Bishop さんの日記
2019
11月
17
(日)
23:56
本文
令和元年(2019年10月12日)
“「呉」といえば、「仁義なき戦い」の舞台やなあ。” と 映画で見たシーンを思い浮かべながら、訪れました。
映画では、戦後の荒廃した町が舞台でした。
当たり前ですが、今の呉は大きなショッピングセンターがあり、道路もきれいに整備され、たくさんの観光客で賑わっています。
今回は、江田島からフェリーで行きました。
港の手前にはビックリするくらい大きなタンカーが停泊しています。
(JMUマラッカマックスタンカーVLCC建造中)
そのタンカーを右手に見ながら、港(中央桟橋)に到着。
すぐそこに、「大和ミュージアム」があり、その隣には「てつのくじら館」があります。
とりあえずは、腹ごしらえ。
もちろん「海自カレー」です。
味? 味はカレーです。
「呉市海事歴史資料館」大和ミュージアムは、人気スポットです。
呉へ来たら寄らないわけがない。
特別展示ということで、大和が沈んだあたりからいろいろと引き上げられたものが展示されていました。
大和に関する資料はあまり残ってないので、こうして引き上げられたものは貴重な物らしいです。
1/10スケールの大和は迫力あります。
勝てる見込みなどあろうはずが無い、片道の燃料しか積まない、決死の沖縄海上特攻。
ときの軍令部は何故こんな無謀な命令を出したのか?いや出さざるを得なかったのか?
指揮を執った伊藤整一第二艦隊司令長官の胸中はどうだったろう?
そのあたりも、一度勉強してみなければ・・・。
この巨艦は、転覆したあと搭載する弾薬が誘爆。
この大爆発で出来たキノコ雲は600mの高さまで上がったそうな。
第1遊撃部隊
第1航空戦隊 戦艦 大和 沈没 戦死 2,470名、戦傷 117名
第2水雷戦隊 軽巡洋艦 矢矧(やはぎ) 沈没 戦死446、戦傷133名
駆逐艦 冬月(ふゆつき) 帰還(中破) 戦死12、戦傷12名
駆逐艦 涼月(すずつき) 帰還(大破) 戦死57、戦傷34名
駆逐艦 磯風(いそかぜ) 航行不能(雪風が処分) 戦死20、戦傷54名
駆逐艦 浜風(はまかぜ) 沈没 戦死100、戦傷45名
駆逐艦 雪風(ゆきかぜ) 帰還(損傷無し) 戦死3、戦傷15名
駆逐艦 朝霜(あさしも) 沈没?(交信不可) 戦死326名(全員)
駆逐艦 初霜(はつしも) 帰還(損傷無し) 戦傷2名
駆逐艦 霞(かすみ) 航行不能(冬月が処分) 戦死17、戦傷47名
米軍第58機動部隊(司令官:マーク・ミッチャー中将)
艦隊空母
ホーネット、ベントン、エセックス、バンカーヒル、ハンコック、イントレピッド、ヨークタウン 以上7隻
軽空母
ベローウッド、サンジャシント、バターン、ラングレー 以上4隻
艦載機 386機
戦艦
マサチューセッツ、インディアナ、ニュージャージー、サウスダコタ、ウィスコンシン、ミズーリ 以上6隻
巡洋艦
アラスカ、グアム 以上2隻
駆逐艦
多数
米軍の被害は6機が墜落、5機が帰還後に破棄、47機が被弾。
昭和天皇は米内海軍大臣に
「天号作戦ニ於ケル大和以下ノ使用法不適当ナルヤ否ヤ」
と尋ねられました。
海軍は
「当時の燃料事情及練度 作戦準備等よりして、突入作戦は過早にして 航空作戦とも吻合せしむる点に於て 計画準備周到を欠き 非常に窮屈なる計画に堕したる嫌あり 作戦指導は適切なりとは称し難かるべし」
と総括しました。
ようするに、作戦そのものが不適であったという結論をだしたのですね。
大和ミュージアムには、呉の歴史資料や特殊潜航艇、ゼロ戦(零戦)なども展示されています。
特殊潜航艇「回天」
零式艦上戦闘機
屋外には戦艦「武蔵」の装備品(引上げ品)も展示されており、その大きさに圧倒されます。
戦艦「陸奥」41㎝主砲身
海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」
海上自衛隊の有する資料の展示・保存等を通じて、海上自衛隊員の教育及び、広く国民一般等への広報活動により海上自衛隊に対する理解の促進並びに地域との共生に貢献することを目的としています。とホームページに書かれています。
