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風まかせ さんの日記
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風まかせ さんの日記

[2018-11] 
 
2018
11月 25
(日)
08:12
オヤジのひとり旅
本文
タイのロッブリーでバスを降りた日本人は、ぼく一人だった。

ここには、バンコクにあるような繁華な街並みもなく、極彩で飾った不夜の店々もない。

日本のガイドブックなどにも、旅行者を惹きつけるような魅力的な記載はない。そのために日本人旅行者が訪れないのではないだろうか。

しかし、オヤジのひとり旅にとって、この静かでのんびりとした街のたたずまいは、なによりのご馳走である。

ぼくは、いわゆるオヤジと呼ばれる年代である。たまたま何も予定のない日々ができたので、ひとり旅を楽しむことにした。

若者ではないので今さらバックパッカーでもないと思っている。

多少の自由なお金はあるが、お金持ちというわけでもない。そこで、若い頃仕事で滞在したことのあり、比較的治安がよいといわれるタイを選んだ。

オヤジといっても、男はまだまだ「青春」したいのである。今なら歩き回れるし、人生経験も若者より豊かで、若いときより楽しむ術も心得ているつもりである。


そして、単なる観光旅行ではなく「心を満たす旅」をしたい。

ロッブリーを選んだのは、東京・神田神保町の古書店で見つけた、ある「日本婦人」のことが知りたかったからである。
「フォールコンの妻」と呼ばれる一人の女性である。

タイは、若いころ仕事で滞在したことがあり、簡単な日常会話くらいはできる国である。また、比較的英語も通じやすいので、ブロークンであっても英語とタイ語のチャンポンでコミュニケーションができる。
 


ロッブリーは、バンコクの北、およそ一五〇キロほどのところにある。

首都バンコクから、鉄道かバスで行くことができる。ぼくは、バスを選んだ。バンコクで投宿したホテルから、鉄道のホアランポーン駅(バンコク中央駅)がかなり離れていたことと、バスの本数が鉄道のそれより多いと聞いたからである。

実際、バスはタイの国内の主要都市をほとんどカバーし、国営、私営のバスが頻繁に出ていることもあって、旅行者にはしごく便利である。

ぼくは、エアコン付きのバスに乗った。少々運賃は高いが、ロッブリーまでおよそ三時間の旅、エアコンのないバスで熱風の道を揺られていくほど、ぼくは若くはなかった。

バンコクの市街を抜けると、ドイツのアウトバーンを思わせるような広く直線的な自動車専用道路が延び、バスはアクセルをぐんと踏んで走る。

やがて道の両側は、見渡すかぎりの田園風景が広がってきた。

雨季がはじまる五月の中ごろ、大地は恵みの雨を得て、田園にはかぐわしい緑の風が吹き渡っていく。


ロッブリーの街は、官庁などが集まる新市街と、寺院などがある旧市街とにはっきりと分かれ、バスは新市街のバスターミナルに止まった。新市街のロータリーには、警察官の駐在所があった。

ぼくは、英語とタイ語で、「安全なホテルを教えてください」と、ていねいにたずねた。

若い警察官は、お国自慢のように、街で一番高級なホテルはここだよ、と地図を広げ、「ロッブリー・イン」というホテルを教えてくれた。

しかも、親切なことに、ホテルに行くサムロー(「三つの輪」の意で、後部に幌付きの座席付けた「人力三輪タクシー」である)まで呼んでくれた。

英語を多少話せて、街のことをよく知っている運転手さんだそうである。

サムローの料金は事前に交渉して決めることになっている。土地カンもなく、料金の相場もわからない初めての街でサムローに乗るのは緊張するが、警察官が呼んでくれたので安心である。

ぼくは警察官に「ワイ」(合掌。タイのていねいな挨拶)をして、サムローに乗り込み、ホテルに向かった。
運転手は、青いポロシャツを着た痩躯の男で、四十歳代後半といったところだろうか。比較的無口で、小さな目が誠実そうであった。

しばらくしてから遠慮がちに「日本人ですか?」と、朴訥とした英語で聞いてきた。

ぼくは、「ポム ペン コンジープン(私は日本人です)」とタイ語で応えた。

ホテルに着いてから、青シャツに料金を払い、チップを渡してから、旧市街へ連れてってほしいと頼んだ。

青シャツは、はにかみながらもうれしそうに笑い、料金交渉も成立し、一時間後にホテルの前で待ち合わせることにした。


古書店で見つけた、昭和一七(一九四二)年の雑誌『歴史日本』には、こう書かれてあった。「タイ国、以前の逞羅(シャム)国において活躍した日本婦人として、近頃有名なのは、「フォルコン(一般に「フォールコン」と呼ばれている)の妻と称せられる婦人である」

