Bishop さんの日記
2019
10月
24
(木)
22:48
本文
台風19号で亡くなられた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
また被災された多くの方々にお見舞いを申し上げます。
このブログをアップするのには少し躊躇しました。
というのも、超大型の台風19号が来襲して東日本を中心にかなりの被害が出ている(ハピの会員様の中にも被災された方がいるかもしれない)にもかかわらず、のん気に旅行なんか行って、思い出話をあげることはどうなんだろう?
とはいうものの、見聞きしたことで自分が感じたことを、つらつら書き綴る程度なら問題はなかろう?と思いなおして書こうと思います。
行先は広島で10月11日から安芸の宮島・広島市内・江田島・呉とまわってきました。
この春から夏にかけて仕事がいささかハードだったのでストレスが溜まっていたんでね、涼しくなったら、パーっと気晴らしに旅行でもしようと決めていたんです。
それと、来年は自分自身、人生の転機になるかもしれない。
旅行をすることで、これからの自分を考えるきっかけにしたいなと思いから決めました。
ところが、行く数日前から台風19号が来るとの情報が入りました。
しかも、今までにないくらいの大きさだと言う。
ヤレヤレ、これは中止しないといけないか?と天気予報を見ながら考えていましたが、新幹線の切符も買ってしまっているし、ホテルも予約してある。
まあ、ホテルは前日までにキャンセルすればいいし、新幹線も多少手数料は取られるかもしれないが払い戻しがあるだろう。
ぎりぎりまで様子見しようということにしました。
8日になってからかな、台風は若干東寄りに進む気配になり9日には西日本にはあまり影響がないようなので、これなら大丈夫だろうと決行しようと決めました。
どうして広島?
それは、最近の報道を見ると、国同士の対立や民族紛争が多く到底、平和とは程遠い世の中になっているなあと感じます。
戦争まではいかなくとも一触即発のムードがあっちにもこっちにもあります。
一見平和そうに思える日本ですが、隣国との関係が良いとは決して言えない状況があるのは周知の事実です。
「直ぐにどうこうならへん!」とどうして言えるのでしょうか?
何かの間違いが、ボタンの掛け違いが戦争へと向かっていくのではないでしょうか。
過去の戦争もそんなことがあったのです。
一昨日、天皇陛下は即位礼正殿の儀でおことばをのべられました。
「ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」(一部抜粋)
また、誰が言ったか忘れましたが
「今日、私たちがこのような平和と繁栄を享受できるのは、国内外での多数の尊く重い犠牲があったことを忘れてはならない。」という言葉も何度か耳にしています。
私は昭和30年生まれです。
当然「戦争を知らない世代」です。
親父は大正15年(1926年)生まれでした。
満州にて従軍していましたが、昭和20年(1945年)終戦ですから、19歳で終戦を迎えたのかな?
昭和16年(1941年)が太平洋戦争の始まりとなっていますが、昭和12年(1937年)の盧溝橋事件いわゆる北支事変(のち支那事変)から日中戦争に入り、そして太平洋戦争へと繋がっていますから、実に8年もの間、日本は戦争状態だったのです。(大東亜戦争)
当時は若い人で17歳から赤紙(召集令状)が来たそうですから、おそらくは後半の2年くらいは従軍していたのではないかな?
終戦になって直ぐに帰れたのか?しばらく向こうにいたのか?
親父は、あまり戦争のことについて多くは語りませんでした。
あまり思い出したくないような事ばかりだったから言わなかったのかなと思います。
それでも、軍歌を時々口ずさんで、聞かせてくれたり、私が「お父ちゃんは兵隊さんのときなにしてたん?」って聞くと、それなりに話してくれましたが・・・。
衛生兵の伍長(ごちょう)だったそうです。
「伍長って偉い人?」って聞くと「偉くは無い。」
「一番下が二等兵、次が一等兵、次が、上等兵それから伍長」
「その上が軍曹・少尉・中尉・大尉・少佐・中佐・大佐・少将・中将とあって、一番偉い人が大将や。」
「二等兵から軍曹までが兵隊で少尉から上は将校って言って兵隊に命令をする人なんや。」ってにこにこしながら話してくれました。(一部抜けているかも?)
他にも色々聞いたと思いますが、前線には行ってないようでした。おそらく兵站(へいたん)で怪我人の手当とかしてたのかなと思います。
あと、私が戦争について学んだことと言えば、15年くらい前かな?山岡荘八の小説・太平洋戦争(全9巻)を読んだことぐらいです。
小説となっていますが、しっかり調査をされて書かれたノンフィクションであると言われています。(私はこの小説に書かれていることは真実だと思っています。)
また、私の悪い癖で、話がどんどん違う方向に進んでしまいました。
それに、前置きが長い。したがって、ブログが長い。
わかりやすく、簡潔にまとめるのが良いブログだとは分かっているのですが・・・。
ごめんなさい。
どうして広島を選んだか?ということでしたね。
ようするに、こういう世の中だからこそ、今一度、あの戦争は何だったのか?今現在の日本の国防とはどうなっているのか?を学んでみたいと考えたわけです。
そのきっかけが、広島なんです。
たかが一国民の私が、そういうことを学んだところでどうなるものでもないかもしれません。
しかし、少しでも戦争の悲惨さ、平和の大切さを、子供たちや孫に伝えることはできるのではないかと思います。
経済・教育・福祉・・・政治課題は山ほどあります。とりわけ外交・国防は重要課題です。
日本国憲法の改正論議もあります。
憲法改正には国民投票が必要です。
何もわからず、何も知らないまま投票していいのでしょうか?
