20:13
本文
鍋物がおいしい季節である。
たとえば、ぼくがイメージする鶏鍋は、ぶつ切りの鶏肉とお豆腐、葱などで仕立て、出汁(だし)は鶏まかせで鰹節や昆布は使わない。
だが個人的には、鶏鍋の鶏は出汁に旨味が出てしまうような気がしていまひとつ、味がないように思えてならない。これなら、叩いて、団子にした鶏のほうがおいしいような気がする。
そんなことを考えていたら、古書店で興味深い文庫本に出会った。
和田はつ子の時代小説『ゆず女房』(ハルキ文庫)。これは日本橋の一膳めし屋・塩梅(あんばい)屋主人の捕物帳で、このなかに江戸の料理の話がふんだんにでてくる。
客のひとりは、ぼくと同じ上記のような理由で、鶏鍋に不満である。その客は、この店が気に入ってお忍びで来る高貴な武家階級の食道楽をきわめた客である。
主人は河豚のときに橙を使ったので、(たれ)に柚の搾り汁を加えてみようと考える。
「鶏肉は河豚に似て、どっしりとした歯ごたえがある。ほろほろ崩れる魚肉をつけるたれにはない、強い個性が必要」と考えた。「ぱーっと匂い立つ橙に比べて、柚しかない独特の苦みが、鶏肉に合う」と考え、さらに「柚に赤唐辛子を合わせた」「」完熟した柚には青柚のすがすがしさはないが、唐辛子を合わせれば、気迫がこもって強く香りたち、あつあつに煮えている、ぶつ切りの鶏肉にも負けないはずだ」と考える。
件(くだん)の客は
「美味い。鶏なぞというものがこれほど美味いとは。柚と相俟(あいま)って、辛さと鶏が高貴な風味を奏でておる。この鶏の風味が姫君なら、鶏団子は長屋小町といったところだ、褒めてつかわす」と絶賛する。
この小説は、全編にこの類の話がちりばめられていて、読みながら、お腹が空いて困る、といったところが難点だろうか。
たとえば、ぼくがイメージする鶏鍋は、ぶつ切りの鶏肉とお豆腐、葱などで仕立て、出汁(だし)は鶏まかせで鰹節や昆布は使わない。
だが個人的には、鶏鍋の鶏は出汁に旨味が出てしまうような気がしていまひとつ、味がないように思えてならない。これなら、叩いて、団子にした鶏のほうがおいしいような気がする。
そんなことを考えていたら、古書店で興味深い文庫本に出会った。
和田はつ子の時代小説『ゆず女房』(ハルキ文庫)。これは日本橋の一膳めし屋・塩梅(あんばい)屋主人の捕物帳で、このなかに江戸の料理の話がふんだんにでてくる。
客のひとりは、ぼくと同じ上記のような理由で、鶏鍋に不満である。その客は、この店が気に入ってお忍びで来る高貴な武家階級の食道楽をきわめた客である。
主人は河豚のときに橙を使ったので、(たれ)に柚の搾り汁を加えてみようと考える。
「鶏肉は河豚に似て、どっしりとした歯ごたえがある。ほろほろ崩れる魚肉をつけるたれにはない、強い個性が必要」と考えた。「ぱーっと匂い立つ橙に比べて、柚しかない独特の苦みが、鶏肉に合う」と考え、さらに「柚に赤唐辛子を合わせた」「」完熟した柚には青柚のすがすがしさはないが、唐辛子を合わせれば、気迫がこもって強く香りたち、あつあつに煮えている、ぶつ切りの鶏肉にも負けないはずだ」と考える。
件(くだん)の客は
「美味い。鶏なぞというものがこれほど美味いとは。柚と相俟(あいま)って、辛さと鶏が高貴な風味を奏でておる。この鶏の風味が姫君なら、鶏団子は長屋小町といったところだ、褒めてつかわす」と絶賛する。
この小説は、全編にこの類の話がちりばめられていて、読みながら、お腹が空いて困る、といったところが難点だろうか。
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