彼女は、いったいどんな女性だったのだろう。彼女の夫であるフォールコンというのは、およそ三〇〇年前、アユタヤ王朝のナライ王の宮廷に入り、高官として活躍したギリシア人である。

フォールコンは、天主教の宣教師のすすめで、天主教徒の美しい日本人少女と結婚したという。彼女の家庭は、江戸幕府の天主教禁制のため、難を逃れてタイに移住してきたのである。彼女は、「出自がはっきりしており、教養があり、精神の美しい少女」であったから、フォールコンは喜んで迎えた。と、記されている。

しかし、彼女の名前、年齢、日本のどこからやって来たのかなど、くわしいことは何一つ書かれていなかった。

天主教とは、切支丹のことである。江戸時代、タイに逃れてきた、身分のある切支丹の少女とは、どんな女性であったのだろう。「精神の美しい少女」とは、どういうことなのだろうか。
 

青シャツは、ちょうど一時間後、ホテルの前で待っていた。タイの人にはめずらしく時間に正確である。

ホテルは新市街のはずれにあるが、青シャツの話では、博物館や寺などは旧市街に集中しているという。旧市街には、十五分ほどで着いた。

旧市街は、ホテルでもらった地図を広げて見ると、周囲をロッブリー川とその支流に囲まれ、街の南側には城壁が残り、ここが、およそ三〇〇年前のアユタヤ王朝の城砦都市だったことをおしえてくれる。

旧市街は小さく、青シャツの話では、徒歩でもじゅんぶん歩き回れる広さである。

ぼくは、新市街にホテルをとったことを後悔し、次の日からは、ホテルを旧市街に移そうと決めた。

「旧市街に安全なホテルはないだろうか」。青シャツが案内してくれたのは、アユタヤ王朝のナライ王が生涯をかけて築いたという宮殿の前のホテル「アジア」である。

ぼくは青シャツの車を降り、お礼を言って彼と別れた。ホテルで翌日の予約をすませ、ホテルから歩いて五分ほどのところにある、朽ちた邸宅跡へ行った。

邸宅跡は、旅行ガイドブックなどでは「チャオプラヤー・ウィチャエン・ハウス」と紹介されている。もともとは、ナライ王が外国の使節のために建てた迎賓館で、のちフォールコンの住居となった。「チャオプラヤー・ウィチャエン」とは、フォールコンの官位名である。

崩れかかった小さな門を入ると、目にまぶしい鮮やかな緑の芝生の中に、崩れかかった赤煉瓦の壁面がそびえる。屋根のない赤煉瓦の壁面には、アーチ状の石段が残っていて、ここからフォールコンと妻の「日本婦人」は出入りしていたのだろう。石段に座って、彼女のことを考えた。

「精神の美しい少女」は、結婚し、さらに夫が亡くなってからは、「貞節を守った」ことで知られている。彼女の話は、はじめに紹介した雑誌『歴史日本』に、もう少しくわしく書かれている。

フォールコンの妻は、夫の死後、新しく即位した王に言い寄られたが、これに頑として応じなかった。すると王は、彼女にでっち上げた横領罪を着せ、拷問にかけ、財産を没収。

そして親戚や子女の何人かが殺されたが、幸い彼女自身はフランス士官によって助けられ、残された子とともにバンコクへ逃れた。新王は彼女の引き渡しを強制し、アユタヤに連れ戻した。

彼女は死を覚悟したが、予想に反して宮廷大膳職の女官頭を命ぜられた。彼女は宮廷に仕えたが、報酬などは一切国に返納したという。

そして雑誌ではこう結んでいる。「彼女のもつ心構へ、精神即ち日本女性の美徳のもたらしたものである」
 
雑誌『歴史日本』では、フォールコンの妻を日本人であると決めつけ、戦前のことで、日本人の「海外雄飛」が話題になっていたこともあるのだろう、「海外で活躍した日本人の一人」として評価する。