私自身、いい加減な投票はしたくないし、子供たちにもしっかりした判断をしてほしいと思うのです。
固い話しになってしまいましたが、広島に行った時の話はまた、追々・・。
また被災された多くの方々にお見舞いを申し上げます。
このブログをアップするのには少し躊躇しました。
というのも、超大型の台風19号が来襲して東日本を中心にかなりの被害が出ている(ハピの会員様の中にも被災された方がいるかもしれない)にもかかわらず、のん気に旅行なんか行って、思い出話をあげることはどうなんだろう?
とはいうものの、見聞きしたことで自分が感じたことを、つらつら書き綴る程度なら問題はなかろう?と思いなおして書こうと思います。
行先は広島で10月11日から安芸の宮島・広島市内・江田島・呉とまわってきました。
この春から夏にかけて仕事がいささかハードだったのでストレスが溜まっていたんでね、涼しくなったら、パーっと気晴らしに旅行でもしようと決めていたんです。
それと、来年は自分自身、人生の転機になるかもしれない。
旅行をすることで、これからの自分を考えるきっかけにしたいなと思いから決めました。
ところが、行く数日前から台風19号が来るとの情報が入りました。
しかも、今までにないくらいの大きさだと言う。
ヤレヤレ、これは中止しないといけないか?と天気予報を見ながら考えていましたが、新幹線の切符も買ってしまっているし、ホテルも予約してある。
まあ、ホテルは前日までにキャンセルすればいいし、新幹線も多少手数料は取られるかもしれないが払い戻しがあるだろう。
ぎりぎりまで様子見しようということにしました。
8日になってからかな、台風は若干東寄りに進む気配になり9日には西日本にはあまり影響がないようなので、これなら大丈夫だろうと決行しようと決めました。
どうして広島?
それは、最近の報道を見ると、国同士の対立や民族紛争が多く到底、平和とは程遠い世の中になっているなあと感じます。
戦争まではいかなくとも一触即発のムードがあっちにもこっちにもあります。
一見平和そうに思える日本ですが、隣国との関係が良いとは決して言えない状況があるのは周知の事実です。
「直ぐにどうこうならへん!」とどうして言えるのでしょうか?
何かの間違いが、ボタンの掛け違いが戦争へと向かっていくのではないでしょうか。
過去の戦争もそんなことがあったのです。
一昨日、天皇陛下は即位礼正殿の儀でおことばをのべられました。
「ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」(一部抜粋)
また、誰が言ったか忘れましたが
「今日、私たちがこのような平和と繁栄を享受できるのは、国内外での多数の尊く重い犠牲があったことを忘れてはならない。」という言葉も何度か耳にしています。
私は昭和30年生まれです。
当然「戦争を知らない世代」です。
親父は大正15年(1926年)生まれでした。
満州にて従軍していましたが、昭和20年(1945年)終戦ですから、19歳で終戦を迎えたのかな?
昭和16年(1941年)が太平洋戦争の始まりとなっていますが、昭和12年(1937年)の盧溝橋事件いわゆる北支事変(のち支那事変)から日中戦争に入り、そして太平洋戦争へと繋がっていますから、実に8年もの間、日本は戦争状態だったのです。(大東亜戦争)
当時は若い人で17歳から赤紙(召集令状)が来たそうですから、おそらくは後半の2年くらいは従軍していたのではないかな?
終戦になって直ぐに帰れたのか?しばらく向こうにいたのか?
親父は、あまり戦争のことについて多くは語りませんでした。
あまり思い出したくないような事ばかりだったから言わなかったのかなと思います。
それでも、軍歌を時々口ずさんで、聞かせてくれたり、私が「お父ちゃんは兵隊さんのときなにしてたん?」って聞くと、それなりに話してくれましたが・・・。
衛生兵の伍長(ごちょう)だったそうです。
「伍長って偉い人?」って聞くと「偉くは無い。」
「一番下が二等兵、次が一等兵、次が、上等兵それから伍長」
「その上が軍曹・少尉・中尉・大尉・少佐・中佐・大佐・少将・中将とあって、一番偉い人が大将や。」
「二等兵から軍曹までが兵隊で少尉から上は将校って言って兵隊に命令をする人なんや。」ってにこにこしながら話してくれました。(一部抜けているかも?)
他にも色々聞いたと思いますが、前線には行ってないようでした。おそらく兵站(へいたん)で怪我人の手当とかしてたのかなと思います。
あと、私が戦争について学んだことと言えば、15年くらい前かな?山岡荘八の小説・太平洋戦争(全9巻)を読んだことぐらいです。
小説となっていますが、しっかり調査をされて書かれたノンフィクションであると言われています。(私はこの小説に書かれていることは真実だと思っています。)
また、私の悪い癖で、話がどんどん違う方向に進んでしまいました。
それに、前置きが長い。したがって、ブログが長い。
わかりやすく、簡潔にまとめるのが良いブログだとは分かっているのですが・・・。
ごめんなさい。
どうして広島を選んだか?ということでしたね。
ようするに、こういう世の中だからこそ、今一度、あの戦争は何だったのか?今現在の日本の国防とはどうなっているのか?を学んでみたいと考えたわけです。
そのきっかけが、広島なんです。
たかが一国民の私が、そういうことを学んだところでどうなるものでもないかもしれません。
しかし、少しでも戦争の悲惨さ、平和の大切さを、子供たちや孫に伝えることはできるのではないかと思います。
経済・教育・福祉・・・政治課題は山ほどあります。とりわけ外交・国防は重要課題です。
日本国憲法の改正論議もあります。
憲法改正には国民投票が必要です。
何もわからず、何も知らないまま投票していいのでしょうか?
私自身、いい加減な投票はしたくないし、子供たちにもしっかりした判断をしてほしいと思うのです。
固い話しになってしまいましたが、広島に行った時の話はまた、追々・・。
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