Bishop さんの日記
2019
11月
5
(火)
22:22
本文
令和元年10月12日(土)
広島のホテルではぐっすり眠ることが出来ませんでした。
となりの部屋では若い女の子が「きゃっきゃ、きゃっきゃ」の笑い声。
夜中には台風の影響か?風の音が時折ヒューヒューと鳴り睡眠を妨げられました。
今日は、今回の旅で一番行きたかったところです。
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海上自衛隊 第1術科学校
ご存じない方が多いかもしれません・・・。
広島港(宇品港)から高速船が出ています。
およそ、20分強で江田島 小用港に到着し、そこからはバスで向かいます。
台風の影響で船が欠航になっている可能性もあるので、ホテルから瀬戸内シーラインへ電話確認すると、予定通りの運行です。とのこと。
ホテルを出て、広島電鉄(ひろでん)の八丁堀駅へ向かいました。
朝が早いとはいえ、6時です。
まだ、飲み屋さんが営業していましたし、路地には、若者グループが座り込んで大笑いしていたり、酔っ払って千鳥足の若者があっちにもこっちにもいます。
広島って都会なんだなあって、田舎者の私はそんなふうに思いました。
八丁堀駅から広島港へは約40分
路面電車から広島市内の景色を見ていると、あらためて非日常を感じました。
広電の電車はいろんな電車があります。
京都・大阪・神戸などで活躍していた電車もありますが、今回乗車したのは、グリーンムーバーマックスという低床の新しいモダンなスタイルの電車でした。
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宇品港駅に到着。
若干、曇り空ではありますが雨の気配はありません。
でも、風邪が時折強く吹き付けています。
広島港宇品旅客ターミナルでは、フェリーの欠航が出だしています。
目的の切符を買い求め、船着き場へ行くと「お客さん、どちらへ?」と案内のおっちゃんから声をかけられました。
「江田島へ行きたいのですが」
「それなら、いいですが、どんどん欠航が出ていますのでね・・・。江田島行きは向こうの方へ!」と指をさされました。
「もし、江田島へ行っても帰りは船が無いかもしれませんね?」と聞くと
「江田島からは呉方面には陸路でつながってるから帰れますよ。」とのこと。
“ 一応安心 ”したので、予定通り高速船を待つことにしました。
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お客さんは、3~4人でしょうか?
出発進行です。
風がだんだん強くなり、空はどんよりしてきました。
小用港に到着。
キャリーケースはコインロッカーが小さいので入りません。
船の案内所で預かってもらうことができました。
ターミナル前にバスが到着
バスの運転手さんに、術科学校へ行きたいことを告げると、「このバスに乗ってください。20分後に出発します。術科学校までは5分ほどで行きますから・・。」とのこと。
5分前くらいにバスに乗車し一番前の席に腰をおろし出発を待つことに。
運転席の真後ろに座っている、お婆さんと目が合い「どちらから、いらっしゃったんかい?」
「滋賀県から観光できました。術科学校を見に行くんです。」
「おう、そうかいねえ。遠いところから来られたんじゃなあ。」
「お婆さんはどちらへ行かれるんですか?」
「病院へ行く途中なんよ。 昔はこの小用にも病院があったけんど、無くなってしもうて、この先の町まで行かにゃならんの。」
「不便になったんですね」
「そうなんよ」
旅はこうした何気ない会話が楽しくもある。
術科学校というのは、海上自衛隊で教育訓練を行うところで、全国に第1~第4まであります。
第2術科学校は 横須賀にあり、機関科の関係、情報、外国語など
第3術科学校は、千葉県鎌ケ谷市の下総航空基地にあり、航空機や航空基地など
第4術科学校は、京都府舞鶴にあり、業務管理や経理・補給など
そして、ここ広島県江田島市にある第1術科学校は、艦艇教育(機関と潜水艦は除く)の教育を行っています。
具体的には、砲術、水雷、掃海、航海、通信、電子整備、潜水、陸上警備とこれらに関する運用・研究を行っているところです。
明治21年(1888年)まで東京にあった海軍兵学校が、この江田島に移転したのですが、
イギリスのダートマス兵学校、アメリカのアナポリス兵学校と並んで世界の三大兵学校と言われた兵学校だったのです。
ここでは、自衛隊の幹部候補になる方もいます。
もちろん女性もいます。彼女たちは男性と変わらない厳しい訓練を受けるそうです。
しかし、この学校で勉強しようとする人は意識が高く、厳しくても頑張るそうです。
と、昨日のタクシーの運転手さんは言ってました。
やがて、バスが出発し山手の方へ。くねくねと曲がりながら術科学校前バス停に到着。
「この道を真っ直ぐ行くと術科学校はありますから。」と運転手さん。やさしい人や!