ここロッブリーに来てみれば、彼女のことがもっとわかるかも知れないと思った。彼女の肖像なども見たかった。

しかし、邸宅跡には、フォールコンの簡単な英文の説明パネルがあるだけで、彼女については一行の説明もなかった。

翌日、ナライ王の宮殿跡の「ロッブリー国立博物館」にも行ってみた。

ここにはフランス使節団が王に献上した「ルイ一四世から贈られた鏡」や王の遺品などが展示されていたが、彼女のことはおろか、フォールコンについても何もなかった。

係の人にたずねたが、フォールコンについては、邸宅跡が残っているだけだという話だった。

ぼくの「フォールコンの妻」の足跡さがしは、これですっかり行き詰まってしまった。

昼間の太陽はすっかり燃えつき、ロッブリー川からやってくるさわやかな風が、火照った肌に気持ちよくなごんだ。

夕方になると、旧市街のメインストリートには、日本の縁日のような、さまざまな屋台が並ぶ。

そのほとんどが麺類や菓子類、あるいは夕食のための屋台だが、ようやっとウイスキーを置いてある屋台を見つけた。

ウイスキーといってもおそらく、米や砂糖黍を原料にした蒸留酒、焼酎の一種である。

これを、ほのかに甘いソーダで割ると、さわやかなカクテルになる。ウイスキーの名は、「センティップ」。日本人には「メコン」がよく知られているが、タイの人は好んでこのウイスキーを飲む。

ヤム・ウンセン(春雨のサラダ)を肴に気持ちのよいウイスキーを飲んでいると、あの青シャツが声をかけてきた。ホテルで客を降ろしたところだという。

ウイスキーをすすめると、仕事中だからといって断った。ぼくは、彼にペプシコーラを頼んだ。ぼくは、青シャツに、フォールコンの妻のことを聞こうとしたが、やめた。

ぼくたちは、日本で人気のある車だとか、タクシーの料金の比較だとか、日本にあるタイ料理店の話や日本の米をどう思うといった、たわいのない話で盛り上がった。

ぼくは、気持ちよく酔った。屋台の勘定をすませて、ホテルに帰ろうとすると、青シャツは、自分のサムローでホテルまで送っていくという。

ぼくは、ホテルまで歩いても五分ほどだからといって断ったが、青シャツは、自分も帰り道だから、ぜひ乗っていってほしいという。

ホテルに着くと、ぼくは、青シャツを無理に誘い、宮殿の城壁が見える食堂で、一緒にビールを飲んだ。サムローは、ホテルで預かってもらうことにした。
 
城壁は、銃眼付きのいかめしい構えだが、城壁の内側からはこの銃眼を隠すように、日本の桜に似た花が咲きこぼれていた。

おそらく、バンコクでもよく見かけるインタンニの樹の花である。ほのかな薄紅の花びらの純情さは、日本の桜を思わせる。

青シャツはよく飲んだ。ぼくと同じように気持ちよく酔ってきた。ぼくは、これといった意図もなく、近頃、商売はどうだい?と、かるく聞いた。

すると青シャツは話し出した。意訳もあるがこんな話だった。

タイは不景気でね、昔はそんなヤツはいなかったけど、この間、乗り逃げされたんだ。五十バーツだけど、腹が立ってそいつを追いかけ、家に乗り込んだ。

そうしたら、小学生ぐらいかな、女の子がひとり家の中で造花の内職をやっているんだよ。親父はどこだと、怒鳴ろうとしたんだけれど、言えないよな。

それにその子は、いま、明日の学校の昼食代十バーツあるから、今日はこれで、残りは明日にしてくださいと言うんだ。それも受け取れないよな。

オレにも小学生の子どもがいるからさ、かわいそうになって十バーツ置いてきたんだよ。そうしたら、翌日、彼女は、オレのところに十バーツ持ってきたんだよ。受け取れないよな。だからまた、十バーツあげたんだよ。

