テンジャン さんの日記
2019
8月
4
(日)
01:55
恥ずかしい話ですが、、、
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本文
50を過ぎた頃から、
僕や家族、友人達、僕が関わる人たちを支え、
良くしてくれた人たちに対し、
感謝の気持ちを抱きながら
すっーと自然に
「ありがとう」と、言えるようになりました。
それまでは、「ありがとう」という度に、
いつも、誰かに言わされている感が、
心の隅にありました。
「一体、それは誰だろう?」と考えていたら、
それは自分自身であると、気が付きました。
こうされたから、
「ありがとう。」と言わなければならない。
あの人が気を悪くしないように、
「ありがとう。」と言わなければならない。
そう考える自分が、心の何処かに居たようです。
今までの「ありがとう」の言葉が、
何か打算的、何処か義務的な想いで
出て来たと考えると、
こんな年齢になるまで、
ろくに「ありがとう」も言えない人間だったのか、
と思うと、とても恥ずかしく思えました。
人は千差万別、十人十色と言いますが、
多様な経験を積んだことで、自分を客観的に見ることができる人間になったなあ、と
考える今日この頃です。
僕や家族、友人達、僕が関わる人たちを支え、
良くしてくれた人たちに対し、
感謝の気持ちを抱きながら
すっーと自然に
「ありがとう」と、言えるようになりました。
それまでは、「ありがとう」という度に、
いつも、誰かに言わされている感が、
心の隅にありました。
「一体、それは誰だろう?」と考えていたら、
それは自分自身であると、気が付きました。
こうされたから、
「ありがとう。」と言わなければならない。
あの人が気を悪くしないように、
「ありがとう。」と言わなければならない。
そう考える自分が、心の何処かに居たようです。
今までの「ありがとう」の言葉が、
何か打算的、何処か義務的な想いで
出て来たと考えると、
こんな年齢になるまで、
ろくに「ありがとう」も言えない人間だったのか、
と思うと、とても恥ずかしく思えました。
人は千差万別、十人十色と言いますが、
多様な経験を積んだことで、自分を客観的に見ることができる人間になったなあ、と
考える今日この頃です。
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