まつざわ さんの日記
2019
8月
18
(日)
00:03
本文
日本人として語り継がなければならない歴史がある。
1945年8月15日 玉音放送でポツダム宣言を受け入れ太平洋戦争は終わった。
その後、8月15日は「終戦記念日」として記憶されている。
しかし、8月15日で戦争は終わっていなかった。
北の島で北海道を目指して大挙南下する旧ソ連軍を激戦の末くい止め、大打撃を与えることにより時間を稼ぎ、北海道占領を水際で防いだ戦いがあったことをどれだけの日本人が知っているだろうか。
「占守島の戦い」
終戦の2日後、1945年8月17日~21日の千島列島の北の果てで起きた歴史的事実だ。
すでに降伏して武装解除中であるのを良いことに、早いもの勝ちとばかりに北海道を占領すべく旧ソ連軍が攻めてきた。
火事場の泥棒にももとる卑劣な行動で、まさにどさくさ紛れの凶行と言えるだろう。
日本陸軍第91師団の精鋭部隊は、不意を突かれたものの必死の反撃を試み足止めに成功し、停戦となる21日まで持ちこたえた。
この間、アメリカ軍が北海道に進駐し、旧ソ連軍の本土上陸を牽制。
結果的に旧ソ連軍の進撃は北方4島までで停止することとなった。
終戦後も絶望的な状況の中で戦い続けた人々は、最終的に旧ソ連軍に捕らえられ、あろうことかシベリアに送られて強制労働の中で多くの方が命を落とした。
毎年、今日、8月17日深夜に私は占守島の英霊に感謝の祈りを捧げる。
彼らの英雄的な活躍がなければ、いまごろ日本は祖国分断、津軽海峡が国境だっただろう。
もちろん、北海道はロシア領だ。
終戦後にもかかわらず、命を捨てて北海道を守ってくれた英霊に合掌。
1945年8月15日 玉音放送でポツダム宣言を受け入れ太平洋戦争は終わった。
その後、8月15日は「終戦記念日」として記憶されている。
しかし、8月15日で戦争は終わっていなかった。
北の島で北海道を目指して大挙南下する旧ソ連軍を激戦の末くい止め、大打撃を与えることにより時間を稼ぎ、北海道占領を水際で防いだ戦いがあったことをどれだけの日本人が知っているだろうか。
「占守島の戦い」
終戦の2日後、1945年8月17日~21日の千島列島の北の果てで起きた歴史的事実だ。
すでに降伏して武装解除中であるのを良いことに、早いもの勝ちとばかりに北海道を占領すべく旧ソ連軍が攻めてきた。
火事場の泥棒にももとる卑劣な行動で、まさにどさくさ紛れの凶行と言えるだろう。
日本陸軍第91師団の精鋭部隊は、不意を突かれたものの必死の反撃を試み足止めに成功し、停戦となる21日まで持ちこたえた。
この間、アメリカ軍が北海道に進駐し、旧ソ連軍の本土上陸を牽制。
結果的に旧ソ連軍の進撃は北方4島までで停止することとなった。
終戦後も絶望的な状況の中で戦い続けた人々は、最終的に旧ソ連軍に捕らえられ、あろうことかシベリアに送られて強制労働の中で多くの方が命を落とした。
毎年、今日、8月17日深夜に私は占守島の英霊に感謝の祈りを捧げる。
彼らの英雄的な活躍がなければ、いまごろ日本は祖国分断、津軽海峡が国境だっただろう。
もちろん、北海道はロシア領だ。
終戦後にもかかわらず、命を捨てて北海道を守ってくれた英霊に合掌。
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