言われるままに歩くと正門を発見。見学は10時から。
まだ時間があるので、“ どうしたものか? “と思案していると、江田島市観光協会(江田島ふるさと交流館)という看板がありました。喫茶もやっているようなのでちょっくら時間つぶし。
モーニングコーヒーを頂き店内を見渡すと、旧海軍の飛行機や艦船の写真が飾ってあり、海軍にちなんだ雑誌もあります。
2階には、海軍の資料がたくさん展示されていました。
おそらくは、旧海軍経験者や遺族の方たちの協力で集められたものを展示されているのでしょうが、ここでこんなに貴重な資料が拝めるとは思いませんでした。
太平洋戦争日本海軍艦船喪失一覧図、軍艦日向艦内新聞、海軍兵学校生徒の外套(がいとう)やサーベル類、陸海軍海上挺進艇の模型、戦艦大和の雄姿の写真、同期の桜元歌のレコード盤、旗艦陸奥での記念写真等々・・・。
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時間を忘れついつい見入ってしまいました。
さあ、いよいよ第1術科学校正門から入場です。
警衛員さんは真っ白の帽子に制服です。 メッチャかっこいいやん!
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こういう施設に入るのはやはり、気が引き締まります。
守衛室前で、氏名・住所・電話番号を記入し入場バッジを受け取ります。
150mほど先の左側にレンガ張りの建物(江田島クラブ)の中に待合所があります。
見学者は概ね50人くらいでしょうか?
港では、ほとんどいなかった人が、ここへ来るといつの間にか増えていました。
ほどなく、自衛官OBであろう案内人の方が来られました。
あいさつと、見学にあたっての注意事項、施設の歴史や大まかな施設と見学予定を説明されました。
驚いたことに、学校とはいえ、防衛省所管施設であるのに写真撮影が許されていることです。
ただし、「教育参考館」の中だけは撮影禁止ということになっています。
見学時間は90分です。案内人が引率しながら、下記施設の説明をしてくださいました。
①術校庁舎(外観のみ)
②大講堂(入校式、卒業式等儀式に使用)
③幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)(外観のみ)
④グランド
⑤第1術科学校学生館(旧海軍兵学校西生徒館)(外観のみ)
⑥教育参考館(館内自由見学)
大講堂での卒業式の様子。
どうして、この海軍兵学校を米軍が攻撃しなかったか?
ここの景色で何か気づかないですか?
・・・電柱が無い。松が比較的真っ直ぐに伸びてる。その訳は?
旧海軍兵学校生徒館の裏の廊下のこと。
同期の桜(この学校の生徒だった軍人の歌です)の木について。etc・・・
教育参考館・・・
古くは勝海舟から続く日本海軍の歴史資料が展示されています。
歴代の大元帥・元帥・将官の遺影や書物、日清・日ロ・太平洋戦争の資料、海軍将校の書や遺書、特攻隊員の遺書などが相当数あります。
教育参考館の外には
特殊潜航艇「海龍」、特殊潜航艇「甲標的」、三景艦(松島・橋立・厳島)の主砲弾、大和の主砲弾が展示されています。
教育参考館では、入り口の扉を開け、入館する前に脱帽し、気をつけ一礼して入るように注意されます。館内でも脱帽のこと。(慰霊の意味で!)
入館すると、正面には幅3~4mぐらいの高い階段があります。
真っ赤なじゅうたんが敷かれており、その上の通路部は白いシートが敷かれています。
私は一番乗りで入らせてもらいましたが、いや~身が引き締まる思いでした。
一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくり。まるで、海軍大将にでもなったような気分でした。
ぴ~んと張りつめた空気というのか?粛然とした空間というのか?