ぼくは、それじゃあ、七十バーツの損じゃないかと言った。

すると青シャツは、城壁の桜を見ながら、彼女が気持ちよければ、オレも気持ちいいんだよ、と言ってグラスに自分で残りのビールを注いだ。

青シャツはあまり、酒には強くないようで、飲み進むうちに、椅子に寄り掛かって眠ってしまったようである。

ぼくは、城壁の「桜の花」を眺めながら「美しい精神」を考えていた。

フォールコンの妻は、おそらくは日本人二世か三世で、伝わる話の真偽のほどはわからないが、ぼくはもう、そんなことはどうでもよかった。

それよりも、青シャツと、けなげな少女とのたわいのない、心なごむ話に酔っていた。

「美しい精神」というのは、そんな大仰なことではなく、旅の中では、どこにでも出会うことができるだなあと、ひとりごちて、城壁の「桜の花」をぼんやりと眺めていた。

桜を愛でながら、ぼくは日本人夫人のことを考えていた。そうして、眠っている青シャツにお礼の気持ちを込めて、小さく歌った。

 さくら さくら 弥生の空は
 みわたすかぎり 
 霞か雲か 匂いぞいずる 
(了)
(内容の質問など、またご感想などをお寄せください)
閲覧(395)
カテゴリー
投稿者 スレッド
風まかせ
投稿日時: 2018/11/25 21:13  更新日時: 2018/11/25 21:13
プラチナ
登録日: 2018/7/11
居住地: 東京都
: 男性
投稿数: 516
 RE: オヤジのひとり旅
こんばんは おらこさん。
コメントをありがとうございます。

南へ。
何かをやり遂げようとか、ある決心をもってとかいうときは、南よりも北へ向かうように思います。

南へは、自分を解放しようとか、心をまるくしたいとかいうときは、南が似合うように思います。

ロッブリーには、歴史の真実を探しに行ったのですが、これは南には似合わないようで、ごらんのように、たわいのない話になってしまいました。
風まかせ
投稿日時: 2018/11/25 21:12  更新日時: 2018/11/25 21:12
プラチナ
登録日: 2018/7/11
居住地: 東京都
: 男性
投稿数: 516
 RE: オヤジのひとり旅
こんばんは ミカママさん。
コメントをありがとうございます。

ブログは夜に書きます。
夜は親密でしっとりとして、人をそそのかすようでもあります。
夜の早い時間には、何かしら、新しいワインの封を切ったようなところがあるように思います。
あてどないが、何か期待をいだかせるものがありま。
夜はぼくにとって、筆が進む至福の時間のように思います。
orako
投稿日時: 2018/11/25 17:16  更新日時: 2018/11/25 17:16
プラチナ
登録日: 2017/1/17
居住地: 岡山県
: 女性
投稿数: 2253
 RE: オヤジのひとり旅
風さん   こんにちは

タイの風、匂いまで感じるような描写で始まり、すっかり引き込まれてしまいました。

ミカママさんと同じ、私もその場にいるようで、親切なお巡りさんや、サムローの青シャツにすっかり親近感を覚えました。

美しい精神、思いやりに満ちた心、偽善でもなく、愛に満ちた人々。 
そんな国だから、フォールコン夫人の話が人づてに残されたのでしょうか。
どんな女性だったのか、ワクワクしながら読み進めたのですが、会うことが出来ずちょっぴり
残念です。でも、それよりも素敵な愛に溢れたお話に出会えました。

城壁の見える食堂が、どんなお店だったか、もう少し知りたい気持ちです。
どんな雰囲気の中で、さくらを歌われたのか。

なんとなく、優しい夜風に吹かれながら、お二人が静かに過ごしている情景が目に浮かびましたが・・・・・。

タイに行って見たくなりました。男性はいいな。気ままな一人旅が出来て。
ミカママ
投稿日時: 2018/11/25 14:04  更新日時: 2018/11/25 14:05
登録日: 2014/4/25
居住地: 東京都
: 女性
投稿数: 12753
 RE: オヤジのひとり旅
風さん、こんにちは。

素晴らしい旅ブログでした。
私も風さんと一緒に「フォールコンの妻」の情報を求めて旅をしていました。

夫の死後、王に言い寄られても貞節を守り、親戚、子女を殺されても、毅然と人生を生き抜いた女性。

ふと、義経の愛妾・静御前を想い出しました。
吉野で引き裂かれ、鎌倉に連行されて男子を出産しましたが海に流され、それでも鶴岡八幡宮の舞台で、頼朝の前で堂々と義経を想う白拍子を舞ったという。

青シャツの真面目で律儀な性格、女の子の貧しさの中でも誇り高い態度は、どの想い出よりも心に残ったのではないでしょうか。

いつしか私まで、屋台でウィスキーを飲みながら、城壁の桜を眺めていました。
素敵な心の旅を有難うございます。


しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(静御前)

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