掃海活動(機雷の除去)、南極観測船しらせ、潜水艦のことなどを勉強???しました。(笑)
あっ!そうそう、この建物と書きましたが、これ本物の潜水艦ですよ。
「ゆうしお型潜水艦あきしお」といって2004年に引退するまで18年ほど活躍していたようです。
この中で、潜望鏡を覗いたり、操艦席に座ったり、いろいろ体験できます。
艦長さんの制服で写真撮ってもらいましたよ。
アレイからすこじまというのは公園の名前です。
大正時代に魚雷発射訓練場として埋立られた小島を「からすこじま」と言ったのと、
英語で小道・・アレイをくっつけたそうです。
公園といっても、岸壁沿いの歩道です。
旧呉海軍工廠(こうしょう)赤レンガ倉庫群があり、
※ 海軍工廠とは、艦船、航空機、各種兵器、弾薬などを開発・製造する海軍直営の軍需工場
海上自衛隊の船舶(主に潜水艦)が停泊、係留されているのが見られます。
画像がイマイチですが、雰囲気だけでも↓↓↓↓↓↓
呉の海上自衛隊基地では、下記2箇所で一般公開もあります。
①呉地方総監部 第1庁舎
②艦艇・旧日本海軍地下作戦室
どちらも日曜日限定で事前申請が必要です。
前回の、江田島 第一術科学科や今回のてつのくじら館も含め、自衛隊では一般公開することで、日本の防衛について国民の理解を得ようと努力されているんだなあと思いました。
我々は楽しく、平和を享受することができています。
それは、先人たちの大きな犠牲やたいへんな苦労の上に成り立っていると思います。
また、今日の日本でも、我々が知らないところで、自衛隊や海上保安庁のみなさんが日本の安全を確保するために、日夜、情報収集、警戒、訓練などに励んでおられます。
今、日本周辺にもアブナイ国による危機があります。
また、その脅威は大きくなりつつあります。
災害派遣も自衛隊の使命ではありますが、日本国の防衛こそが、彼ら本来の任務であるのです。
憲法改正論議も次第に大きくなるでしょうが、はっきり言えるのは、二度と広島や長崎で起きたような恐ろしいことが繰り返されてはならない。
沖縄戦、東京大空襲・・・。戦争は罪もない民間人が犠牲になってしまうのです。
戦争は絶対避けなければならない。
そのために、あらゆる努力は必要である。がしかし、心ならずも戦わなければならくなったら・・・。
まさかそんなことがあるわけない。と言えるような時代ではなくなりつつあると思います。
戦争を知らない人間ばかりの世の中になっているのが事実です。
私も含めて、戦争の怖さを知らない人間ばかりなんです。
レジャーや色恋もいいが、経済・教育・福祉・・・など政治にもしっかり向き合い、国際社会の情報もしっかり頭にいれておかないと、いけないのではないかなあ。
そんなことを思いながら今回の旅を終えました。
“「呉」といえば、「仁義なき戦い」の舞台やなあ。” と 映画で見たシーンを思い浮かべながら、訪れました。
映画では、戦後の荒廃した町が舞台でした。
当たり前ですが、今の呉は大きなショッピングセンターがあり、道路もきれいに整備され、たくさんの観光客で賑わっています。
今回は、江田島からフェリーで行きました。
港の手前にはビックリするくらい大きなタンカーが停泊しています。
(JMUマラッカマックスタンカーVLCC建造中)
そのタンカーを右手に見ながら、港(中央桟橋)に到着。
すぐそこに、「大和ミュージアム」があり、その隣には「てつのくじら館」があります。
とりあえずは、腹ごしらえ。
もちろん「海自カレー」です。
味? 味はカレーです。
「呉市海事歴史資料館」大和ミュージアムは、人気スポットです。
呉へ来たら寄らないわけがない。
特別展示ということで、大和が沈んだあたりからいろいろと引き上げられたものが展示されていました。
大和に関する資料はあまり残ってないので、こうして引き上げられたものは貴重な物らしいです。
1/10スケールの大和は迫力あります。
勝てる見込みなどあろうはずが無い、片道の燃料しか積まない、決死の沖縄海上特攻。
ときの軍令部は何故こんな無謀な命令を出したのか?いや出さざるを得なかったのか?
指揮を執った伊藤整一第二艦隊司令長官の胸中はどうだったろう?