施設ことは、これ以上ここで説明するのはやめておきましょう。
ホームページもあります。
https://www.mod.go.jp/msdf/onemss/index.html
※ ホーム画面の一番上にサイトマップがありますから、そこからページをジャンプするとよくわかります。
機会があれば、是非行ってみてください。
観光もいいですが、こういった所を見学するのもいいのではないかと思いますよ~。
男性も女性もみなさん。熱心に話を聞いておられました。
ただ、修学旅行であろう高校生がうるさかったなあ。 引率する先生も注意するどころか同じように生徒と喋っている。
車椅子の方がお一人いらっしゃったのですが、友だち同士でスマホをいじくり、その方の通行を妨げるので、私が注意しなければいけない。
まったく、こういう施設に来ている意味が彼らには全く意味がない。残念なことです。
教育参考館に入ったときはさすがに、彼らも静かになりましたが・・・。
参考までに、旧海軍から現在の学校でも受け継がれている「五省」です。
一 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか
真心に反することはなかったか
一 言行に恥づるなかりしか
言葉と行いに恥ずかしいところはなかったか
一 気力に欠くるなかりしか
気力が欠けてはいなかったか
一 努力に憾(うら)みなかりしか
努力不足ではなかったか
一 不精に亘(わた)るなかりしか
不精になってはいなかったか
江田島には、平成30年7月豪雨の影響で現在は行けないようですが三高山(砲台跡)もあります。
春は、真道山千本桜もいいかな?
レンタサイクルもありますよ。
今回は、時間が無かったので食べられなかったですが、学校内にある食堂では「海軍カレー」があります。
学校を後にし、次は呉へ行く予定。
フェリーの時間もあるので、1台だけ正門前に止まっていたタクシーに乗り込み、小用港へ。
運転手さんの話では、「どんどんフェリーが欠航しています。呉までのフェリーもどうかわかりませんよ。」という。
「もし欠航していたら、バスとかで行けるんでしょ?」
「バスは無いです。タクシーだけです。」
「そうなんや~(悲)」
「まあ、港まで行ってみないとなんともわからないです。」
フェリーの案内所でおばちゃんに状況確認すると、「大丈夫!」とのこと。
「ヨッシャー!」
最後にクイズです。・・・インターネットで答え探したらあかんよ!(笑)
日本海軍の頃から現在の海上自衛隊でも、毎週金曜日にカレーライスを食べる習慣があります。
それは何故でしょう?
広島のホテルではぐっすり眠ることが出来ませんでした。
となりの部屋では若い女の子が「きゃっきゃ、きゃっきゃ」の笑い声。
夜中には台風の影響か?風の音が時折ヒューヒューと鳴り睡眠を妨げられました。
今日は、今回の旅で一番行きたかったところです。
海上自衛隊 第1術科学校
ご存じない方が多いかもしれません・・・。
広島港(宇品港)から高速船が出ています。
およそ、20分強で江田島 小用港に到着し、そこからはバスで向かいます。
台風の影響で船が欠航になっている可能性もあるので、ホテルから瀬戸内シーラインへ電話確認すると、予定通りの運行です。とのこと。
ホテルを出て、広島電鉄(ひろでん)の八丁堀駅へ向かいました。
朝が早いとはいえ、6時です。
まだ、飲み屋さんが営業していましたし、路地には、若者グループが座り込んで大笑いしていたり、酔っ払って千鳥足の若者があっちにもこっちにもいます。
広島って都会なんだなあって、田舎者の私はそんなふうに思いました。
八丁堀駅から広島港へは約40分
路面電車から広島市内の景色を見ていると、あらためて非日常を感じました。
広電の電車はいろんな電車があります。
京都・大阪・神戸などで活躍していた電車もありますが、今回乗車したのは、グリーンムーバーマックスという低床の新しいモダンなスタイルの電車でした。
宇品港駅に到着。
若干、曇り空ではありますが雨の気配はありません。
でも、風邪が時折強く吹き付けています。
広島港宇品旅客ターミナルでは、フェリーの欠航が出だしています。
目的の切符を買い求め、船着き場へ行くと「お客さん、どちらへ?」と案内のおっちゃんから声をかけられました。
「江田島へ行きたいのですが」
「それなら、いいですが、どんどん欠航が出ていますのでね・・・。江田島行きは向こうの方へ!」と指をさされました。
「もし、江田島へ行っても帰りは船が無いかもしれませんね?」と聞くと
「江田島からは呉方面には陸路でつながってるから帰れますよ。」とのこと。
“ 一応安心 ”したので、予定通り高速船を待つことにしました。
お客さんは、3~4人でしょうか?
