風まかせ さんの日記
2019
11月
9
(土)
17:57
本文
かつて触れたことがあると思いますが、考えてみると、俳句というのは、助走のいらない、めずらしい表現形式です。
ときどきイラストのようなものを描くが、つくづくとデッサンという基礎訓練が必要だと思いました。
イラスト、絵画、音楽、ダンス…などの表現手段がありますが、どの分野でも自分の思うままに表現できるようになるには、一般的に長く苦しい基礎訓練が必要です。
ところが俳句というのは、基礎訓練、助走なくしていきなり楽しむことができます。
それは「有季定型」
つまり、季語+五・七・五のリズムという俳句の最低限のルールを、私たちはごく自然に身につけているからだと思います。
「季語の本情」という言い方があります。
これは、たとえば「落ち葉」ときくだけで、心に浮かぶ共通の情景や情趣があります。俳句はこの季語の本情、季語の本意といったものをおおいに利用するわけです。
だからこそ、たった十七音でも成立することになります。
季語は多くを語らずして多くのことを伝える役割をもつことになります。「季重なり」を約束違反とするのは、季語の本情が重なると、十七音でつくる世界の方向が定まらないからでしょう。
また、「五・七・五」は、広告のキャッチや標語、演歌の歌詞などにもよく使われ、このリズムは日本人のDNAに受け継がれているように思われます。
だから、はじめようと心きめれば、だれにでもすぐにできるはずです。
いますぐ、ミカママさんの句会に投句しましょう。
ときどきイラストのようなものを描くが、つくづくとデッサンという基礎訓練が必要だと思いました。
イラスト、絵画、音楽、ダンス…などの表現手段がありますが、どの分野でも自分の思うままに表現できるようになるには、一般的に長く苦しい基礎訓練が必要です。
ところが俳句というのは、基礎訓練、助走なくしていきなり楽しむことができます。
それは「有季定型」
つまり、季語+五・七・五のリズムという俳句の最低限のルールを、私たちはごく自然に身につけているからだと思います。
「季語の本情」という言い方があります。
これは、たとえば「落ち葉」ときくだけで、心に浮かぶ共通の情景や情趣があります。俳句はこの季語の本情、季語の本意といったものをおおいに利用するわけです。
だからこそ、たった十七音でも成立することになります。
季語は多くを語らずして多くのことを伝える役割をもつことになります。「季重なり」を約束違反とするのは、季語の本情が重なると、十七音でつくる世界の方向が定まらないからでしょう。
また、「五・七・五」は、広告のキャッチや標語、演歌の歌詞などにもよく使われ、このリズムは日本人のDNAに受け継がれているように思われます。
だから、はじめようと心きめれば、だれにでもすぐにできるはずです。
いますぐ、ミカママさんの句会に投句しましょう。
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