風まかせさんの日記 - ハピブロ(日記・blog)
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宴(句会)のあとに
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2020-10-18T21:52:45+09:00
風まかせ
句会の主宰者おつかれさまでした、」ありがとうございました。「長生きは得でっせ」どこかで読んだと思うが、ある高齢の俳人がおっしゃっていた。ある意味においては、紆余曲折の千万里、行く程に行く程に近くなったり、遠くなったりといった人生のほうが俳句を詠むには、俳句に投影される経験がゆたかなものだから、向いているということもあるだろう。とはいうものの、わが身をのぞくと、歳を重ねると感性が、若いころにくらべてであるが、柔軟でなくなってくるのも、公言したくはないが、事実であろう。紆余曲折。若いころは、これをはき違えていたのであろう、あちらの土地に、遠くの国に、我が家は、まま勝手な「外遊」をさせてくれるような...
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宴(句会)のあとに思う
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2020-09-24T00:48:42+09:00
風まかせ
俳句とはなんだろう。「俳句とはこうだ」と言い切るチカラはぼくにはないが、考えたことを体系的、論理的に辻褄合わせることを考えず、つれずれ書いてみた。。一般的にとらえられている俳句のイメージはたとえば、「俳句」→「芭蕉」→「わび・さび」ということだろうか。これは俳句の一面であろう。また「俳句」→「諧謔(かいぎゃく。こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア)」というイメージを強くもっている方もいるであろう。これも別の一面。ぼく自身は、既成の定義とルールを踏まえた上で、抽象的になるが「『生きとし生けるもの』へのあいさつ」ではないだろうかと、考える。つまり、生命(自然)、他者へのあいさつで...
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俳句は誰でも、すぐにできるわけとは
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2019-11-09T17:57:38+09:00
風まかせ
かつて触れたことがあると思いますが、考えてみると、俳句というのは、助走のいらない、めずらしい表現形式です。ときどきイラストのようなものを描くが、つくづくとデッサンという基礎訓練が必要だと思いました。イラスト、絵画、音楽、ダンス…などの表現手段がありますが、どの分野でも自分の思うままに表現できるようになるには、一般的に長く苦しい基礎訓練が必要です。ところが俳句というのは、基礎訓練、助走なくしていきなり楽しむことができます。それは「有季定型」つまり、季語+五・七・五のリズムという俳句の最低限のルールを、私たちはごく自然に身につけているからだと思います。「季語の本情」という言い方があります。これは、...
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ブログ句会に投句した
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2019-07-09T20:49:00+09:00
風まかせ
第八回ブログ句会の投句を考えていたが、字余りになってしまった。ご存知のように、俳句は、五七五の十七音であることが基本であるが、五音が六音以上になったり、七音が八音以上になったりして、十七音の定型から外れたものを「字余り」の句という。 何かで読んだ話を思い出した。あの黒柳徹子さんは、ある句会に参加していて、あるとき主宰者に、自分の句集を出したいといった。主宰者が、いままで詠んできた句を書き出して渡した。すると彼女は「これは私の句ではない。だって字余りばかりじゃないの」という。主宰者は、「口数も多けりゃ、俳句も字余りが多くなるのはあたりまえ」と心のなかで思っていた、という。ちなみに彼女の俳号は「楼...