出発進行です。
風がだんだん強くなり、空はどんよりしてきました。
小用港に到着。
キャリーケースはコインロッカーが小さいので入りません。
船の案内所で預かってもらうことができました。
ターミナル前にバスが到着
バスの運転手さんに、術科学校へ行きたいことを告げると、「このバスに乗ってください。20分後に出発します。術科学校までは5分ほどで行きますから・・。」とのこと。
5分前くらいにバスに乗車し一番前の席に腰をおろし出発を待つことに。
運転席の真後ろに座っている、お婆さんと目が合い「どちらから、いらっしゃったんかい?」
「滋賀県から観光できました。術科学校を見に行くんです。」
「おう、そうかいねえ。遠いところから来られたんじゃなあ。」
「お婆さんはどちらへ行かれるんですか?」
「病院へ行く途中なんよ。 昔はこの小用にも病院があったけんど、無くなってしもうて、この先の町まで行かにゃならんの。」
「不便になったんですね」
「そうなんよ」
旅はこうした何気ない会話が楽しくもある。
術科学校というのは、海上自衛隊で教育訓練を行うところで、全国に第1~第4まであります。
第2術科学校は 横須賀にあり、機関科の関係、情報、外国語など
第3術科学校は、千葉県鎌ケ谷市の下総航空基地にあり、航空機や航空基地など
第4術科学校は、京都府舞鶴にあり、業務管理や経理・補給など
そして、ここ広島県江田島市にある第1術科学校は、艦艇教育(機関と潜水艦は除く)の教育を行っています。
具体的には、砲術、水雷、掃海、航海、通信、電子整備、潜水、陸上警備とこれらに関する運用・研究を行っているところです。
明治21年(1888年)まで東京にあった海軍兵学校が、この江田島に移転したのですが、
イギリスのダートマス兵学校、アメリカのアナポリス兵学校と並んで世界の三大兵学校と言われた兵学校だったのです。
ここでは、自衛隊の幹部候補になる方もいます。
もちろん女性もいます。彼女たちは男性と変わらない厳しい訓練を受けるそうです。
しかし、この学校で勉強しようとする人は意識が高く、厳しくても頑張るそうです。
と、昨日のタクシーの運転手さんは言ってました。
やがて、バスが出発し山手の方へ。くねくねと曲がりながら術科学校前バス停に到着。
「この道を真っ直ぐ行くと術科学校はありますから。」と運転手さん。やさしい人や!
言われるままに歩くと正門を発見。見学は10時から。
まだ時間があるので、“ どうしたものか? “と思案していると、江田島市観光協会(江田島ふるさと交流館)という看板がありました。喫茶もやっているようなのでちょっくら時間つぶし。
モーニングコーヒーを頂き店内を見渡すと、旧海軍の飛行機や艦船の写真が飾ってあり、海軍にちなんだ雑誌もあります。
2階には、海軍の資料がたくさん展示されていました。
おそらくは、旧海軍経験者や遺族の方たちの協力で集められたものを展示されているのでしょうが、ここでこんなに貴重な資料が拝めるとは思いませんでした。
太平洋戦争日本海軍艦船喪失一覧図、軍艦日向艦内新聞、海軍兵学校生徒の外套(がいとう)やサーベル類、陸海軍海上挺進艇の模型、戦艦大和の雄姿の写真、同期の桜元歌のレコード盤、旗艦陸奥での記念写真等々・・・。
時間を忘れついつい見入ってしまいました。
さあ、いよいよ第1術科学校正門から入場です。
警衛員さんは真っ白の帽子に制服です。 メッチャかっこいいやん!
こういう施設に入るのはやはり、気が引き締まります。
守衛室前で、氏名・住所・電話番号を記入し入場バッジを受け取ります。
150mほど先の左側にレンガ張りの建物(江田島クラブ)の中に待合所があります。
見学者は概ね50人くらいでしょうか?