そのあたりも、一度勉強してみなければ・・・。
この巨艦は、転覆したあと搭載する弾薬が誘爆。
この大爆発で出来たキノコ雲は600mの高さまで上がったそうな。
第1遊撃部隊
第1航空戦隊 戦艦 大和 沈没 戦死 2,470名、戦傷 117名
第2水雷戦隊 軽巡洋艦 矢矧(やはぎ) 沈没 戦死446、戦傷133名
駆逐艦 冬月(ふゆつき) 帰還(中破) 戦死12、戦傷12名
駆逐艦 涼月(すずつき) 帰還(大破) 戦死57、戦傷34名
駆逐艦 磯風(いそかぜ) 航行不能(雪風が処分) 戦死20、戦傷54名
駆逐艦 浜風(はまかぜ) 沈没 戦死100、戦傷45名
駆逐艦 雪風(ゆきかぜ) 帰還(損傷無し) 戦死3、戦傷15名
駆逐艦 朝霜(あさしも) 沈没?(交信不可) 戦死326名(全員)
駆逐艦 初霜(はつしも) 帰還(損傷無し) 戦傷2名
駆逐艦 霞(かすみ) 航行不能(冬月が処分) 戦死17、戦傷47名
米軍第58機動部隊(司令官:マーク・ミッチャー中将)
艦隊空母
ホーネット、ベントン、エセックス、バンカーヒル、ハンコック、イントレピッド、ヨークタウン 以上7隻
軽空母
ベローウッド、サンジャシント、バターン、ラングレー 以上4隻
艦載機 386機
戦艦
マサチューセッツ、インディアナ、ニュージャージー、サウスダコタ、ウィスコンシン、ミズーリ 以上6隻
巡洋艦
アラスカ、グアム 以上2隻
駆逐艦
多数
米軍の被害は6機が墜落、5機が帰還後に破棄、47機が被弾。
昭和天皇は米内海軍大臣に
「天号作戦ニ於ケル大和以下ノ使用法不適当ナルヤ否ヤ」
と尋ねられました。
海軍は
「当時の燃料事情及練度 作戦準備等よりして、突入作戦は過早にして 航空作戦とも吻合せしむる点に於て 計画準備周到を欠き 非常に窮屈なる計画に堕したる嫌あり 作戦指導は適切なりとは称し難かるべし」
と総括しました。
ようするに、作戦そのものが不適であったという結論をだしたのですね。
大和ミュージアムには、呉の歴史資料や特殊潜航艇、ゼロ戦(零戦)なども展示されています。
特殊潜航艇「回天」
零式艦上戦闘機
屋外には戦艦「武蔵」の装備品(引上げ品)も展示されており、その大きさに圧倒されます。
戦艦「陸奥」41㎝主砲身
海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」
海上自衛隊の有する資料の展示・保存等を通じて、海上自衛隊員の教育及び、広く国民一般等への広報活動により海上自衛隊に対する理解の促進並びに地域との共生に貢献することを目的としています。とホームページに書かれています。
掃海活動(機雷の除去)、南極観測船しらせ、潜水艦のことなどを勉強???しました。(笑)
あっ!そうそう、この建物と書きましたが、これ本物の潜水艦ですよ。
「ゆうしお型潜水艦あきしお」といって2004年に引退するまで18年ほど活躍していたようです。
この中で、潜望鏡を覗いたり、操艦席に座ったり、いろいろ体験できます。
艦長さんの制服で写真撮ってもらいましたよ。
アレイからすこじまというのは公園の名前です。
大正時代に魚雷発射訓練場として埋立られた小島を「からすこじま」と言ったのと、
英語で小道・・アレイをくっつけたそうです。
公園といっても、岸壁沿いの歩道です。
旧呉海軍工廠(こうしょう)赤レンガ倉庫群があり、
※ 海軍工廠とは、艦船、航空機、各種兵器、弾薬などを開発・製造する海軍直営の軍需工場
海上自衛隊の船舶(主に潜水艦)が停泊、係留されているのが見られます。
画像がイマイチですが、雰囲気だけでも↓↓↓↓↓↓
呉の海上自衛隊基地では、下記2箇所で一般公開もあります。
①呉地方総監部 第1庁舎
②艦艇・旧日本海軍地下作戦室
どちらも日曜日限定で事前申請が必要です。
前回の、江田島 第一術科学科や今回のてつのくじら館も含め、自衛隊では一般公開することで、日本の防衛について国民の理解を得ようと努力されているんだなあと思いました。
我々は楽しく、平和を享受することができています。
それは、先人たちの大きな犠牲やたいへんな苦労の上に成り立っていると思います。
また、今日の日本でも、我々が知らないところで、自衛隊や海上保安庁のみなさんが日本の安全を確保するために、日夜、情報収集、警戒、訓練などに励んでおられます。
今、日本周辺にもアブナイ国による危機があります。
また、その脅威は大きくなりつつあります。
災害派遣も自衛隊の使命ではありますが、日本国の防衛こそが、彼ら本来の任務であるのです。
憲法改正論議も次第に大きくなるでしょうが、はっきり言えるのは、二度と広島や長崎で起きたような恐ろしいことが繰り返されてはならない。
沖縄戦、東京大空襲・・・。戦争は罪もない民間人が犠牲になってしまうのです。
戦争は絶対避けなければならない。
そのために、あらゆる努力は必要である。がしかし、心ならずも戦わなければならくなったら・・・。
まさかそんなことがあるわけない。と言えるような時代ではなくなりつつあると思います。
戦争を知らない人間ばかりの世の中になっているのが事実です。
私も含めて、戦争の怖さを知らない人間ばかりなんです。
レジャーや色恋もいいが、経済・教育・福祉・・・など政治にもしっかり向き合い、国際社会の情報もしっかり頭にいれておかないと、いけないのではないかなあ。
そんなことを思いながら今回の旅を終えました。
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