tinc さんの日記
2019
8月
30
(金)
12:38
本文
CCRの名曲『雨を見たかい』について、私は以前長い間誤解をしていた。この曲がベトナム戦争への反戦歌である、というものである。他にもそう捉えている人はいるかもしれない。つまり誰かへ雨というあまりにもありふれたものをかつて見たことがあるか、と尋ねることは極めて不自然で、ここで歌われている雨というのはアメリカ軍がベトナムの地へ空から投下する大量のナパーム弾の隠喩である、というふうに。実際にはこの曲はCCRというバンドの崩壊の予感を歌ったものだと、作詞者自身が後年になって表明しているという。成功していたバンドの内部には当時暗雲が立ち込めており、それを晴れた日の雨に喩えたものだそうだ。
バンドのメンバーの心中や当時の社会に生きていた人々のそれについては私の想像の外のことになるが、どんな表現であれ発されたその瞬間から主体の手を離れて意図しない方向へ向かってゆくということはよくあることだと思う。表現の由来する思考や感情といったものを直接観測することは少なくとも現時点ではできないので、表現の受け手はそれぞれの意味づけ、それぞれの解釈でそれらを解決することになる。CCRのこの件に関してはその解釈が、発信者の意図と異なる方向へ向かい、有形無形の様々を巻き込んでいった。まさに転がる岩のように。反戦運動に熱狂していた人々はその岩の大きさと勢いにさらに高揚し、同じ反戦の機運に違和感を持っていた向きは自分たちを脅かす不愉快なものの一つと感じたのではないだろうか。
CCRや他の著名人のように大きな範囲ではないとしても、人は多分みな、岩を転がしたり転がされたりする立場にある。ある程度賢ければ岩の転がる距離や方向を制御できるのかもしれないが、私はそれをできず、思いもよらないことの連続の中に生きてきた。そしてその方が私にはよかったように思う。私が物事をコントロールできる立場にあることを想像するとぞっとするし、分からないことだらけの人生は私には魅力的だ。私の身を置いている世間は私を全ての面で好きなようにさせておくほど私を重要視していないのと同時に、ただちに排除しようとするほど先鋭的でもない。だからこの先も楽しいことがたくさんあるだろう。
バンドのメンバーの心中や当時の社会に生きていた人々のそれについては私の想像の外のことになるが、どんな表現であれ発されたその瞬間から主体の手を離れて意図しない方向へ向かってゆくということはよくあることだと思う。表現の由来する思考や感情といったものを直接観測することは少なくとも現時点ではできないので、表現の受け手はそれぞれの意味づけ、それぞれの解釈でそれらを解決することになる。CCRのこの件に関してはその解釈が、発信者の意図と異なる方向へ向かい、有形無形の様々を巻き込んでいった。まさに転がる岩のように。反戦運動に熱狂していた人々はその岩の大きさと勢いにさらに高揚し、同じ反戦の機運に違和感を持っていた向きは自分たちを脅かす不愉快なものの一つと感じたのではないだろうか。
CCRや他の著名人のように大きな範囲ではないとしても、人は多分みな、岩を転がしたり転がされたりする立場にある。ある程度賢ければ岩の転がる距離や方向を制御できるのかもしれないが、私はそれをできず、思いもよらないことの連続の中に生きてきた。そしてその方が私にはよかったように思う。私が物事をコントロールできる立場にあることを想像するとぞっとするし、分からないことだらけの人生は私には魅力的だ。私の身を置いている世間は私を全ての面で好きなようにさせておくほど私を重要視していないのと同時に、ただちに排除しようとするほど先鋭的でもない。だからこの先も楽しいことがたくさんあるだろう。
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