港では、ほとんどいなかった人が、ここへ来るといつの間にか増えていました。
ほどなく、自衛官OBであろう案内人の方が来られました。
あいさつと、見学にあたっての注意事項、施設の歴史や大まかな施設と見学予定を説明されました。
驚いたことに、学校とはいえ、防衛省所管施設であるのに写真撮影が許されていることです。
ただし、「教育参考館」の中だけは撮影禁止ということになっています。
見学時間は90分です。案内人が引率しながら、下記施設の説明をしてくださいました。
①術校庁舎(外観のみ)
②大講堂(入校式、卒業式等儀式に使用)
③幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)(外観のみ)
④グランド
⑤第1術科学校学生館(旧海軍兵学校西生徒館)(外観のみ)
⑥教育参考館(館内自由見学)
大講堂での卒業式の様子。
どうして、この海軍兵学校を米軍が攻撃しなかったか?
ここの景色で何か気づかないですか?
・・・電柱が無い。松が比較的真っ直ぐに伸びてる。その訳は?
旧海軍兵学校生徒館の裏の廊下のこと。
同期の桜(この学校の生徒だった軍人の歌です)の木について。etc・・・
教育参考館・・・
古くは勝海舟から続く日本海軍の歴史資料が展示されています。
歴代の大元帥・元帥・将官の遺影や書物、日清・日ロ・太平洋戦争の資料、海軍将校の書や遺書、特攻隊員の遺書などが相当数あります。
教育参考館の外には
特殊潜航艇「海龍」、特殊潜航艇「甲標的」、三景艦(松島・橋立・厳島)の主砲弾、大和の主砲弾が展示されています。
教育参考館では、入り口の扉を開け、入館する前に脱帽し、気をつけ一礼して入るように注意されます。館内でも脱帽のこと。(慰霊の意味で!)
入館すると、正面には幅3~4mぐらいの高い階段があります。
真っ赤なじゅうたんが敷かれており、その上の通路部は白いシートが敷かれています。
私は一番乗りで入らせてもらいましたが、いや~身が引き締まる思いでした。
一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくり。まるで、海軍大将にでもなったような気分でした。
ぴ~んと張りつめた空気というのか?粛然とした空間というのか?
施設ことは、これ以上ここで説明するのはやめておきましょう。
ホームページもあります。
https://www.mod.go.jp/msdf/onemss/index.html
※ ホーム画面の一番上にサイトマップがありますから、そこからページをジャンプするとよくわかります。
機会があれば、是非行ってみてください。
観光もいいですが、こういった所を見学するのもいいのではないかと思いますよ~。
男性も女性もみなさん。熱心に話を聞いておられました。
ただ、修学旅行であろう高校生がうるさかったなあ。 引率する先生も注意するどころか同じように生徒と喋っている。
車椅子の方がお一人いらっしゃったのですが、友だち同士でスマホをいじくり、その方の通行を妨げるので、私が注意しなければいけない。
まったく、こういう施設に来ている意味が彼らには全く意味がない。残念なことです。
教育参考館に入ったときはさすがに、彼らも静かになりましたが・・・。
参考までに、旧海軍から現在の学校でも受け継がれている「五省」です。
一 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか
真心に反することはなかったか
一 言行に恥づるなかりしか
言葉と行いに恥ずかしいところはなかったか
一 気力に欠くるなかりしか
気力が欠けてはいなかったか
一 努力に憾(うら)みなかりしか
努力不足ではなかったか
一 不精に亘(わた)るなかりしか
不精になってはいなかったか
江田島には、平成30年7月豪雨の影響で現在は行けないようですが三高山(砲台跡)もあります。
春は、真道山千本桜もいいかな?
レンタサイクルもありますよ。
今回は、時間が無かったので食べられなかったですが、学校内にある食堂では「海軍カレー」があります。
学校を後にし、次は呉へ行く予定。
フェリーの時間もあるので、1台だけ正門前に止まっていたタクシーに乗り込み、小用港へ。
運転手さんの話では、「どんどんフェリーが欠航しています。呉までのフェリーもどうかわかりませんよ。」という。
「もし欠航していたら、バスとかで行けるんでしょ?」
「バスは無いです。タクシーだけです。」
「そうなんや~(悲)」
「まあ、港まで行ってみないとなんともわからないです。」
フェリーの案内所でおばちゃんに状況確認すると、「大丈夫!」とのこと。
「ヨッシャー!」
最後にクイズです。・・・インターネットで答え探したらあかんよ!(笑)
日本海軍の頃から現在の海上自衛隊でも、毎週金曜日にカレーライスを食べる習慣があります。
それは何故でしょう?
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